名探偵という生き物がいる。
 それは職業じゃない。生き物の名前だ。
 世の中の難事件を解決し、喰らい、生きてる、妖怪のようなもの。
 それが俺、渋谷慎吾なわけだが。
 名探偵がそういう生き物だというのは、俺と俺の周りの人たち……つまり、名探偵の効力に巻き込まれ、何度も何度も事件に巻き込まれる羽目になった茗ちゃんとか、笹倉とかとの共通認識だ。
 だけど、名探偵は生まれた時から名探偵だったわけじゃない。
 仮に、そうだとしたら俺は、幼少期から行く先々で死体を見つけていなければいけない。「あれれー、おかしいぞぉー」とか言って。
 そんなことは決してなかったので、名探偵は先天的なものではない、後天的なものだ、
 そして、自分がなぜ、名探偵になったのかはなんとなくわかっている。
 思い出す。小学生のころ。夏の、あの日。セミが鳴く公園。
 大人たちがヒソヒソ何かを話している。そちらを見たら、小さな女の子が泣いていた。言い方は悪いけど、ちょっと小汚くて、髪の毛もぼさぼさで、あからさまに変だった。
「どうしたの?」
 一瞬ためらったけど、じいさんが女の子には優しくしろと厳しくしつけてくれていたから、俺はその子に声をかけた。
 きっかけは、あの時だ。少なくとも、自分が探偵になりたいという明確な正義の心を手に入れたのはあの時で間違いない。そして、俺があの子を好きなのも。
 ずっと泣いていて、全然笑わないあの女の子を守ってあげたいと思ったんだ。
 でも、再会なんてしなければよかった。君を巻き込んでしまうなら。名探偵の恋人なんていう、不遇な立場に追い込んでしまうのならば、再会なんてしなければよかった。
 いつだったかそう口走った俺に、
「何を言っているの? そしたら私、今頃死体よ?」
 呆れたように彼女が言った。
 名探偵と因縁のある女性が死体で発見される。それは確かによくありそうな筋書きだ。
「私の方こそ、あなたを名探偵にしてしまったんじゃない?」
 そんな風に思わないで欲しい。確かに、あの時の出来事は俺に多大な影響を与えた。あれが探偵を志すきっかけになった大きな理由ではある。だけど、それは、彼女のせいではない。俺がそうしたいと思ったから。
 秋の海で、大声で泣いていた君を守りたいと思ったから。
 その力を手に入れたことは感謝しているのだ。ちょっと、副作用が大きかっただけで。だから、茗ちゃん、
「泣かないで」
 そう呟いた自分の声で目が覚めた。
 蝉の鳴き声も、潮の匂いもしない。
「あー」
 見上げた天井は自宅のものでも、二週間閉じ込められた孤島の別荘のものでもなかった。ここは、茗ちゃんの家だ。
 そうだ昨日、島からこっちに戻ってきて、とりあえず茗ちゃんに会おうと家に勝手に上がりこんだった。
 結局、ちゃんと話をする前に耐えられなくて寝ちゃったんだけど。
 横を見ると、その茗ちゃんが眠っていた。
 もともと童顔な俺の恋人は、寝ている時はさらに幼く見える。失った幼少期を取り戻すかのように。
 眠っている彼女に、あの蝉の公園での面影を強く感じる。
 茗ちゃんを起こさないように気をつけながら、枕元に放り投げたケータイを探す。朝の六時だった。
 ゆっくり上体を起こすと、背中がひどく痛んだ。
 そういえば、崖から落ちたんだっけ。孤島での出来事を思い出してうんざりする。本当、面倒くさい連続殺人事件だった。オペラを題材にして連続殺人を犯そうとする人間にロクなのはいないと思う。殺される側にも。
 傷は痛むが、これぐらいの怪我はそんなに騒ぐようなことではない。シーズンごとに訪れる、スペシャル回のようなものだ。
 そもそも俺は、いくら怪我しても死ぬことはない。そういう自信がある。
 なぜなら、まだこの話には、探偵役が死ぬフラグは立っていない。
 万が一、そのフラグが立ったら、全力で握り潰しにいく。

第五章 名探偵の場合