「お花見に行かない?」

 一応恋人であるところの大道寺沙耶にそういわれて、
「行くっ!」
 堂本賢治は何の迷いも無く即答した。

 *

「……」
 まぁ、考えてしかるべき事態だった。賢治は目の前の状況を見て、自分のうかつさを呪い軽くため息をついた。
 そりゃぁそうだ。人ごみを嫌う沙耶が花見に誘った段階でおかしいと思うべきだった。
 場所取りしていた人たちが二人を見て挨拶をしてきた。
「おはよう」
「よっ」
「……おはようございます」
 早速、花見酒としゃれ込んでいる円と、その隣でどこか幸せそうな顔をしてる清澄を見て呆然と呟いた。
「……デートじゃなかった……」
「ん?なんか言った?」
「いいえ、何にも」
 気合を入れた自分が馬鹿みたいじゃないか。昨日なんて浮かれて全然眠れなかったのに。あほだ、俺。
 もう一度ため息をついて、諦めてシートに座った。
 いやいや、せめてここはライバルでもある直純がいないだけでもましだ。そう自分に言い聞かせた賢治の耳に、
「たこ焼き買ってきたぞ」
 そんな直純の声が無情にも届いた。
 もう、どうにでもなれ。
 天を仰いだ。


 空は、桜の花びらで薄い桃色に染まっていた。



「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」
 諦めて直純を牽制しながら円と沙耶の手料理を味わっていた賢治の隣で、沙耶が呟いた。
「ふぇっ?」
「これは信じていいことなんだよ。何故って、櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」
「……ああ、梶井基次郎か」
 いきなりの物騒な発言に驚いたものの、その心理はわからなくも無い。あの美しさが信じられないと言う、その気持ちは十分にわかるつもりだ。まるで雨のように舞っている桜の花びらも、桜が空を桃色に染め上げてしまうことも、異様な美しさを保っていて、まるで嘘のようだと思うことがある。
「ええ。ところで、屍体が埋まっていると言われると、どうも人間のもののような気がするけれども、「馬のような屍体、犬猫のような屍体」という表現も出てくるのよね」
「あー、そうなんだ」
 そのフレーズだけが頭に合って、実際に本を読んだことは無い。
 でも皆、そんなものだろうと思う。ここに来ている人々も「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」というフレーズは知っていても、実際に「櫻の樹の下には」を読んだことは無いだろう。
 そう思ってあたりを見回して、ぎょっとした。
「さ、沙耶ッ!?」
「静かに、落ち着いて」
 そう言って、沙耶は唇の前に人差し指を立てた。
「落ち着いてって……」
 落ち着けるわけが無いだろう。
 先ほどまでいた花見客が皆、屍体になっていては。
「屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている」
 円がぼそりと呟いた。
 彼らは桜の木の根が体に巻きついたその状態で、構わず花見を続けている。
「円さんっ」
「ゾンビの宴会よ、気にすること無いわ」
「気にしましょうよっ!」
 暢気にアルコールの摂取を続けている円に言う。清澄は不愉快そうに眉をひそめているものの、動じてはいない。直純はわずかに腰を浮かせた状態で、いつでも動けるように構えている。
「……。」
 それをみてなんとなく悟った。
「沙耶」
「はい?」
「今日のお花見ってもしかして仕事なわけ?」
「……言わなかった?」
「言わなかったっ!」
 小首をかしげて可愛い顔されても困る。……それにちょっと負けそうだから困る。
「……俺、本当馬鹿みたい」
 泣きそうになった。


「それじゃぁ、沙耶。頼んだ」
 円の言葉に軽く肩をすくめると、沙耶は立ち上がり、ひときわ大きな桜の木の下へかけていった。
「一応、行ってくる」
 そういって、直純もその後を追う。一瞬こちらにみせた、優越感にあふれた笑顔は自分の被害妄想だろうか。実際に、自分が足手まといでしかないことを知っているから不愉快でたまらない。
 賢治は軽く唇をかんだ。


「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」
 ひらり、と舞い降りてきた桜の花びらを手に取り、円が言った。
「あそこの、大きな木にはね、本当に埋まっているのよ」
「……屍体が、ですか?」
「ええ、もっとも、今はもう埋まっていないけれどもね。知らない? 去年の五月ぐらいにあった殺人事件。正確に言うと、死体遺棄事件でもあるかしら?」
「え、ああ。あれですか? 同棲していた女性を殴り殺して、それを、……それを、桜の木の下に埋めたという……。……あれって、ここの桜でしたっけ?」
「ええ。当時はとても大騒ぎになったけれども、一年経ったらこんなものよね。ここは小さな公園だし、桜の木だっていっぱいあるし」


 桜の木の下で、幹に額を押し当てて、沙耶が何かを言っている。


「マスコミ報道、覚えてる?」
 円の問に、答えにくい。
 よく覚えている。その報道を見て、自分は「上手いこというなぁ」と思ったから。
 そんな自分が恥ずかしい。
「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」
 小さく呟いた。
 清澄がわずかに、気遣わしげな視線を送ってよこした。
「あの桜の前で、スタジオで、マスコミが言ったものよ。今はこんな葉桜ですが、来年の春には一体どんな花を咲かせてくれるのでしょうか? ってね。もっとも、いざ春になってみると覚えている人なんて居なかったけれども」
 くすくすと円が嗤う。瞳が冷たくて、とても怖い。
「本当ならば、体が見つかったその時点で彼女は成仏できたはずなのよ。それなのに、マスコミが馬鹿みたいに報道するから、彼女は憑かれてしまったのよ。櫻を綺麗に咲かさ無ければならないという思いに、櫻それ自体に」
 円はふんっと鼻を鳴らした。酷く不愉快そうだった。
「彼らはね」
 そういって腕を伸ばして宴会する屍体を指差す。
「彼女が引き寄せてしまった霊魂たち。日本人特有の性質よね。きっと、彼らも桜が好きで、よく花見に来ていたのでしょう。だから、櫻を綺麗に咲かすということに憑かれてしまったのよ」


 風が強く吹いて、花びらを大量に散らした。


「私たちには春になるまで、櫻が咲くまで、どうにも出来なかった。一年間も、放っておいて、ごめんなさいね」
 円が呟いて、軽く目を閉じた。


 花びらが視界をさえぎって、
 そして、視界が戻ったときには、
 元の、人間の宴会に戻っていた。

 ほっと息を吐く。今日は眠れないかもしれない。額に手を当てながら、賢治は思った。


 ゆっくりと、沙耶が戻ってきた。

 *

「……大丈夫?」
 沙耶の問いに首を横に振って否定の意を表す。
 あの後すぐに、気分が悪くなった。円がいうところによると「あてられた」ということらしい。死者の持つ、ある種の毒気に。
「ごめんね、あたしがちゃんと仕事だって言っておけば良かったんだけど」
「いや、……俺も浮かれてたし」
 額にのせられたぬれタオルが心地よい。ついでに言うと、所謂膝枕の状態でそれもそれで嬉しいのだが、そんなことをしみじみと思うほどの余裕も無い。
「少し眠ったら? ……眠れる?」
「や、それも……」
 瞳を閉じれば、先ほどの光景がよみがえってきて更に気分が悪くなる。
 沙耶が困ったような顔をする。

「子守唄でも歌ってあげたら?」
 円が言う。
「円さん」
 隣で清澄がつっこんだ。
「……歌う?」
「……」
 沙耶が首をかしげて尋ねてくる。それもどうかと思ったが、
「じゃぁ、……まぁ、お願いします」
「何もしないよりはましだといいけど」
 とんとん、と歌いながら一定のリズムでタオルの上を叩くその手が、まるで子どもあやすようだとは思いながらも、とても心地よくて、これなら少しは眠れそうかと思う。
 直純の羨望のまなざしに、今度はこちらが少しだけ優越感を抱きながら、ゆっくりと瞳を閉じた。


 ああ、これだから、こんなことがあっても、彼女から離れられないのだ。
 そう思いながら。