ああ、綺麗な人だなと思った。
 恋人と別れて、傷心というわけではないけれども、それでもどことなく低いテンションだった。
 そのまま一人暮らしの……、そう、今日からは一人暮らしの家に帰るのは気が引けた。
 だから、喫茶店で意味もなく時間を潰していたんだ。
 外を見ていたら、歩いている女性が眼に止まった。

 白い肌の綺麗な人だった。
 黒い服を着ていて、そのコントラストが眼に焼きついた。
 ああ、綺麗な人だなと思った。

 女性は視線に気付いたのか、こちらをみると微笑んだ。
 思わず頭を軽く下げる。
 女性は再び歩き出そうとし、何を思ったのか僕は、慌てて立ち上がると会計を済ませ、店を飛び出した。
 珈琲はまだ、半分以上のこっていたのに。

「あのっ!」

 走って先ほどの女性に追いつくと、叫んだ。
 彼女は振り返り、小首をかしげて笑う。
「何か?」
「その、時間があったら一緒にお茶でもどうですか?」
 何も考えずにそう言ってから、これじゃぁただのナンパじゃないかと思った。
 もっとも、何か言いたいことがあったわけじゃなくて、とっさに追いかけて呼び止めてしまっただけなんだけど。
 彼女は微笑んだまま言った。
「ええ、構いませんよ」

 どうして、こうなったんだろうかと思う。
 別に何かを思っていたわけじゃない。
 ただ、思わず呼び止めただけで、
 でも彼女はついてきた。
 こちらの視線に気付いて、彼女は小首をかしげる。
 慌てて僕は視線を逸らした。
 彼女の名前は聞いていない。
 何故か、聞く必要性を感じない。
 彼女も僕の名前を聞いたりしない。

「帰らなくてもいいのですか?」
 彼女が言った。
 僕は首を横に振った。
「誰か待っている人がいるわけでもない。君は?」
 彼女は曖昧に微笑んだ。
「帰らなきゃいけないなら、帰らないと」
 彼女と離れたくないという気持ちと、これで終わりに出来ると言う気持ちが、脳内で反発しあっている。
「そうですね……」
 彼女は窓の外を見ながら呟いた。
 雨が振り出していた。
「……一度、私の帰る場所へと来てくれませんか?」
 彼女の言葉は明らかに何かがおかしかったけれども、
「ああ」
 僕は何の疑問も抱かずに頷いた。

 雨の中、傘も差さないで彼女は歩く。
 僕はそれに続いた。
 傘を買おうと僕は言ったけれども、彼女はそれを拒んだ。
 だから、僕も強く何かを言うことは無かった。

「ここ、なんですけど」
 そういって彼女が言ったのは、細い裏路地だった。
「……家は?」
 いくつか一軒家があったので聞いてみた。
「いいえ」
 彼女は首を振った。
 ふと、僕は、角に花束が添えられているのに気付いた。
「ここが、私の還る場所なんですけど」
 そういって小首をかしげる。
「ちょっと、交通事故なんかに遭っちゃって」
 彼女は微笑む。
 僕は濡れた前髪をよけながら彼女を見る。
 そういえば、彼女はまったく濡れていない。
「まぁそれは不注意だったんですけど、でも一人で還るのは少し寂しいから、誰か来てくださらないかと思って」
 そういって彼女はもう一度首をかしげた。
「ねぇ、私のこと、好きですか?」
 僕は、何も考えずに頷いていた。
 でも、それは事実だった。
 あって少ししか経っていないのに、僕は、別れた恋人よりも彼女のことを愛していた。
「よかった」
 と、彼女は本当に綺麗に笑った。
「でしたら、一緒に還ってくださいます? 大丈夫、すぐだから」
 僕は、答える代わりに彼女にキスをした。
 何でも良かった。
 もう、どうでも良かった。

「さぁ、一緒に」
 唇を離すと彼女はそう言って、手を差し出して悠然と微笑んだ。

「逝きましょう?」

 僕は気付いた。
 誘ったのは僕じゃない、彼女だったのだと。

   そして、僕は、何の迷いもなく、彼女の、手を取り、
 そして、