「ごめんね、慎吾」
 慎吾の存在はかけらも納得していないようだが、一応筋が通った謎解きにそちらの捜査を検討してみるとしぶしぶ刑事さんは答えた。
 いずれにしてもこちらも任意なので、さっさと警察署を後にする。
 連れ立って歩きながら、私は慎吾にそう謝罪した。
「ん?」
「こんなことで呼び出したりして」
「こんなことじゃないでしょ。俺にぴったりの案件じゃん?」
 おどけて言う。
 それは事実だと思うし、実際彼に頼んだ方がスムーズだと思ったから、私も彼を呼び出した。だけど、彼の名探偵の効力を使わせることに申し訳ない気持ちも強い。矛盾しているようだけれど。
 それに、あの刑事さんは最後に言っていた。
「名探偵だのなんだの、本気で言ってるなんて……。あんたらも本庁の人間も、どうかしている!」
 笹倉くんたちが慣れすぎているから、たまに忘れそうになる。名探偵という生き物がいることを受け入れ、認め、それに対応していることがおかしいのだということを。
 何度か事件に巻き込まれている小鳥遊さんですら、未だに名探偵を信じていないのだから、今日会ったばかりの所轄の刑事さんが信じられなくても仕方がないんだけれども。
 いずれにしても、あの人ことは慎吾に刺さった。それは間違いない。何でもないような顔をしているし、それについて私が言及したところで、
「まあ、だとしても俺は名探偵だしねー」
 とかなんとかのんびりと言って笑うに決まっているけど。
 いくら私であっても、過度に彼にかかった呪いに触れてはいけないのだ。
 でも、本当に? たまに不安になる。名探偵という生き物になったのは、慎吾にかかった呪いのせい? じゃあ、いつ、どこで。もしかして、それって……。
「茗ちゃん」
 考えごとをしていたら、いつもよりちょっとだけ真面目なトーンで名前を呼ばれて、顔を上げる。
「今回の件、今日でよかった。明日だったらもっとややっこしいことになっていた」
「え?」
「少しの間、キューを預かってくれない?」
 それはこれまでも何度かあった申し出。そして、それは、
「長引きそうなお仕事?」
「うん、ごめん」
「わかった」
 彼にとって長引きそうな仕事なんて、ロクな仕事じゃない。どこかの山奥の村から依頼か、孤島での連続殺人予告でもされたのか。
 でも、私に直接くーちゃんの世話を頼める程度には余裕があるのか。そんなことを思う。
 メールで事後的に頼まれることもある。突発的に巻きこまれた場合なんかに。丸一日連絡がなかったら、念のため彼の家に行ってくーちゃんの様子を見に行くことにしている。杞憂で終われば、それに越したことはないし。
「もう行くの?」
「うん。エサとかはいつものとこにあるから」
「大丈夫、くーちゃんのことは心配しないで。それから、ありがとう、忙しいのに助けてくれて」
「どういたしまして」
 彼は笑うと、それじゃあまた連絡する、と何でもないことのように片手を振って、それでも急ぎ足で駅の方に消えていった。
 
 慎吾の家は事務所と兼用だ。合鍵で中に入ると、
「くーちゃん」
「ゴンベイ!」
 彼の愛鳥に声をかける。
「ごめんね。慎吾はしばらくお仕事だって。うちにおいで」
「オセワニナリマス!」
 絶妙なタイミングの言葉にちょっと笑う。
「頭いいね、くーちゃんは」
「ゴンベイ!」
 いつものようにエサなどをまとめながら、先ほどの考えを再開する。
 慎吾は名探偵だ。それは疑いようがない事実だ。
 じゃあ、彼はいつから名探偵になった? どうして名探偵になった? あれは呪いのようなものだと私は思っているけど、それじゃあ誰が、いつ、呪いをかけた?
 そこまで考えると、私はいつも戦慄する。
 一つの可能性が浮かび上がってきて。
 きっかけは、二十年前の、あの時なんじゃないかって。
 私の両親の事件があって、親戚の家に預けられたあの頃。いろいろなことが耐えられなくなって、家を出て公園で泣いていた私を慰めて、助けてくれた二つ年上のシン兄ちゃん。
 あの時、私が彼に助けを求めてしまったせいで、そのあとの彼の人生を決定づけてしまったんじゃないか。そうも考えられる。
 一度だけ慎吾本人にもその話をしたことがある。私のせいじゃないかって。
「何言ってんの。別にあの時、茗ちゃんに会う前から俺は探偵になりたかったよ? ……まあ、正確にはあの時期憧れてたのはルパンだったけど」
「それは本を読んででしょう?」
「そうだよ」
 私が食い下がると、彼はちょっとだけ真剣な顔になり、
「まあ、確かに、探偵物が好きだった小学生男子が、事件に巻き込まれた可愛い女の子を助けるっていうシチュエーションに酔っていたところはあると思う。あの経験が、俺の進路に全くの影響を与えていないなんてことはないさ、そりゃ。だけど、それと名探偵とはまったく別の話だ」
「どうして言い切れるの? 原因もわからないのに……」
「そりゃあ、原因は確かにわからないけど……」
 慎吾はちょっと考えをまとめるかのように口ごもり、
「でもさ、やっぱり茗ちゃんのせいだとは思わない。当事者の俺がそう思わない。それでよくない?」
 少しの間のあとにそう言って笑った。
 彼は優しい。二十年前のあの時からずっと。
 私はずっと、彼に助けられている。
「もしもそれでも茗ちゃんのせいだって気に病むなら」
 黙った私の頭をそっと抱き寄せると、
「責任とってずっと一緒にいてよ」
 耳元で甘い声で囁いた。
 それ以来、彼に対してはその話をしないことにしている。
 でもやっぱり考えてしまう。二十年前のあの時、私に会わなければ今の彼はもっと平和に暮らしていたんじゃないかって。普通に、普通の人生を送っていたんじゃないかって。
 そんなの、嫌だけど。会わないままだなんて、嫌だけど。
 仮定の話に意味はない。過去は変えられない。それもちゃんとわかっている。たまに考えてしまうけど、そんなことしても時間の無駄だって。
 私にできるのは、彼に対して最大限のサポートをすることだけ。
 そして、ずっとに一緒にいることだけ。約束したから。
 まあ、仮にそんな約束なくっても、彼と別れるつもりなんてないけど。
 名探偵の元カノがどうとか、そんなことは関係ない。二十年前の事件も関係ない。今のこの時の、渋谷慎吾が好きだから。確かに何度言っても遅刻癖は治らないし、禁煙しないし、怪我して帰ってくるけど、それでも彼が好きだから。理屈ではなく。

 慎吾がくーちゃんを預けて消えてから、二週間が経った。
 一番合戦を殺害した犯人は慎吾の推理どおりだったらしい。あの刑事さんが不本意そうな顔をして教えてくれた。私は別にそこを疑いは持っていなかったけど。
「やっぱり、一番合戦を殺した人間も庇うんですか? 感謝しているでしょう? うるさいやつがいなくなって」
 嫌味を言うのが本題だったのか、そんなことを言われたけど。
「依頼があれば弁護しますよ、当たり前じゃないですか。でも、あなたみたいに下世話なことを言う人間がいるのならば、私以外の優秀な人を紹介した方がいいかもしれませんね。私の印象で、被告人にマイナスな影響を与えたら申し訳ありませんから」
 微笑んで言葉を返すと、苦虫を噛み潰したような顔をされた。
「あなたとも、あの名探偵とかいうふざけた男とも、今後会わないことを祈りますよ」
 刑事さんはそう言って去っていった。
 申し訳ないけれども、私たちに対するあの敵意と、露骨にフラグを立てて行った捨セリフで、彼とはまた会うんだろうな、と思った。
 別に、私だって会いたくないけど。


第四章 弁護士の場合