バスルームから聞こえてくるやけに楽しそうなラブソング。彼がこの部屋に持ち込んだ防水ラジオの音と彼の歌い声と。
 男の癖に長風呂で、もともと湯船につかることが苦な私はさっさと先に出てきたけれども、それでもまだ歌っている。暢気なお坊ちゃま。
 だるいなぁとか思いながら雑誌のページをめくる。
「円」
「髪の毛ぐらい乾かしなさいよ」
 ぴたぴたと水を垂らしながら何時の間にか上がってきた彼にそう忠告する。だってここ、私の家だし、そんな風に抱きつかれたら私だって濡れるし。
「お茶、飲む?」
「飲む」
 簡潔な返事に微笑むと、立ち上がってお湯を沸かし始める。
「円さー」
「何?」
「俺のことどう思っているわけ?」
「どうって?」
 ほうじ茶か緑茶か……。どちらにしようか少し悩む。
「本気なのかどうかってこと」
 その言葉に私は思わずふきだす。彼がなんだよ、と怒ったような声をあげた。
「ごめんなさい。だってそれは、私の台詞だと思ったから」
 嗤う。自分でわかっている。私は無駄にプライドが高いからふられる前にふっちゃうし、意地っ張りだから「本気じゃないよな?」って聞かれたら、笑ってええそうよなんて答えちゃう。我ながら難儀な性格をしている。
 それでもって、あの家を継がなくちゃいけないわけで。家を継ぐから政略結婚とかそういうのも嫌だけれども、恋愛結婚もまぁ無理だろうなと最近は思い始めている。
 妥協点が見つからないのだ。
「私は」
 言葉を捜して、一瞬ためらい、それから結局そのまま口にした。
「本気ね」
 彼が笑うのがわかった。

「紹介してよ、ご両親」
 私が淹れた緑茶を飲みながら彼は言った。
 やめたほうがいいとふと思ったけれども、それもいいかもしれないと思った。あの家に連れて行けば、大抵の人の本性が見える。
「電話でもしておくわ、父に」
 私はそう答えておいた。
「それと、私は父しか居ないから大変よ?」


「父様、いつ暇?」
 自宅に電話するよりも、ケータイに電話する方がはやいのでケータイにかける。そして、開口一番そう言った。
『男か?』
「まあね」
『何人目だ?』
「さぁ?」
『いい加減おちつけ』
「そうね。もし彼が一海にびびったり、逆玉を狙ったりしなければ考えてもいいけどね」
 私の返答に父様はあきれたようなため息をついた。ため息をつきたいのは私だ。


 そして、結局、一海の実家に彼を連れて行ったその日に私は彼をふった。
 そりゃぁまぁ、大きなお屋敷だし、父様は厳格な人間だけれども、あそこまでびびることはないだろう。
 この人には一海を預けられない。
 嫌いになったわけじゃないけれども、別れた人間ってこれで何人目かしら? もはや些末だけど。だって結局そう言うのってめぐり合わせなんだろうし。


 たまたま彼を連れて行った日に一海に来ていた沙耶が、次の日尋ねてきた。
「別れたの?」
「よくわかったわね」
「わかるよ。あれは円姉の望む反応じゃなかった」
「そうね」
 沙耶は何か言いたそうに私を見ていたけれども、結局ふぅとため息をついて私の向かいの席に座った。
「難しいね」
「何が?」
「妥協点。自分の理想と現実と」
 今日の自分の担当の事件ファイルをめくりながら沙耶が言う。
「あんたはどうなのよ?」
 ペンを止めて私が尋ね返すと、沙耶は無表情で返してきた。
「だって、あたしは家を継ぐ必要も無いし、結婚する気も誰かと付き合うつもりも毛頭ないもの」
「龍一君が聞いたら泣くわよ」
 その言葉に沙耶は眉をひそめた。


 ああ、もういっそ、どこかの名家のお坊ちゃまと政略結婚でもしますか。お見合いとか? その方が父様も喜ぶし、いいかもしれない。
 いっそのこと、巽のお坊ちゃまとかどう? 今はまだまだがきんちょだけど、数年もしたらなかなか見所があるかもね。
 そう思いながら今日は珍しく湯船につかる。


 彼が置いていったラジオが、今日もラブソングを吐き出していた