容疑者としてあがったのが、硯さんの両親だった。
 両親ともに小学校教師で、被害者は夫の方の教え子一家だったという。今で言うところのモンスターペアレントで、だいぶ振り回されていたらしい。
 理不尽な要求に、夜中に家に呼び出されることも度々あったそうだ。別の小学校の教師である妻の方も、「お前も教師なら来い」とかよくわからない理屈で度々呼びつけられていたらしい。
 事件当夜も、呼びつけられていた。
 なるほど、私が担当の警察官でも怪しいと思うだろう。動機もある、アリバイはない。家に行ったところは目撃されている。
 決定的な証拠が見つからず、逮捕にまでは至らなかった。
 ただ、任意ではあるものの度重なる事情聴取。
 夫の方はもちろん、妻の方も学校からしばらく来るなと言われた。まあ、そうだろう。その心境は理解できる。
 家に押しかけてくる報道陣。近所からの冷たい視線。罵倒の電話。いやがらせの手紙。家の壁への連絡。何度もやってくる刑事。
 そういった光景は容易に想像できる。それに、心が折れてしまうのも、理解はできる。
 だけど、あんまりじゃないだろうか?
 たった一人の娘を残して、二人そろって首を吊るなんて。
 いかなる理由があろうとも、子供に手をかける犯罪は嫌いだ。無理心中に失敗して、親だけが生き残った事件なんてヘドがでる。
 だけど、子供だけを残して逃げるだなんて、最低最悪だ。そんな状況下で、残された子供がどうなるか考えなかったのだろうか?
 この話を思い出すたびに、腸が煮えくり返る。
 さらに最低で最悪なことに、その両親の遺体の第一発見者は、当時七歳だった硯さんだったのだ。
 普通、子供がいる家で夫婦揃って自殺とかする? まあ、自殺するということは精神状態が普通じゃなかったのだろうけど。それにしたって、子供を親戚の家に預けるとか、そういう最低限のことはしてからにしろよ、と思う。
 パニックになって家を飛び出した彼女を助け、警察に通報したのが家を張っていたマスコミ関係者というのは皮肉だ。
 そして、警察が来る前に家の中に入るチャンスがあったため、一部の心無いマスコミのせいで彼女の両親の死体の写真は一部のアングラ雑誌に載ったりした。今ほどインターネットが発展していなくてよかった。
「犯人だから自殺して逃げたのだ」
 世論は最初、そう言って硯夫妻を責め立てた。死者の過去を暴き、晒し、面白おかしく報道した。
 一週間後、真犯人が警察に逮捕されるまでは。
 そこからは手のひらを返したように、真犯人が硯夫妻も殺したかのような報道を始めた。当時の雑誌を見ると露骨な方向転換に笑いがこみあげてくる。
 硯なんて珍しい苗字だから、検索すれば法曹関係者じゃなくてもすぐにこの事件に行き当たるだろう。ここまではちょっと調べれば誰でもわかることだ。
 でも、たった一人、残されてしまった子供のことは調べてもなかなかたどり着かない。最初のころこそ、週刊誌などで取り上げられていたが、ある時期からパタリと情報が止まっている。もちろん、そちらの方がいいに決まっているんだけど。その子の将来のことを考えれば。
 情報を止めたのが、あの渋谷慎吾の祖父だ。
 ここからは、話好きの上司が酔った時に教えてくれた。別に、教えてくれなくてよかったんだけど。同期のそんな事情、知りたくなかった。
 両親の自殺のあと、親戚の家に預けられた硯さんに、親戚の風当たりは強かった。その段階ではまだ犯人は硯さんの両親だと思われていたし、迷惑をかけられたという気持ちがあるのは理解できなくもない。
 だけど、家の周りをマスコミに連日囲われて、急に学校に通うことも禁止されて、家に閉じ込められて、両親の死体を見た小学生に対する扱いとして正しいとは認められない。
 親戚の家にも居場所がなくて、夢遊病のように抜け出し、公園で泣いていた彼女。、ぼろぼろの少女がただひたすらに泣いているというちょっと異様な光景に誰もが遠巻きに見守るだけだった中、声をかけて慰めて、大人への判断を仰いだのが小学生の渋谷慎吾だった。硯さんの二つ上だから、あの時はあいつも九つとかだったのだろう。
 今は社会性のない、怪しい職業の男だが、小学生のころはなかなか頼りになったようだ。
 そして、渋谷慎吾の祖父というのがかなりのキレ者だった。大病院の院長で、あちらこちらの世界に顔が効く。医者としての腕前だけではなく、世渡りもかなり上手な人間だったようだ。硯さんをしばらく家に泊め、マスコミの心無い報道をやめさせ、頼りない親戚を怒鳴りつけたらしい。
 っていうか、そういえば渋谷慎吾は、なんで実家が病院なのに医者にならないで探偵とかしてるのかしら?
 まあ、そんなこんなで渋谷慎吾と硯さんはしばらく一緒に生活し、渋谷祖父の口利きによるカウンセラーの力と、おちゃらけた渋谷慎吾の言動に彼女もある程度笑顔を見せるようになるまで回復したらしい。
 その頃には、すっかり世間は硯さんの家の事件のことなんて忘れ去って新しい事件に興味津々だったし、ちょっと遠縁だけど硯さんのことを本気で心配してくれる心優しい親戚も見つかり、彼女はそこの引き取られることになった。
 というのが、硯さんと渋谷慎吾の腐れ縁の発端。
 そのあとの二人がなんで再会したのかは知らないし、興味もないが。
 だから、口では「なんで別れないの?」とか聞いておきながら、彼女が渋谷慎吾と別れないのもまあ理解できるのだ。彼女の中では、あいつはかなり頼れる存在なのだろう。職業変だけど。


第三章 検事の場合