硯さんが帰ってすぐ、慎吾は身支度をし、外に出た。私を移動用キャリーに入れて。 やってきたのは、私にとっても馴染みの警察署である。 慎吾は受付である人を呼び出す。 そして嫌そうに現れたのが、 「何しに来た、馬鹿探偵」 笹倉譲巡査部長。捜査一課の刑事さんで、慎吾とは大学時代の同級生なんだそうだ。慎吾とはよく事件現場で顔をあわせることが多い。 つまり、名探偵の効力に巻き込まれた被害者の一人である。かわいそうに。 「ご挨拶だなー、笹倉。茗ちゃんからの依頼だよ」 「硯さんの? あー、金持の……」 「そうそう。だから、資料見せろー」 「部外者が無茶言うんじゃねーよ。つーか」 そこで巡査部長の視線が、私に移った。 「なんでクロ連れてるんだよ」 「今日はこの後、キューの健康診断なんだよ。一ヶ月も前から予約してたんだから」 「ゴンベイ!」 「ついでか」 呆れたような顔を巡査部長はする。まあ、気持ちはわかる。所詮、この名探偵にしてみればその程度の事件、ということなのだから。 「いや、でも笹倉。冷静に考えてみろ?」 真面目な顔をした慎吾が、人差し指を突きつける。 「俺に見せた方が、はやい」 「悔しいけどそのとおりなんだよ……。だからむかつくんだけどな」 民間人に頼るなど、おおよそ警察組織の人間とは思えない発言だ。だがしかし、この名探偵にいつも振り回されていれば、あきらめが先に来てしまうのもよくわかる。最近知った言葉によると、慎吾はそう、「チート」なのだから。 ここじゃなんだから、と案内されたのは、捜査一課。もちろん、私も一緒だ。置いていかれても困るからな。 「おい、笹倉。またあいつが来たのかよ」 「いや、でもほら。あいつならさっさと解決するじゃないですか」 「ああん? あいつの手を借りないと俺らが事件解決できないって言いたいのかよ」 「いや、本当、先輩のお怒りはごもっともなんですけど……」 「まあ、実際、手詰まりっすからねー」 「密室殺人とか、明らかにあの死神の領分だからな」 「つーかなんだ、あのカラス」 ひそひそと刑事たちのやりとりが聞こえる。うざいのはよくわかる。しかし、私はカラスではない。 慎吾は、そんな言葉に耳を貸さず、資料をぺらぺらとめくっていく。やる気なさそうに。 この男のことを心配しているわけでは、けっしてないが、損をしていると思う。 そんな風にやる気がなさそうだから、嫌われるのだ。もう少し、やる気を見せればいいのに。優秀なことに間違いはないのだから。 「九官鳥だー」 「やーん、可愛いー」 「こんにちはー」 「コンニチハ!」 「わー、かしこーい」 私は私で、通りすがりの婦警さんたちに遊ばれていて忙しいのだが。 「なるほどね」 そうこういうしているうちに、慎吾が資料を閉じながら、そう呟いた。 慎吾に敵意の眼差しを向けていた刑事たちも、私と遊んでいた婦警さんたちも、みんなの視線が慎吾に向く。 「笹倉。犯人は被害者宅の使用人、小豆畑だ」 いきなりの犯人名指し。巡査部長が慌てて、慎吾の隣までくると、資料をめくる。 「小豆畑って……、ああ、この大人しそうな若い子?」 「どんな人だっけ?」 「あの、おさげの子だろ」 「ああ。あの、雇われたばっかりとかいう?」 「おいおい、探偵。そんな子がどうやってヤったっていうんだよ」 刑事たちのやりとりから、この人物はそもそも重要視されていなかったのがよくわかる。 しかし、それでも、名探偵が犯人というのならば、その人物が犯人なんだろう。 「つーか、雇われたばっかりっていうのが、怪しいだろうが」 まあ、確かに。通常の事件ならばそうでもないが、名探偵が出てきた以上、雇われたばかりというのは疑ってください、と言わんばかりの役どころだ。 「裏はとれてないから現時点では、ただの勘だけど……、彼女は金持が金貸し業をしていたころ、なんか関係があるはずだ。まあ、ベタなところだと、両親があいつから金を借りて、取り立てに苦労して自殺、とかかな?」 「根拠は?」 「金持が金貸し業をしていたのは、二十年以上前の二年間だけだ。金持の仕事内容といえば、今ぱっと思いつくのは」 「不動産業?」 「そう。それなのに、彼女は取り調べのときにこう答えてる」 そこで慎吾は、ちょっと声色を変えて、 「借りたものを返さない人には厳しい方だったので……恨まれているということも、あるかもしれませんね」 とんとん、と資料の該当箇所を指で叩く。というか今のは、物真似のつもりか? 本物を見ていないから似ているかどうかもわからんが。 「不動産で揉めるのは、借りたものを返さないというよりも、家賃が払える払えないだろ、普通。これは金貸しの頃の話だ。二十年以上前のことを、この二十二歳の女の子がここまで細かく知っているっていうことは……身に覚えがあるんだろうよ」 おい、誰か小豆畑の居場所を確認しておけ! そんな声がする。 「じゃ、じゃあ渋谷。 部屋が密室だったのは?」 「密室に関わってるのは……、残念だけど、茗ちゃんの依頼人だろうな」 「金持豪志?」 「ああ、おそらく、金を盗みに入るつもりだったんだろうよ」 慎吾が一つため息をつく。 「犯行時、部屋には隠れた豪志がいたんだと思う」 「現場を見ていたってことか?」 「ああ。金を物色しようとしていたら、被害者が帰ってきて慌てて隠れた。そんな感じだろうな」 そのまま出るに出られずいる間に、小豆畑が被害者を殺害した。 「いやいや、待てよ。そもそも金持豪志はどうやって被害者の部屋に入ったんだよ?」 鍵は被害者しか持っていなかったというのに。 「写真を見る限り、犯行現場の鍵は簡単にピッキングできるものなんだ」 「え、あんな古そうで厳重そうなのに?」 「古いからこそ。ちょっとネットの質問掲示板にでも書けば、さくっとあけ方を教えてもらえるよ。コツがあるんだ」 「……なぁ、お前なんでそんなこと知ってるんだ?」 「探偵としての基本情報だよ」 どんな基本情報だよ。 「部屋を密室にしたのは、豪志だ。あの鍵、開けるのも簡単だけど、閉めるのもコツさえつかめば簡単なんだよ。それで、部屋を密室にして不可能犯罪っぽくしたんだ。あーあと、それから、防犯カメラ。あれもイジっただろうな。ここで使っている防犯カメラは、あるコードさえ知っていれば、簡単に上書きできるからな」 「……お前、まさかやってないよな?」 「やらねーよ」 どうだか。時と場合よっては、やりかねないぞ、この男は。 「屋敷に誰もいなかったのは?」 「それは、偶然の産物だろうよ。密室トリックだのなんだの、壮大なトリックを使っての殺人なんて、現実ではそうそうないしな」 「……名探偵なんていう非現実的な存在に言われるとは、おそれいるよ」 まあ、現実なんてそんなもんかもしれない。 「じゃあ、なんであいつは何も言わないんだ? 実際自分が疑われているんだ、犯人を名指ししてもおかしくないだろう」 「強請るつもりなんだろうよ、小豆畑を」 本当、クズだよなーとため息混じりに慎吾が言う。 「密室殺人、不可能犯罪にして小豆畑に恩義を着せ、犯行を黙っている代わりに金をよこせって、強請るつもりだったんだろう」 「クズダ!」 「クズすぎるな……」 巡査部長がしみじみとつぶやいた。 周りの警官も口々に同様のことを口走っている。 金持豪志、一体どれだけの人間に、ダメ人間だと思われているのだろうか……。一周回って、ちょっと会いたくなってきた。 「つーか、絶対あいつなんか屋敷からパクってるから、そっちも調べといてよ。あいつ、このまま野放しにしてたら、世の中の害悪だし」 「なんか、もう、豪志が犯人でいいんじゃねーか?」 「いや、本当に」 真面目に不真面目な内容で頷き合う、探偵と刑事。だが、まあ概ね私も同意する。 「と、まあ、資料見ただけの雑推理だが、大枠はこれで合ってると思うよ。あとは、裏づけ捜査頑張ってくれ」 「おい、裏をとってこい」 推理を黙って聞いていた警官たちが、慌てて動きだす。 なんだかんだで、ここでは慎吾は名探偵としてきっちり認識されているのだ。 「軽く言うけどな、それが一番面倒なんだよ。名探偵様がおっしゃっていたので、裁判にはなんねーからな」 「そりゃあ、事件を解くまでが探偵の仕事だからな。あとの手続きについてまで関与しないのが、名探偵の存在意義なんだよ」 「お前のそういうところがダメなんだよ。ちゃんと裏付けしないと、小鳥遊検事に文句言われるのは、こっちなんだからな」 小鳥遊検事は、なんの因果か慎吾が解決した事件を担当することが多い女性検事だ。彼女はドラマでいうと準レギュラーといったところだろうか。 「大丈夫だよ。本当に怒っている時の小鳥遊女史はわざわざ事務所にまで来て、俺に文句言って帰っていくから」 「全然ダメじゃねーかよ!」 「なんで謎を解明したのに怒られなきゃいけないんだろうなぁ。証拠がないと裁判が維持できないっていうのはまあ、わかるんだけど」 そう、私が見かけるのは怒っている彼女ばかりだ。どこか爬虫類めいたところがあって好きではない。今回は来ませんように……と心の中で祈っておく。 「まあ、今回は確かに茗ちゃんにさっさと片付けろ、って言われたから巻きでやったところあるしな。あと、キューの健康診断の時間も迫ってるし」 「この事件は動物病院よりも優先順位が低いのかよ」 「万が一、何か行き詰まることがあったら連絡してくれ。アフターサービスだ」 と、怠惰な慎吾にしては珍しいことを付け加える。それがサービスなのかは、甚だ疑問だが。 「じゃあ、キュー。病院行くか」 「ゴンベイ!」 第一章 九官鳥の場合
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