「あ、そうだ。三溝くん、結婚したらしいですよ?」
「は!? 誰と?!」
「小早川さんと」
「検事の?!」
「そうです」
「……うまくいくのかな」
「……それは、わかんないですけど」
 過去に色々あったということを知らないで硯さんと接していると、普通のちょっと優秀な女性にしか思えない。こんな風に同期の結婚話で盛り上がるなんていう、普通なことをするし。
 だけど、ここに至るまでに相当など努力があったのだろう。普通の道に戻るための、壮絶な努力が。
 そしてそれが彼女を、在学中合格といった輝かしいルートへと歩ませたのだろう。自分の経験を生かして、被告人の家族を守るための弁護士になるという目的を果たすために。
 たいしてお金にならないような事件をいくつも持って、自分のトラウマだって刺激されるだろうに家族への過度な接触を図るマスコミとの盾になって。
 それはとてもまぶしくて、素晴らしくて、同時に痛ましい。
 そんな過去がなかったら、彼女はそんな仕事していなかっただろうから。
 でもまあ、いずれにしても、私は彼女のことを尊敬している。決して口には出さないけど。あと、何度も言うけど男を見る目だけは、本当無いと思ってるけど。過去に何があっても、今あれじゃあだめでしょ?
「あ、そろそろ戻らないと」
 時計を見た硯さんが呟く。
 そうね、と私も頷くと、トレーを持って立ち上がる。すると、
「大丈夫ですかっ!?」
 大きな声が響いた。そして、ざわめき。
「え、何?」
 声がした方を見ると、一人の男性が口から泡を吹いて倒れている。近くにいた人が声をかけ、店員も駆け寄ってくる。
「……病気かしら?」
 一抹の不安を抱えながらつぶやいた私の耳に、
「動かないで!」
 斬りつけるような厳しい口調で、聞き覚えのある声が言った。
 うわぁ、まさか。と、声のした方を見る。
「あれ……?」
 硯さんも呆然と呟いた。
 不安的中。そこにいたのは、どこか見覚えのある男。ヒゲとメガネをそこから取ればもう、答えは一つしかない。変装した渋谷慎吾だ。
 何? 誰か尾行中だったの?
「硯さん!」
 思わず隣の彼女の名前を呼ぶ。
 一緒じゃないって言ってたじゃないの!
「知らなかったんです!」
 硯さんが必死に抗弁する。
「ちょっとそこの二人、手伝って」
 倒れた男性のようすをテキパキと見ながら渋谷慎吾が命令してくる。
 こいつ、さてはずっと前から私たちがいることに気づいてたな?
「茗ちゃん、警察と救急に連絡して。小鳥遊女史は入り口塞いで。はやく!」
 言われて素直に動いてしまう自分が悔しい。
「この店、AEDないの?」
 手慣れた様子で心臓マッサージを行いながら、渋谷慎吾が店員に問う。
「あ、えっと、このビルの廊下には確かあるはずです」
「茗ちゃん、電話しながらでいいからこの人と一緒に取りに行って」
 小さく頷いた彼女が、店員と一緒に出て行く。
 この前犯人に捕まったという彼女のことは少し心配だが、電話しながらならまだマシか。
「病気じゃないの?」
 一応、ダメ元で聞いてみると、
「アーモンド臭」
 端的に返された。
 ああ、はい。青酸系の毒物ですね。
 うんざりする。 
「おい! さっきからあんたなんだよ!」
「ちょっと、通しなさいよ!」
「あー、ごめんなさい。ちょっと我慢してください」
 我に返った客たちが騒ぎ出す。お昼時を少し外れているから、そんなに混んでいなくてよかった。
「シン!」
 戻ってきた硯さんから、AEDを受け取ると、渋谷慎吾はやっぱり慣れた手つきでそれを操作する。って、あんた本当何者なの?
 硯さんと一緒に客をなだめる。
「説明しろよ! お前、何様だよ!」
 男性客の怒声に、渋谷慎吾はちょっとだけ顔を上げると、
「渋谷慎吾、名探偵だよ」
 シニカルに笑った。
 いや、どこぞの小学生探偵かよ。
「はぁ?!」
 怪訝そうな男性客の当然な反応。
 なんとかなだめながら、いいからはやく警察来ないかなーと思う。
 こいつが名探偵という生き物だとかそういう話は一切信じてない。
 でも一つだけ言えることがある。
「……やっぱり、あなたたちと一緒にいるとロクなこと無いわ」
 口からこぼれ落ちた言葉に、心底申し訳なさそうに硯さんがすみません、と謝った。


第三章 検事の場合