一海の客間に円はいた。
 今日はこれから人と会う約束をしている。
 時計を見る。もうまもなく、約束の時間だ。
「円様」
 タイミングよく、廊下から声をかけられた。
「渋谷様がいらっしゃいました」
「通して」
 時間どおりだ。
 使用人に連れてこられた男は、
「ご指名どうも、女王陛下」
 相変わらずの軽薄さで片手をあげた。それに思わず苦笑する。
「ご足労をおかけして申し訳ないわね、名探偵殿」
 だからこちらも以前と同じ、軽薄な調子で返した。
 それに男は楽しげに笑った。

 円の目の前に腰を下ろした男の名前は、渋谷慎吾。
 直純の大学の同期だ。その縁で円も知り合いである。相手が一浪しているから、年齢は一緒だし、性格が似ている部分があって意気投合した。
 出されたお茶を飲んで一息ついてから、
「円、髪切った? さすが、なにしても似合うね」
「どうもありがとう。貴方も相変わらず背後に怨念背負って生きてるのね」
「まぁ、名探偵の宿命、的な? 犯人暴くと恨まれるからねー」
「ばーか、女のよ。別れるなら綺麗に別れなさいな」
「最近はちゃんとしてるよ」
「最近は、とかつくとこがダメなんだって」
「ひとのこと言えんの?」
「お別れはちゃんとしてるわよ、私は」
「ふーん、で? いまは? 俺はひとりにしぼったけど?」
「ちょっと、私は付き合ってるときはいつも一人よ。一緒にしないで」
「続かないだけでねー」
「お黙り!」
 ぽんぽんと小気味よくやりとりを終え、お互いに自然に笑みがこぼれた。
「ちゃんとやってるの? 探偵」
「おかげさまでー」
 へらっと笑う。
 卒業後の進路は探偵、などと言って、自身も決して堅気の職業ではない直純や円を驚かせた。が、うまくやっているらしい。
「まあ、貴方ならうまくやってるでしょうけどね」
 学生時代から顔の広さやネットワークで、色々なことをやっていたし。
「そっちは? なんだっけ、調律事務所だっけ? あれ畳んで実家帰って来てるってことは、実家継ぐの決めたの?」
「実家継ぐのは前々から決めてたわよ」
「ああ、覚悟を決めたんだ」
 微笑んだままさらりと言われた言葉に、肩をすくめる。正直な男だ。そして柔軟性に富んでいる。
 一海のことを話しても引かずに受け入れた、数少ない人間だ。昔から直純に会うためにちょくちょく一海に出入りしていることから考えても、剛胆としかいいようがない。
 だから、友人として付き合いを続けることが出来た。
 惜しむべきは、やや女性関係にルーズなことか。
「というか、ねぇ、後ろのソレ、冗談抜きで平気なの?」
 怨念背負って生きている、という発言は比喩ではない。呪いのようにまとわりついている。まあ、自身でも言っていたように、女関係だけではないものもあるようだが。
「ん? 別に。俺、見えないからよくわかんないし」
「見えなくてもなんらかの不調をきたしそうなもんだけど」
「健康優良児だよ」
「知っている」
 バカは風邪をひかないからね、と続ける。
「なんかないの、おかしいなって思うようなこと」
「ないなー。……強いて言えば、周りの皆に、お前の行く先々に死体があって困るとか言われるけど、それは名探偵の宿命だからなぁー」
「……なんなのよ、その名探偵の宿命って」
 あっけらかんと言われると、どこまで本気なのかわからない。
「……まあ、いいなら、いいけど」
 頼まれていないのに祓うことはしない。
 それは元々の円のポリシーでもあるし、以前言われたのだ。これは贖罪なのだ、罪の重さなのだ、と。自分が寂しいからと好き勝手に色々な女性にちょっかいをだしてきたのは自分で、そのツケなのだから甘んじて受け止めなければならないのだ、と。そう言われた。それがいつもへらへらしているこの男らしくない、嫌に真面目な顔だったのでよく覚えている。
「マジでやばくなったらいつでも言いなさいよ。直にでもいいから」
「わかってるよ。そしたら頼むって」
 どうだか、と内心では思う。この男が、他人に弱みを見せるわけがないのだ。自分と似ているからよくわかる。この男が弱みを見せるのは、世界中でただ一人だけ。心を許した、あの女性だけ。
「うまくいってんの? 例のカノジョとは」
「おかげさまでー」
 心底嬉しそうに笑う。
「そっ」
 よかったわね、と素っ気なく頷いた。
「もうね、超可愛いよーこの前もね」
「惚気はいいから」
 それを遮る。これがはじまると話が長いのだ。
 探偵の仕事を始めるころ、今までだらだらと続けていた女関係を半ば強引に清算して、本気で付き合いだした、大本命の彼女。たまに会うたびに惚気られては、たまったもんじゃない。
 大体、私に対してよくそんな、なんでもないような顔して惚気話ができるわよね。普通無理でしょ。どんだけ鉄の心臓してんのよ。
 と思ったものの、顔には出さない。
「本題、はいるわよ?」
「え、ああうん、そうだった。茶、飲みに来たんじゃなかった」
 間抜けなことを言いながら、慎吾が居住まいを正す。
「仕事の依頼、だよね」
「ええ」
 頷くと、持っていた封筒から写真を一枚だす。ついでに書類を幾つか。
「この人の、素行調査をお願いしたいの」
「誰?」
「沙耶のカレシ」
「……沙耶ってあの、妹ちゃん?」
 意外そうに語尾があがる。
「へー、これが。なかなか男前じゃん、やるねぇー」
 ひゅぅっと口笛を吹く。オヤジか。
「で、なんでそんな人、ええっと榊原龍一さん? の素行調査を? つーか」
 一緒に差し出した書類を眺めながら、
「大体調べてあんじゃん」
「それは昔、彼がクライアントだったときに調べたものよ」
 こっくりさんの一件を思い出して、少し懐かしくなって微笑む。
「ふーん。じゃあ、クライアントとくっついたんだ? つーか、若いなっ、まだ大学生かよっ」
「……若いわよねー」
「なー」
 なんとなく二人で溜息。
「それで、なんで?」
「……あなた、いつもそんな感じで仕事してるの?」
 適当接客にも程があるだろ。
「まさか。マジなクライアントにはもっとちゃんとやってるよ」
「でしょうね」
 それもなんとなくわかる。似たような性格だから。
「結婚の話とかがね、いずれでてくるかもしれないでしょう。まあ、龍一君まだ未成年だし学生だけど」
「ああ、なるほど。結婚前の調査って多いもんね。でも、円も知ってる子なんだろ? わざわざ調べなくてもいいじゃん。つーか、自分でやればいいじゃん」
「龍一君がいい子なのも知っているし、反対するつもりなんて毛頭ない。寧ろさっさとすればいいのにって思ってる。あと、調べようと思ったら自分でも出来るわよ、そりゃあ」
 一口お茶を飲んで、のどの渇きを潤す。
「だけど、調べ方が違うでしょ、私と慎吾とじゃ。私はその辺の幽霊とっつかまえて聞き出すぐらいしかできない」
「俺、それできないからもっと誇っていいと思うよ。つーか、それできたら便利だよなー」
「言うこと聞いてくれるようなやつばっかりじゃないから、そんなに使い勝手はよくないわよ」
「なんだ、残念」
「じゃなくって」
 どうもこの男と話していると、話が横道にずれまくる。
「人に聞いて調べるっていうのが出来ないから。それをあなたにお願いしたいわけ」
 得意分野でしょう? と続ける。
「そりゃあね、それが一応仕事だからね」
「それから、龍一君の家の過去について、遡ることもできるでしょう?」
 どうやってやるのかは知らないが。
「勿論、お望みとあればどこまでも」
「龍一君がいい子なのはよく知っているし、あの子になら沙耶を任せられる。だけど、それはそれとして、念のため調べておきたいのよ。龍一君の親族関係、特に霊的な方面について」
「や、霊的な方面は俺調べられないよ?」
「親族情報さえ拾って来てくれれば、あとはこっちで出来るからいいのよ」
「ああそう。俺、下調べってわけね」
「ご不満?」
「いえ、全然? 不満じゃないけど、なんで霊的な話調べたいの?」
「……沙耶の生い立ちの話は軽く、したでしょう?」
「聞いたね」
「将来、子どもが生まれるかもしれないでしょう?」
「だね」
「大丈夫だとは思っているんだけれども……。それでも一応、あの子の龍がその子どもに遺伝しないかどうか、調べておきたいの」
 龍一の霊視能力は後天的なものだったし、こっくりさんに憑かれたことが原因だ。霊的な素養は低いと言っていい。そこまで心配はしてない。それでも、
「あの子の親族を辿って、霊的なことに近しい家系だったとしたら」
「……一海みたいな?」
「そう。そしたら、遺伝する可能性がでてくることもある、わけ」
「ふーん」
 わかったのかわかっていないのか、慎吾は一つ頷き、
「それを調べておきたいってわけね」
「そう」
「一つ聞いて良い? それで、遺伝の可能性とかあるってわかったら、円はどうするの?」
 軽い口調のまま尋ねられる。けれども、目はさきほどよりも真剣な色を帯びている。返答次第では引き受けない、とでも言いそうだ。だから返答に少し気を使った。
「対処する。まずは遺伝しないように。それが駄目で遺伝してしまっても、沙耶と同じような目に遭わせないように、龍を抑え込むことを幼少期からちゃんと行っていく。もう二度と」
 まっすぐに慎吾の目を見つめた。
「失敗しないために」
 慎吾はまっすぐ円の目を見つめ返し、
「そっか」
 しばらくの沈黙のあと、ふっと空気が抜けるように笑った。
「なるほどね、円らしいや」
 慎吾はテーブルの上に置いた写真や書類をまとめはじめる。
「もしも、妹ちゃんと彼を結婚させないとか言い出すんだったら、なんかむかつくから引き受けるのやめてやろうかと思ったけど。そういう理由なら、うん」
 一つにまとめた書類を、指で軽く叩いた。
「引き受けましょう」
 そう請け負った声は、いつもと同じ軽薄なものだった。
「……ありがとう」
 そっと息を吐きながら、円は頷いた。慎吾がそれをうけてへらりと笑う。
「いーえー、それで報酬についてだけど」
「ああ、金額だしたらメールして。振り込むから」
「って目安とかいいわけ?」
「あんたのとこの料金体系昔聞いたし、覚えてるし」
 直純がだけど。
「あ、あれから変わった?」
「いや、面倒だから変えてない」
「でしょうね。あんまりにも費用かかるようだったら別途連絡して」
「へいへい」
 あっさりしてんなー、などと言いながら、慎吾が封筒に書類をしまい、それを自分の鞄にしまった。
「あ、一個聞いて良い?」
「なに?」
「まあ、円が認めたってことは平気なんだろうけど。その、榊原龍一君? は、平気なの?」
 一瞬何を言われたのか悩み、
「ああ」
 頷いた。今更当たり前過ぎる質問だった。
「あの子は平気よ。見えてるし、受け入れている」
 霊的なことを。
「少し、あんたと似ているわね」
 恐れること無く出入りしている慎吾と。
「ああ、俺に似てるんだ。じゃあ、いい男だね」
 躊躇い無くそう言うと、慎吾はにっこりと笑う。
「ばーか。あんたなんか比べ物にならないぐらいいい男よ。二股かけたりしないしね」
 にっこり言いながら斬りつけると、慎吾はわざとらしく心臓を押さえた。ぐっとうめき声を漏らす。
「そいつは言っちゃあいけないよ、円」
「ああそうね、二股どころの騒ぎじゃないものね」
「昔の話だってば」
「知ってる」
「……まだ怒ってるの?」
 伺うように尋ねてくる。少し情けない言い方。でもそれ、演技でしょう? 自分がそういう態度をとったら、女が本気で怒れないって知っているからでしょう? おあいにく様、その手にはもうのらないの。
「やだ、なに言ってるの」
 だから微笑みながら答えてあげた。
「怒っているに決まっているじゃない」
「……ですよね」
 しゅんっと慎吾が肩を落とす。
「だってね、渋谷慎吾」
「フルネームで呼ぶなよ、こえーよ」
「この私に、遊びでちょっかい出して来た男なんて、あとにも先にもあんただけよ」
 まったく、呆れてしまう。
 大学生のころのこと。直純の友達だし、幽霊のことも受け入れていたし、性格も似ているし、いいやつだと思った。言い寄られて悪い気はしなかった。本命じゃなくて、遊びの相手で、もうすでにそういう関係の女性が何人も居るって知らなければ。
「それに関しては、本気で、マジで、申し訳なかったと思っている」
 怨念を背負った男が頭を下げる。
「……あんたが申し訳なかったと思っているのも知っているし、あの頃のあんたが病んじゃっててそうでもしなきゃいけなかったことも知っているけどね」
 ため息をつく。
 家に反発して、医師の家系として当然進むべきとされていた医学部を蹴って一浪して法学部に入って、それをきっかけに家を追い出されて。他にも色々ごたごたしていたのは知っている。家族の愛というものに、絶望的に飢えていたことを知っている。
 だから、友達としての付き合いは続けている。
 ……幸いにして、本格的に付き合う前だったから傷は浅いし。
「あのときはさ」
「ん?」
「直に超怒られたんだよね、俺」
「ああ」
 苦笑する。
「病院送りの一歩手前ね」
「そうそう。あいつ、怒るとこえーのな」
「知ってる」
 よく怒られているから。
「その、怒ると怖い直も、もうすぐ帰ってくるんだけど。この後、時間ある? っていうか、あんたのことだから空けてきているでしょう?」
「さっすが、俺のことよくわかってるね。飯、行くかなーと思って」
「さすが、私の誘いもよくわかっているのね」
 巫山戯て言い合って笑う。
 この距離感は嫌いではない。
 この男と、恋人同士にならなくてよかったな、とこういうとき思う。そしたら、友達には戻れなかったかもしれない。友達として付き合いを続けられていてよかった。
 それに、もし恋人になって別れないままずっと続く、なんていうこともなくてよかったと思う。だって、
「そういやさ、円、今いるの?」
「カレシ? いないわよ。……っていうか、よくずけずけと聞けるわねあんた」
 沙耶だって直純だって、聞いてくるときはおっかなびっくりなのに。
「それが俺の持ち味だから。つーか、なら、紹介しようか」
「男を?」
「そ。捜査一課の刑事さんとかどー? 直とタメだよ。ちょっとぼけてるけど根はいいやつだよ、俺と付き合い続けてられるしここまで」
「あら素敵って、それ譲くんのことでしょう?」
 呆れて笑う。
 直純と慎吾と同期の青年のことを思い出す。
「あれ、ばれた。いいやつだよ、あいつ」
「いい子なのは知ってるけど、ぶっちゃけ好みじゃないわねー。それに、大丈夫。紹介してくれなくって」
 にっこり微笑む。
「私ね、今待っているの」
「待ってる? 何を?」
「いい男になるのを」
 二年だけ待っていてください、言葉が脳内に蘇る。
「は?」
 慎吾が怪訝そうな顔をする。
「楽しみよねー」
「え、何が?」
 約束の二年まであと半年だ。まだまだ頼りないけれども、新たな恋人を探さない程度には期待している。この目の前の男と、恋人になって、それが今まで続いてなくってよかった、なんて思う程度には。
「円?」
 廊下から声をかけられる。
「失礼」
 襖を開けてあらわれたのは、直純だった。
「おー、直、久しぶり」
「悪いね、慎吾。ご足労頂いて」
「いいえー。ご依頼、ありがとうございます」
 言いながら、円と慎吾も立ち上がる。
「ご飯、どこ行くー?」
「いつものとこでいいんじゃない?」
「おっけーおっけー」
「あ、そういえば慎吾知ってる? 直ってば、カノジョできたのよぉー」
「ちょっ、円!」
「え、マジでっ!? ああそっか、妹ちゃんに恋人できたんだから、そうだよね。そっかそっか、シスコン脱却おめでとう」
「シスコン言うなっ!」
 三人で昔のノリでわいわい言いながら、客間を後にした。

過去が横たわる部屋