「お隣いいですかぁー?」 舌足らずな口調で言われてそちらを見ると、一人の女性が微笑んでいた。くるくると巻かれた明るい茶色の髪の毛に、ばしばし長い睫毛。ふわふわのミニスカートに、細い二の腕。それらを見ると軽く眉をひそめてから、 「ご自由に」 端的に返事をした。 我ながら冷たい声色だと思ったが、女性は気にせず隣に座る。 一人のんびりとバーで酒を飲みたい気分だったのだが。 「なに飲んでるんですかー?」 答えないでいると、 「じゃあ、同じの」 躊躇うことなく女はバーテンダーにそう言い、でてきたピンク色のカクテルを見て微笑んだ。 ああ、なんだか、むしゃくしゃする。 「あのさ」 「はい?」 「なんの用?」 訊いてからばかばかしい質問だったな、と思い直す。何の用かはわかっている。 「お一人だから寂しいかなぁーって思って」 女は笑う。 寂しい? ああ、寂しいさ。だからって心の空白を、あんたがうめられるとでも言うのか? 「あんたは?」 「私? 私も寂しいなーって思ってて」 一緒ですね、と女が笑う。 呆れてため息をつく。 飲み込むカクテルは少し甘い。 グラスが空になり、何かオーダーしようかと思ったが、ふっと思いとどまる。どうせむしゃくしゃしているのだ、憂さ晴らしに付き合ってもらっても罰はあたるまい。 いつの間にか俺の膝の上に置かれた右手に、そっと触れる。びくっと女の手が一瞬強張ったが、逃げたりはしなかった。 「名前は?」 「ナナコでーす」 ……また微妙な名前しやがって。 ナナコは、あなたは? とでも言うように小首を傾げる。 「京介」 「キョースケね」 伸ばして呼ぶな、不愉快だから。 「暇なの? 今日」 「ええ」 ナナコが微笑む。これから交わされる会話を理解して、想定しての微笑み。 「どっか別のとこ行かない?」 手をそっとひっぱって、顔を近づけると耳元で尋ねた。 ナナコはくすくすと笑ったものの、拒んだりはしなかった。 地下にあったバーから地上にあがる。右腕はしっかりとナナコにとられていた。 半ば先導される感じで、歩いて行く。 たどり着いたのは、御多分に洩れずラブホテルと呼ばれるものだった。 唇の端があがる。 言葉少なに部屋に入り、 「……ねぇ、キョースケ」 ナナコがそこで甘えたように名前を呼んでくる。 「名前を呼ぶな」 斬り捨てる。 こんなことなら偽名を使っておけばよかった。英輔とか、颯太とか、適当に名乗っておくべきだった。 「キョースケ?」 困惑したようなナナコの顔。 「どうしたの?」 言って俺の腕をひっぱるのを、軽く振り払い、面倒になってベッドに突き飛ばす。倒れ込んだナナコが一瞬怯えたような表情をして、そういう顔するなら最初からこういうことするなよ、とうんざりした。 「そこにいろ」 怯えたものの、別に立ち上がるとかしないナナコを放置して、ベッドから離れる。それから振り返って、一言つけたしてやる。 「あ、脱がなくていいから。見たくもないし」 ナナコが今度こそ体を起こしてぽかんとした顔をする。それがちょっと面白い。 「え、ね、キョースケ?」 背後からかけられるとまどったような声を無視して、ドアの前に陣取って、それが来るのを待つ。 足音が聞こえる。それがこの部屋の前に止まり、 「俺の女に何をぐぇっふ」 けったいな声をあげて、部屋に入って来たと同時に男が倒れた。 まあ、俺が蹴り倒したわけだが。 「ほらほらそこだと迷惑になるから入って入って」 襟首を掴んで持ち上げると、ベッドの方に投げ飛ばす。 「ひっ」 ナナコが小さく悲鳴をあげて、それを避けた。 「その手は桑名の焼き蛤ってな」 古いか。知らないか、最近の若いもんは。 「美人局だろ? わかってんだよ、最初から」 あんたらがテーブル席でその算段をしてたのも、ばっちり聞こえてたんだよ。小声だろうと、俺の聴覚は人よりいいんだ。さぞかし、体のいいカモだと思われたことだろう。声かけてからここまでの話がはやくて。 最初はシカトしてやろうかと思ったが、こちとら最近思いどおりにいかないことばかりでむしゃくしゃしてたところだ。憂さ晴らしをしたって、罰はあたらないだろう? 一組の犯罪カップルを撲滅できるわけだし。 ま、今更罰があたったところで痛くも痒くもないけど。 「てめぇ、何をしやがぐふぇ」 起き上がりだしたカレシの胸を蹴り飛ばし、再びベッドと仲良くさせてから、足をそのまま置いて体重をかけてやる。 「リュウジっ」 ナナコがカレシの名前を呼ぶ。……リュウジかよ、また嫌な名前だなぁ。 「今時、こんな古典的な美人局なんて流行んないって。やめとけよ。俺のこと、ひょろくて弱そうだから丁度いいって言ってたけど、現実こんな目に遭ってるわけだろう? 人は見た目によらないんだって」 話し合いの最中の言葉を告げてやると、露骨に顔色を変えた。 人は見た目によらないし、たまに人じゃないのも紛れているしな。 足で押さえつけてるのもつらくなったので、上体をかがめ胸倉を掴み、膝で腹のあたりを押さえつける。ぐっと声が男の口から漏れた。 「さって、どうする? このまま警察につきだされるのと、俺にぼっこぼこにされるのとどっちがいい?」 今俺、超機嫌悪いんだよねーと続けると、男の顔が真っ青になった。 今までさぞかしこの美人局に成功してきて、痛い目を見たことがないのだろう。だからこれぐらいのことですぐにへこたれる。 「とりあえず、もう二、三発、殴っとこうか?」 微笑みながら告げると、ぶんぶん顔を横に振られた。 「ご、ごめんなさい」 「ごめんですんだら警察はいらないなぁー」 「あ、あのっ」 「っていうかさ。俺、思ったんだけど。女使って不法に金稼ごうとするなんてクズじゃん? そんなクズが生きている意味とかある? なくない? すぱっとさくっと、いなくなった方が地球のためなんじゃないかな」 ひっと誰かが悲鳴をあげた。男か女か、どっちがあげたのやら。 「うん、そうしよう。それじゃあ」 言って右手を握ると振り上げる。悲鳴。男が目を見開く。そのままそれを勢いつけて振り下ろした。 ぽすっと軽い音がする。 俺の拳は、男に顔の横、ぎりぎりのベッドに叩き付けた。 「……マジで殴るわけねーだろ」 本気で怯えた顔にうんざりする。 「これに懲りたら二度とこういうことすんじゃねーぞ」 言いながら男の上においていた膝をどかしてやると、 「ひっ」 男は軽く悲鳴をあげ、 「す、すみませんでした」 と頭を下げ、世界新記録が出そうな速度で部屋から出て行った。 置いてくなよ、女を。 その後ろ姿にため息をつく。 ああくそ、むしゃくしゃした気持ちがちっとも晴れやしない。なにやってんだ、俺は。こんなことして、気持ちが晴れるわけないことぐらい自分でわかっていただろうに。 うんざりしてため息をつく。 それから、 「あとさ、あんたも」 ナナコの方を向くと、怯えたような顔をされる。それにもう一つ溜息。 「DV男と付き合って、自分を安売りするような真似すんなよ。ばかじゃねーの?」 「……なんでっ」 一瞬の間のあと、ナナコが声をあげる。 「何がなんで? ……ああ、DV?」 尋ねるとナナコが一度頷く。 「その腕の根性焼き。隠れてない」 細い腕を指して言うと、今更ながら腕を抱いて隠すようにした。 「ほんっと、土壇場で女置いて逃げるし、いいとこ全くないし、別れた方がいいよ」 そう忠告して立ち去ろうとしたら、 「ねぇ」 声をかけられた。うんざりして振り返る。まだなんかあんの? 「じゃあ、私を連れて行って」 「……はぁ?」 何を言い出すんだ、こいつは。 「私、一人じゃ生きていけない」 上目遣いで言われる。 ああ、なるほど。次の寄生先に選ばれたわけか。 「大丈夫だって。一人でどうにかなるさ」 何が悲しくて、そんな隷属する生き方ばかり選ぶかねぇ。 呆れながら言うと、ナナコは露骨に不愉快そうな顔をした。 「じゃあ、なんで助けてくれたのよ」 不満そうな口ぶりで言われる。 「私のこと、好きだからじゃないの」 付け足された言葉に目眩がする。どうしたらそんなに思いあがれる。 「勘違いするなよ」 体ごと完全に向き直る。 そりゃあ、見た目だけなら割とタイプさ。だって、あいつに似てるんだから。 「あんたを助けたのは、あいつに似ている見た目してるくせに他人に隷属して生きているあんたが、不愉快だったからだ」 一瞬、重ね合わせてみてしまったから。それだけだ。 「……恋人?」 ナナコが伺うような目線で問いかけてくる。 「ああ」 俺は一つ頷くと、 「愛してる」 付け足した。 例えもう、会えなくても。 まっすぐにこたえたからか、ナナコが軽く目を見開いた。からかいたいならからかえばいいさ。 でも、ナナコは予想に反して柔らかく微笑んだ。 「いいね、そういうの」 どういうのだよ。 「素直に愛してるって言える関係」 本人になかなか言えなくて苦労したんだがな、こっちは。第三者相手だから言えたことだ。 「……ねぇ、がんばってればそういう相手見つかるかな」 「どういう?」 「暴力とかお金とか関係なく、私のこと愛してくれる相手」 「普通はな、そういうのないんだぞ?」 呆れながら告げる。 感情だけはがんばればどうにかなるなんていう、簡単なものじゃない。それでも、 「今のままでいたら見つからないことだけは確かだな」 少しだけ笑ってみせると、ナナコは真面目な顔で頷いた。 「じゃあ、一人でもがんばる」 素直な言い方に、口元が緩む。 「おー、がんばれ」 そのまま普通に笑ってみせると、 「ね、がんばるから、キスして」 上目遣いで微笑みながらお願いされた。 「……俺の話聞いてた? 好きなやついるんだってば」 なのになんでそういうこと言うんだよ。 「でもここにいないじゃない。ばれないばれない」 「あのな、そういう問題じゃ」 「暗闇でキスして?」 ナナコがさらっと告げた言葉に黙る。 「飲んでたでしょう? さっき」 言われて肩をすくめる。 「ふてぶてしいね、あんた」 「よく言われる」 「じゃあ、一人でも大丈夫だよ。がんばれ」 言いながらも、まあ、少しぐらいサービスしてやってもいいかなという気分になった。 「がんばれるな? 一人で」 「うん」 「じゃあ、しょうがない」 生きていく糧を奪ったことは確かなのだ。ここまで彼女が頼って来たものを奪ったのだ。未来ある若人が真っ当な道を行くことを手伝うことは、まあ、年寄りの義務だろう。 「目、つぶれ」 そういうとナナコが素直に目をつぶる。 スイッチを探して、電気を消す。 「え、あれ?」 気配を感じたのか、ナナコが目をあける。 「とじろってば」 「真っ暗!」 不満げな声に、 「暗闇でキスだろ?」 からかうように告げる。 ナナコがふくれるのが見えた。 おそらく向こうからこちらは見えていないだろう。でも、俺の人よりいい視力はきちんと見えている。 「ほら、目」 促すと、しぶしぶと言った体でナナコが目をとじた。 手を伸ばし、頬にあてる。 そして上体を屈めると、額にそっと口づけをし、返事も待たずに足早に部屋を後にした。 残されたナナコがどうするか、っていうところまでは俺の知ったこっちゃない。これでもだいぶ付き合ってあげて、優しいと思う。 ラブホをでて、来た道を戻る。 まったく、予想外の事態だった。 まあ、ココ似の子が幸せになるのならば、それはそれでなんとなく俺も幸せだからいいのだが。 さて、どこかで飲み直そうか。 明日は旧友の最後の一人に会いに行く予定だ。一人でじっくり飲むなんて、今やっておかないと。 そう決めると、どこか適当な店を探しはじめた。 |
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