「ここなちゃん、最近ご機嫌だねー」
「えー、そうですかー?」
 常連の言葉に、ここなはいつものように微笑んで、首を傾げた。
「なんか楽しそうだよー。いいことあった?」
「えー、新山さんが良く来てくれるからかなー」
 はいっと、水割りを手渡す。
「またまたー」
「あー、あとは」
 小首をかしげて、自分が機嫌のいい理由を思い浮かべる。本当に嬉しくて笑みがこぼれた。
「美味しいお惣菜のお店、見つけたから。最近、食生活が充実」

「俺はデリカテッセンか」
 朝食の鮭をほぐしながら京介が言った。
「だってー、美味しいレストランにしたら同伴かアフターで行こうとかになりそうだし、心中相手が見つかったなんて言えないしー」
 ほうれん草のお味噌汁を一口飲み、ここな。
「そりゃそうだろう」
「それで指名減ったら困るから。恋人が出来たからって」
「え? そういう? 人としてドン引きされそうとかじゃなくて? ってか恋人じゃねーし」
「だって、私のお客さん、私の名前に同情してる人が殆どだし、趣味趣向を愛してくれてるし」
「どんな客でどんな店だよ」
 苦々しく呟く。
「不幸は明るく話せば笑い話になるの、知らない?」
「だからって」
「さすがに誰にでも心中して、ってお願いしているわけじゃないから安心して」
 私には貴方だけだから、と囁くように告げると、京介はうんざりしたような顔をして、五穀米を頬張った。

 京介がここなの家に住むようになって、かれこれ一カ月が経った。
 今や立派なヒモである、と京介は自負している。まったくもってすべきではない自負だが。
 京介が家事を引き受けていることの報酬、という名目で金銭まで受け取っている。それは完全なるお小遣いではないか、と思う。
 あとは多分、心中しない代わりに家事を引き受けるという京介の提案を、家事の対価としての金銭を支払うという形で却下したものだろう。
 二言目には、「心中してくれる気になった?」だから困ったものだ。
「まだ恋仲になっていないだろ?」
「それもそうね。でも、私、京介のこと好きよ」
 というのが、最近のお決まりのパターンだ。
 さっさと出て行こうと思っていたのに、ずるずると居座っている。
 ここなは何を作っても美味しいと、幸せそうな笑顔で食べてくれるから作りがいがある。
 三食作って、掃除洗濯など一通りこなすだけでいい、という生活は家事全般が割と好きな京介にはありがたいもので、楽な生活だった。
 懸案事項だった洗濯も、下着類だけはここなが自分で洗う、でけりがついたし。
 二言目には心中をほのめかすが、心中希望者であるという点を除けば明るい性格も、顔も、京介の好みである。
 でも、なによりも一番の理由は、
「ほっとけないもんなー」
「ん?」
「なんでもない」
 そう? とここなは首を傾げた。
 明るくて朗らかな性格も、ちょっとだけひねてはいるけれども、すぐに気を取り直すところも、ここなはの良いところだと京介は思っている。
 でも、それと同時に、あまりにもすぐに機嫌を直す事に戸惑っている。
 一カ月の間、京介はここなの笑顔以外の表情を見た覚えがない。確かに、頬を膨らませて拗ねたり怒ったりした顔は何度も見た。
 けれども、それは一種の演技のような、パフォーマンスのようなもので、感情に左右された表情の変化ではない、と思う。でないと、あんなにすぐに微笑めないし。
 それはとても、危ういものだと思う。
 心中相手が見つからなくても、いつかすぱっと自殺してしまいそうで怖い。
 一緒に心中する気も、恋仲になる予定もないし、ここなの自由気ままな行動に振り回されてはいるけれども、それでも、京介はここなに自殺されたら困る。良心が咎める。悲しいと思う。
 それぐらいの情は移っている。
 ごちそうさま、と両手を合わせたここなを見ながら思った。
 そしてそれは京介にとって、ここに留まらせるに十分な理由だった。
「あ、そうだ、ココ」
 食器を台所に下げ、緑茶をいれて戻ってくると京介は言った。
「うん?」
 ソファーにあぐらをかいてテレビを見ていたここなは、声だけで答えた。
「花火、見に行こうか」
「花火?」
 顔が京介に向けられる。その隙にお茶を渡した。
「花火大会、あるんだって?」
 ソファーの背に体を預け、問う。
「あー、市のね。そうそう、土曜日だっけ?」
「うん。いつもの八百屋のおばちゃんに教えてもらって」
「すっかり顔なじみだねー」
 誰とでも仲良くなれるのは才能だよねーとかいいながら、ここながお茶を啜った。
 実際、この一カ月で近所の商店街の皆さんとは仲良くなった京介である。
 それなりに人懐っこい性格と、毎日新鮮な食材を買い求め、料理の話題で盛り上がったことがその要因だ。
「あ、そうそう。八百屋のおばちゃんの紹介で、喫茶店手伝うことになった」
「ん? 喫茶店とかあったっけ? 商店街だよねー?」
「あるある。なんかこう、割とレトロな感じの」
「ああ。ちょっとドアとか開くの? みたいなところね。あそこ、営業してたんだ。潰れているんだとばっかり」
「……これから働くからあんまり言わないでくれる?」
「ごめんごめん。でも、手伝うって、バイト的な?」
「うん。今マスター一人しかいなくて、マスター結構なご老人だし」
「八百屋さんの紹介?」
「そう、何故か俺、商店街の皆々様に絶大な信用を置かれているし」
「キョースケ、良い人だもんねー。優しいし。これで心中してくれたら、申し分ないんだけど」
「しないから」
 さらっと流す。かっこいいとか良い人とか好きだとか、そういう単語に過剰に反応しないようにはなった。
「ふーん、でも、よかったねー。キョースケずっと家にいても暇でしょ?」
「……反対しないんだ?」
「なんで? しないよー」
 当たり前のようにここなが笑う。
 ほんの少し、反対されるかと思っていた。
 自分で財力を身につけたら、よりいっそう簡単に逃げ出せるようになってしまうから、この小さな鳥籠から。
 それは考えつかなかったのか、それとも考えた上で京介を信頼しているのかはわからない。それでも、少しでも変な事を考えたことをこっそり胸中で謝った。
「で、ええっと? なんだっけ? 花火大会?」
「っと、ああそうそう」
 話がずれてきたことを思い出し、本筋に戻す。
「行かないかなーって。せっかくだから」
「行くー」
 ここなは片手を高くあげて、返事をした。
「キョースケが誘ってくれるとかはじめてじゃない? 絶対行くー。浴衣着ようっと」
 はしゃいだ声をあげて、勢いをつけてソファーから立ち上がる。空になった湯のみを、京介に手渡す。
 そのままはずむように寝室に歩いて行き、がたがたとタンスを開ける音がする。
 喜んでくれたようでよかった、とひとまず安心していると、
「キョースケも浴衣ねー!」
「は?」
 ドアの向こうから聞こえて来た声に、すっとんきょうな声を返す。
「持ってないし……」
「買ってきてさー」
「着付けできないし」
「私、男の人も着付けできるから大丈夫」
 なんでそこだけ無駄にハイスペックなんだよ。
「……恥ずかしいし」
「平気平気」
 ここながドアの隙間から顔をのぞかせた。
「絶対約束」
 弾んだ声と満面の笑みで言われて、京介は嘆息しながらも頷いた。
 ほら、振り回されている。