当たって砕けろ! と言う。
 砕けた側はそれでもいいかもしれない。
 けれども、当たられた壁だって痛いのだ。


「わかる、沙耶?」
「あんまり」
「もー、なんでわかんないかなー」
 二人暮らしのリビングで、だらだらと流れるテレビをBGMに円はしゃべる。
「だって、前提がわかんないんだもん」
 答えながら沙耶は、円が酒の肴に用意した野菜スティックに手を伸ばす。
「お味噌とって」
 大葉や生姜をつけこんだ自家製味噌を手渡しながら
「いい? 恋愛はタイミングなのよ?」
「それは何回も聞いた」
「じゃあわかるでしょ? 欠片も好きじゃない、っていうか男として認識してない人間が急に告白してくるのがどんなに不愉快か」
「わかんないなー」
「もー、なんでわかんないのよ」
 苛立ったようにいいながら、円は缶ビールをあおった。
「当たって砕けろ、って簡単に言うけど、こっちの気持ちも考えろっていうの。断るのだって、体力いるんだから」
「ふーん」
「ふーんって、沙耶」
「だって、あたしには関係ないもん」
 チーズを口に放り込む沙耶をみて、小さくため息。
「あんたねー、そんなこと言ってるけどいつ関係するかわかんないんだからちゃんと聞いておきなさい? 高校なんて青春じゃない、ときめきじゃない」
「高校が青春なら、青春って真っ暗ね」
 入学したばかりの高校生活を思い返し、沙耶は鼻で笑いながら答える。
「ひねくれてるわねー」
 あっきれた、といいながら冷蔵庫まで歩き、新しいビールを取り出す。
「いる?」
「未成年にお酒すすめないでよ」
「私、酒も煙草も男も高校の時に手をだしたわよ?」
「威張らなくていいし、最後の余計だし」
 あっきれた、といいながら生ハムをつまむ。
「まぁ、沙耶の話はいいのよ」
 新しいビールと沙耶のためのミネラルウォーターをテーブルにおきながら、円は続ける。
「ヤバいかなー、とは思ったのよ」
「ヤバいって?」
「告白されるんじゃないかっていう」
「ああ」
 沙耶は頷き、自意識過剰、と付け加える。
「結果的にはあってたし。そうじゃなくて、私、そういうごたごたした面倒なこと嫌いだから、そういうことにならないように壁をつくってきたわけ。せっせと。好きな人がいるとか」
「あれ、いるの?」
「内緒。あと、同じゼミでつきあうのは面倒だからいや、とか」
「うん、いいそー」
「なのに、なんで告白するわけ? そこは無理っぽいなーと思って引くとこでしょ? なにが、はっきりしてこころの整理をつけたかった、だ。それはあんたの都合でしょ! っていう」
 ばん、とテーブルを叩く。
「100%無理なのはわかっていて、ただ自分のためだけに告白する男ってなんなの? どんだけ自己チューなの? 本当に好きなら、好きな人を困らせたくないと思って余計なことは言わないもんじゃない?」
「円姉は、」
 ぽつり、と沙耶は呟く。
「意外と他人の幸せ考えて、自分の気持ち言わないもんね」
「当たり前でしょ? 私が身を引いて、誰かが幸せになるなら、そっちの方が全然いいもの」
 ぐいっと傾けた缶からおちてくる、少し苦い液体に眉をひそめる。
「あたしは、円姉のそういうとこ好きだけど、周りの人全部にそれを求めるのは酷じゃない?」
「そーお? でも、黙って身を引いて、あとから実はあの時好きだったんだ、って言われる方が明らかにぐっとくるじゃん。なんとも思ってなくとも」
「わかんないけど」
 今日何度目かわからない言葉を口にして、沙耶はペットボトルのふたをひねる。
「いや、まあ、確かに、相手が俺じゃなくても幸せになってくれるならそれでいいから。とか言われたけど、何酔ってんだっていう話? 私は言われたことによって幸せじゃなくなったつーの」
 あーも、イライラする! と声をあげる。
「煮干し、とってこようか? 牛乳がいい?」
「要らないし」
「よね」
 少しだけ声を低くして、似ているのかわからない物まねで、
「急に言われて心の整理が付かないかもしれないけど、俺待てるから」
 そこからきっと沙耶に向き直り、
「何夢見ちゃってんの? アホじゃないの? 頭にウジ湧いてんじゃねー? 好きな人いるって私言ってたじゃん、今現在断ったばっかりじゃん、っていうか、待てるからって何!? 私にだって選ぶ権利あるっつーの!!」
「あたしに向かって怒鳴んないでよ」
「あー、むかつく、意味分かんない意味分かんない意味分かんない!! 何も知らないくせに」
 最後に吐き出された言葉に、沙耶は少しだけ痛ましげに顔を歪める。
 そうね、じゃあ、付き合いましょう、ってことになったところで、おそらく何も知らない何も“見えない”であろうその人は、一海の家に、一海円という人間に、一海の女王に、いずれ恐れをなして逃げて行くのだろう。
 それでも懲りずに好きな気持ちを伝えて行く、真っすぐな円を沙耶は少しだけ尊敬していた。自分にはないものをもっているから。
「それで、どうしたの?」
「どうもしないわよ。あらありがと、ごめんね、みたいな顔をして終わり」
「馬鹿じゃないの? とは言わなかったの?」
「言う訳ないでしょ?」
 ばっかじゃないの、と握って少しぬるくなった缶を傾ける。
「私、学校ではそれなりにいい人で通ってるから」
「本当のことを言わないのをいい人とは言わないと思う」
「沙耶ならいうの?」
 問い返された言葉に、沙耶は少し悩み、
「馬鹿じゃないの? とは言わないと思う」
「ほらー」
 勝ち誇ったように円は笑った。それはいつものを彼女の笑い方で、少しだけ安心した。
「私ね、いい人だから、優しいから」
 頬に手を当ててわざとらしく、上品ぶった声を作って話す。
「だからきっと次あったら、おはようっていつもみたいに笑って、あんなことあったけどちゃんとお友達ですよー、っていう態度をとるの。本当は、これからも友達としてもよろしくって言われて、何勝手なこと言ってるの? って思ったけど」
「勝手?」
「勝手でしょ? 好きって言われて断ったら多少なりとも気まずい想いをして、向こうの都合で勝手にそんなこと言われて、なんで私があっちにあわせなきゃいけないの?」
「あー、まぁ、勝手かも?」
 でしょ? と首を傾げ続ける。
「私、優しいから」
「うん」
「当たられた壁も痛いんだけど、痛くないふりしてあげるの」
 そして、ゆっくりと円は微笑んだ。
「そういうの、得意だもんね。いいか悪いかは別として」
 宗主の娘、次期宗主という立場を守るために彼女がする演技を見ている沙耶は寂しそうに笑って答えた。
 円はよそ行きの笑みを作ったまま、一つ頷いた。
「でもね、沙耶?」
「うん?」
「当たられた壁も痛いんだけど、壁は一人でも寂しいから嬉しいことは嬉しいのよ。好きって言われて」
 沙耶は黙して答えない。円は気にせず続ける。
「だから、今後そういうことがあっても、傷つくのは違うからね?」
 優しく笑う円に
「ないと思うけどね」
 小さく返した。
「その時は、よくても悪くても話聞いてお酒飲んであげるから」
 明るく笑う。
「飲みたいだけでしょ」
 ばっかじゃないの? と小さく呟いて、それでも少し嬉しくて浮かぶ笑みを隠すためにミネラルウォーターを一気に飲んだ。