結局、全員が集められたリビング。
 みんなイライラしているのがよくわかる。そうなるだろうなとは思ってたけど、案の定、電話線も吊り橋も切られているし。
「一体誰が犯人なんだよ……。大旦那様については、屋根に乗せるなんていう大掛かりなトリックがありそうだし」
 うまく下ろせずに、まだ屋根の上に乗せっぱなしだ。良心が痛む。
「そうだなー」
 俺の言葉に、渋谷から適当な返事が返ってくる。
 渋谷は壁に背を預け、天井を見つめている。ぼーっとしているように見えるその姿に腹が立つ。
 手毬唄は三番まである。ということは、まだ被害者が出る可能性があるんだ。ぼーっとしてないで犯人を探せよ。
 誰のせいでこうなってると思うんだ!
「悪いのは犯人だよ」
 俺の心を読んだかのように渋谷が言う。いや、まあ、それはそうなんだけどさ。
 渋谷はため息をつきながら、
「なんとなくは見えてんだけどな」
「なんとなくは見えてんのかよ」
「でも、何かが足りないんだ」
 苛立ったように天パなんだか、パーマなんだか、寝癖なんだかよくわからない頭をガシガシと掻く。
「とりあえず怪しそうな人とかわかってること教えとけよ。注意するから」
 俺の言葉に、渋谷が、
「現時点での見解だけどな」
 耳打ちしようとしたところで
「あの、硯さん戻ってますか?!」
 慌てた様子のお嬢様がリビングに駆け込んできた。確か、奥様と硯さんと三人でお手洗いに行っていたのでは?
「いや? 一緒じゃなかったんですか?」
「一緒だったんですけど。みなさん疲れてるだろうから、コーヒーでもいれようってことになって。三人でキッチンにいったんですけど」
 確かに、カップののったお盆を持った奥様も戻って来た。
「なんか、廊下の奥から物音がして。がっしゃんってなにか割れるような……。母と二人で怖い怖いって言ってて。そしたら、硯さん、代わりに見てきてくれるって。でも、そのまま戻ってこなくって!」
 それ、やばいやつじゃないかよ。
「あんのバカっ」
 慎吾が舌打ちした。
「慣れてるくせに、なんでひとりで、出歩くんだよ」
 その罵倒は、隣にいる俺にだけ聴こえるような小声でだった。
「どうしよう。もしかして、犯人に捕まったんじゃ……」
 お嬢様が泣きそうな顔で言う。
 そんな顔をするぐらいなら、ひとりで行かせるなと俺は言いたいがね。
 執事がお嬢様を落ち着かせるためにそばに行き、旦那様が不愉快そうな顔をして部屋の中を見回す。おぼっちゃまはさっきから魂が抜けたままだ。
 どうするのが最善か、必死に頭を働かせていると、
「茗ちゃんは大丈夫だよ」
 なぜか笑いながら、渋谷が突然そう言った。
 はぁ?
 あっけにとられる俺たちを無視して、
「だって茗ちゃんは俺のカノジョだよ? 探偵役の恋人は、いつだって探偵が助けにってぎりぎり間に合うものさ」
 さっきの舌打ちはどこへやら。不自然なぐらい不敵な笑みを浮かべていた。
 なんだ、そのトンデモ理論は!
「とはいえ、ちょっとまあ、探してきます。みなさんはここから動かないでくださいねー」
 軽い調子でそう言うと、さっさとリビングを後にする。
 俺も黙ってそれを見送ってしまってから、
「ちょっ、待て! あー、危ないんで、本当、三人以上で行動してくださいね!」
 部屋の中の住人に釘を刺し、慌てて追いかける。
「おい、渋谷、お前もうちょっと真剣に!」
 廊下に出たところで佇んでいる渋谷に、苦言を呈そうとしたその時、
「くっそ!」
 渋谷が大声とともに、壁を拳でなぐった。バンっと大きな音がする。
 驚いて足が止まった。
「落ち着け。大丈夫大丈夫。茗ちゃんは、大丈夫」
 そのまま壁に打ち付けた拳に、額を当てて呟く。何度も、何度も。
「大丈夫だ、大丈夫」
 自分に言い聞かせるように。
 ぐっと握った拳が震えてる。
 ああ、そうか。いつも飄々としているから忘れていた。
 別に、こいつは殺人事件が好きなわけじゃないんだ。謎を解くことは多分、好きなんだろうけど。
 そういう星の元に生まれついてしまっただけで。
 人が死ぬのを見たいわけじゃないんだ。本当に死神なわけじゃないんだから。
 こいつも平気じゃないのだろう。それはわかっている。
 そして、渋谷が硯さんを大切にしていないわけがないのだ。
 二人の間にあるものは、俺が考えているよりも深いものだ。直接聞いたわけではないけれど、長い付き合いでそれはわかっている。どんなに俺が想いを寄せても、二人の間には入っていけない。
「大丈夫……」
 うわ言のように繰り返す。
 ああくっそ、見てられねーな!
 その背中をバシン! っと叩く。
「名探偵は名探偵らしく、さっさと事件を解決しろよ」
 振り返った顔は、いつもの渋谷のものと違っていて、ひどく弱々しかった。
 だからさぁ、お前がそういう情けない顔をするなつーの。探偵だろう? 名探偵なんだろう? いつもみたいにへらへら笑っていろよ。
 じゃないとこっちも、巻き込まれた文句が言えないだろうが。
「硯さんを助けるのは、お前の役目だろ。探偵で、恋人なんだから」
「笹倉……」
 渋谷の顔が一瞬くしゃり、と泣きそうに歪んだ。
 ああもう、だからそういう顔をするな。親を見つけた迷子の子供、みたいな顔はさぁ!
 口ではなんだかんだ言ったって、俺はお前の味方なんだから。なんたって、腐れ縁の刑事だからな。
「とりあえず、手当たりしだい探すか。頭のいい名探偵様は、黙って考えてろ! その間、俺が動いてやる。個人の部屋だったらどうしようもないけどな」
「……そうだな、茗ちゃんを探さないと」
 泣きそうな顔を引っ込めて、渋谷がいつもの見ていていらっとする、皮肉気な笑みを浮かべる。
 それに安心しながらも、俺が駆け出そうとしたところで、
「あ、ちょっと待て」
 渋谷があっさり引き止めた。つんのめる。
「ヒントはあるんだ。水のあるところだ」
「水の? それって、歌の三番ってことかよ?」
「それもあるけど……。あの人の靴下、濡れていたからな。足の裏から」
 なるほど、だから水のあるところ……と一瞬納得しかけ、
「は? お前、犯人の特定出来てるのかよ」
 見えかけてたっていうのは、さっき聞いたけどさ! もっとこう、漠然とこいつとこいつが怪しいぐらいのもんだと思ってたわ!
「それに、個人の部屋ってことはないはずなんだ」
 俺の問いかけを無視して、渋谷は推理を続けていく。
「旦那に隠せるはずがない」
「……って、それって奥様が犯人ってことか?」
 この屋敷で、二人部屋なのは旦那様と奥様夫婦だけだ。
「でも、大旦那様の時にアリバイがあるし……、だってさっきもお嬢様と一緒だったんだろうが」
「大旦那様の件については、大体見当がついている。今の誘拐事件はわかんねーけどな。くっそ、だけど証拠がなくて今まで様子見していて……。俺もついていけばよかった」
「後悔してる場合じゃないだろうが」
 それに、トイレについていくって言ったら、ふるぼっこにされそうだしな。
「……ああ、とにかく、はやく茗ちゃんを見つけないと」
「しかし、水がある場所っって。風呂場……?」
「とりあえず、そこだな」
 大浴場はさっき行った。二人で走り出す。
 風呂場には硯さんに姿はなかった。まあ、当然だよな。こんなに早く見つかるとは持ってない。
「水のあるところ……、水……」
 とりあえず立ち止まっていられなくて、水っぽい場所を探しながら走る。そうしながらも、渋谷がぶつぶつ言っている。
 推理は黙ってやってくんないかね?
「でも、そんなベタな場所か? 多分、これは俺に対する警告だ。これ以上首をつっこむなっていう。もしくは、茗が何か、決定的なものを見た? どっちにしろ、殺すのが目的とは思えない。歌は三番までしかないんだから、ここで茗を殺したら、歌が使いきってしまう。わざわざ三番まである歌を選んだんだから、狙いは最初から三人……、そうあの人も含まれて居るはずなんだ。そうだとしたら、茗についてはひとまず、監禁で済ませるはず。そんな誰にでも入れる場所じゃないよな?」
 渋谷がぶつぶつと呟きながら、何かを考えている。凡人の俺は、せいぜい邪魔しないようにそれを見守っていた。
「水、キッチン、トイレ。水道……。外は、吹雪。吹雪は……いや、外じゃないな。外なら全体が濡れているはず。室内で床だけ水。水……、そうか」
 何かを閃いたのか、渋谷が突然足を止めた。
 慌てて俺も立ち止まる。
「確か、このあたりは、地下水が豊富っていってたよな」
「あー、うん。確か、来たばかりの時にそんなこと言ってたな。執事が」
「そうか、地下か」
「でも、地下室なんて」
「とりあえず、一階なのは間違いないな」
 まあ、地下室があるなら普通そうだろうね。
 ひとまず俺らは、一階に向かって走り出す。
「地下室の入り口は隠されてるはずだ」
「そりゃあ、そうだろうな」
「隠し扉。目印。地下、入り口……。一階は、玄関、応接室、食堂。……食堂? そうだ、あの時、何かがひっかかって…」
 ぶつぶつ呟いていた慎吾だったが、
「大旦那様の杖!」
 突然大声を上げる。
 うわ、びっくりした。
 そして、くるりと回転すると、反対方向に走り出す。
「渋谷!」
 慌てて追いかける。さっきから追いかけてばっかりだな。
 一人で納得しないでくれるか?
「夕飯の時に、みんなで一緒になって移動しただろう?」
「ああ」
 あの夕飯の時は平和だったな。その一時間後に事件が起きるとは思えないぐらい。
 いや、俺の内心は穏やかじゃなかったけど。こいつがいたせいで。
「その時、大旦那様の杖の音が、他と違う場所があったんだ」
 そういえば、確かに大旦那様は杖をついていたな。しかし、そんなことよく気付いて、よく覚えていたな。
 名探偵だから、とも言えるが、なんだかんだでこいつの観察力とか洞察力とか、あと記憶力はすごい。
 辿りつついた廊下。食堂の前だ。
「そう、確か、このへん」
 言いながら床に四つん這いになった渋谷が、こんこんっと床を叩く。少しずつ、そのまま進んでいって……
 確かに一箇所、他とは音が違う場所があった。もっと、どこかに響くような音。
「この下に?」
 渋谷は床に手を這わせて
「入り口は絶対ここらへんのはずなんだ。入り口、目印」
 呟いて顔を上げる。壁に視線を向けるから、俺も合わせてそちらを見る。
 そこには、代々、この家の当主の肖像画が並べて飾ってある。言いたくないけど、かなり悪趣味だ。
 渋谷はその絵に近づき、一つずつ順番に見ていって……、
「これか」
 一枚の絵で視線を止める。
 天才名探偵様は何かに気づいたようだが、凡人の俺には、何が「これか」なのかがわからない。
 説明を求めるように渋谷を見ると、
「見たらわかるだろ? これだけちょっと、ずれている」
 ええ? いやまあ、確かに言われてみたらずれてるけど、そんなもんじゃねぇ?
「これだけ整えられた屋敷で、数ミリでもずれているわけがない。これは最近、誰かが触ったんだ」
 問題の絵を眺めたり、裏をのぞいたりした後、そのまま絵を左右に揺さぶるなど動かしていたが、
「うわっ!」
 何がきっかけになったのか、ぐぃーんっと音がして、絵の下の壁が開いた。自動ドアのように。
 どんなからくり屋敷だよ。とかきっと言ってはいけない。ミステリの屋敷なんてこんなもんだ。
 中を覗くと、下に続く岩の階段があった。
「ここだな」
 渋谷は慣れた調子でケータイを取り出し、ライトを起動する。そのまま、ぐんぐん降りていく。
「おい、もうちょっと警戒しろよ」
 慌てて俺も後を追う。一応、渋谷は民間人なわけだし、警官としては一人で行かせるわけにはいかない。
 地下室というよりは、洞窟と言ったイメージの場所だった。岩のような壁。カビ臭い。
 階段を降りたそこは、確かに部屋になっていた。いや、部屋というよりは、
「地下牢、だな」
 それだ。ジメジメしていて、薄暗くて。それに渋谷が言ったように、どこからかうっすらと水が滴り落ちてきてる。人が住む環境じゃない。
 それに、
「鉄格子、か」
 目の前にある、鉄格子。誰かを閉じ込めていました、と言わんばかりの。
 おいおい、この一族、どんな秘密を抱えてるんだよ。
 異様な雰囲気に圧倒されている俺を置いて、渋谷はどんどん進んで行く。
 鉄格子の中を明かりで照らすと、
「茗ちゃん!」
 手足を縛られ、ぐったりと倒れている硯さんの姿があった。
 叫んだ渋谷が入り口を探すが、南京錠がかかっていた。
 舌打ちをした渋谷が、ケータイを俺に手渡してくる。
 ここでどういう意味だ? なんて聞くほど、俺は察しは悪くない。それと、こいつとの付き合いも短くない。
 渋谷の手元を照らしてやる。
 渋谷はジャケットの内ポケットから、小さなポーチを取り出し、そこからヘアピンを二本取り出した。それを南京錠の鍵穴につっこむ。
 ええ、ええ、もう何にも言いませんよ。お前がヘアピンをきっちり持っていようと、そのポーチの中にどんだけ便利グッズが入っていようと、ピッキングができようとも。
 いつもならこんな鍵ちゃちゃっと開ける渋谷だが、さすがに焦っているのか時間がかかっている。
 ちらちらと、中に視線を送っている。
 焦るな、と言いたいが、それすらも焦らせる原因になるか。
 俺はただ黙って、手元を照らし続ける。
 がちゃり、とようやく鍵が開いた。
 ヘアピンを放りだして、渋谷が中に駆け込む。
「茗ちゃん!」
 倒れている硯さんを抱き起こすと、必死に名前を呼ぶ。
 殴られたのか、額から血が流れている。
「茗ちゃん!」
 すがりつく、こどものように。
「茗っ!」
「う……」
 小さい呻き声がして、
「茗っ!」
「……シ、ン?」
 硯さんが目をあけて小さく呟いた瞬間、渋谷はぐしゃりと顔を歪めた。泣きそうに。
 そのまま、ぎゅっと硯さんを抱きしめる。
「よかった……、よかった……」
 その存在を確かめるかのように、硯さんの髪を、肩を、背中を、腕を、何度も何度も撫でる。手を離したら消えてしまうとでもいいたげに。
 冷静な名探偵様にあるまじき、取り乱し具合だった。
 ここに昔馴染みの俺以外いなくてよかったと心底思った。こんな姿を誰かに見られたくないだろう。
「ごめん……、ごめんな」
 それは何に対する謝罪なのだろうか。助けにくることが遅くなったこと?
 それとも……探偵の恋人として事件に巻き込んでしまったこと?
「助けに、来てくれるって、信じてたから……。私の、探偵さん」
 硯さんが、かすれた声で応えた。
「ごめん」
 もう一度慎吾が呟く。
 感動のご対面はそろそろいいだろうか。
「渋谷、ここは寒い。一旦外に出よう」
 これ以上、歪んだ渋谷の顔を見ていられなくて、ライトの向先を硯さんの手足を縛るロープに向ける。
「そうだな」
 渋谷は頷くと、さっきのポーチから小さいナイフを取り出し、ロープを切った。
 本当、突っ込むのも野暮だけどなんでも持ってるな、お前。
 そのまま濡れた硯さんの体に、自分のジャケットを脱いでかける。
「笹倉、悪い。足元照らしてもらえるか?」
「ああ」
 俺のケータイも取り出し、光源を増やす。
 渋谷は硯さんを抱えると、立ちあがった。
 いやいや、そこは普通、おぶるところだろ。なんでお姫様だっこなんだよ。
 半端に突っ込みたい気持ちを抑えて、俺たちは外にでた。


第二章 刑事の場合