ロー内恋愛ー26歳の男


 たまに行く、自習室近くのちょっとお洒落なカフェでサクちゃんと落ち合った。
「どーしたの?」
「んー。あ、何飲む? ここは私だすよ」
「それはいいんだけど。あ、ジンジャエールで」
「あと、アイスコーヒー」
「かしこまりました」
 沈黙。
 サクちゃんは珍しく、躊躇うように押し黙っている。
「おまたせしましたー」
 結局、店員さんが飲み物を運んで来るまで、サクちゃんは黙ったままだった。
 むー、あたし、こういう沈黙苦手なんだよな。と思いながらジンジャエールを一口。
 ストローを指で弾いて遊んでいると、
「あのね」
 サクちゃんが意を決したように口を開いた。
「告白、されたの」
「誰に?」
 そこまでは割と予想通りなので冷静に切り返せた。サクちゃんがあたしに相談することなんて、勉強関連なわけないし。
 ……なんだろう、言っていてちょっと悲しくなってきたけど。
「……その」
 サクちゃんは一瞬躊躇ってから、
「池田君」
「ふーんって、ええっ!? いけだぁあ?」
 思わず大きな声が出る。
「ちょ、杏子ちゃんっ」
「っと、ごめん」
 一つ深呼吸。
 それは完璧予想外だった。
「池田君ってあの池田君よね? うちのクラスで、あたしと同じ班の」
「そう」
「はー。池田君にもそういう感情あるんだねーびっくりしたわー」
「杏子ちゃん」
 サクちゃんがちょっと苦笑いした。窘めるように名前を呼ばれる。
「だって、てっきり六法が恋人なんだと思ってた」
「まあ、それは、私も思わなくもないけど」
 あ、サクちゃんも思っていたんだ。
「それで?」
「いや、まあ、お断りしたけれども……」
「でしょうね」
 付き合うことにした、って言われたらびびる。あの堅物くんと恋人同士のサクちゃんなんて想像できない。
 大体、サクちゃんが元カレ引きずっているのはわかるし。いや、ひきずっていても、忘れるためにお試しで付き合うとかもあってもいいけど、それをやるには池田君は堅過ぎる、全てにおいて。
「っていうか、そもそもなんて告ってきたの、池田君」
 思わず身を乗り出す。サクちゃんは困ったような顔をして、
「普通に、好きですって」
「どこで?」
「……ディスカッションルーム。予約してたみたいで」
「まじかよっ!」
 ありえないにも程があるだろ。
 ディスカッションルームというのは、自習室があるのと同じ建物にある部屋で、本来自主ゼミなど数人が集まって勉強する時に使う。自習室は私語厳禁だから。
 で、そこは一応90分単位で予約制なのだが、
「そのためにわざわざ?」
「うん」
「いやいやいやいや。もっと考えろよ場所を。というよりも、本来の使い方したい人達に失礼じゃん」
 何をディスカッションするつもりだったんだ。彼は。
「はー、で? サクちゃんは普通にごめんなさい?」
「うん。普通にっていうか、まあ、まだ別れたばかりだし、そういうの考えられないし、お互いしっかり勉強して検事になりましょう? って」
「あ、池田君も検事志望だったっけ?」
 これは勝手な妄想だから本人にばれたら怒られそうだけれども、なんとなく、池田君は過去いじめられるとかなんかそういうことがあって、弱気を助け悪をくじく、正義の味方検察官! に憧れているんじゃないかなーって思うときがある。あの授業中の先生との噛み合ない具合とか見ていると、なんか。そういう人、学部時代にもいたし。
「それで、池田君は?」
 サクちゃんは形のいい眉をしかめると、
「設楽さんがロー内恋愛はないと思っているのは知ってるし、別れたばかりなのも知ってるけど。このまま言わないと俺がすっきりしないから。だから言いたかったんだ。それに、俺」
 何か、苦い物を飲み込んだような顔をして、
「待てるから」
「……何を」
「設楽さんがカレシのことを忘れるのを」
 沈黙。
 あたしはとりあえずジンジャエールを飲んで落ち着く。サクちゃんも同じようにアイスコーヒーに口をつけた。
 あたしは額に手を当てて、わざとらしく考えるポーズをとると、
「何故待つ……」
 呟いた。
 待ったら見込みがあると思ったのか。
「それをね、相談したくて」
 サクちゃんは綺麗に眉をしかめたまま、
「これってもしかして、伝わってない? 私の、ごめんなさいの気持ち」
「あのね、サクちゃん」
 相手からの遠回しの拒絶に気づかず、どんどん突っ走ってさらに嫌われるという、恋愛負のスパイラルを繰り返してきたあたしは断言出来る。
「伝わってない」
 残念なことに、あたしには池田君の考えが手に取るようにわかる。告白しました。まだ別れたばかりだからと言われました。つまり、まだ別れたばかりだからそういうことは考えられないけれども、もうちょっと時間が経てば付き合ってもいいよ、そこまでいかなくても考えてもいいよ、と彼はとったわけだ。
 まあ、そうやって受け取ってしまう気持ちも、わからなくもないけれども。嫌な現実って直視したくないし。
「……そうよね」
 サクちゃんは、ほぅっとため息をついた。
「あとね、ちょっとひかっかったことがあって。これは、私が自意識過剰なのかもしれないけれども」
 まだ、何かあるのか。
「俺はずっと男子校で、こんなに仲良く話した女子って初めてだから、告白するのも初めてで、空回ってるかもしれないけれども、って」
 サクちゃんはちょっとだけ首を傾けると、
「本当に、自意識過剰っていうか、穿って見過ぎなのかもしれないけれども、彼は私が好きなんじゃないんじゃないかって」
「え?」
「初めて仲良く話した女の子だから好きなんじゃないかって」
「……あー」
 なるほど。
「設楽桜子という一個人のこれこれこういうところが好きでっていうんじゃなくて、初めて女の子に仲良くしてもらってうっかりっていうこと?」
「そう。……違ったらとっても失礼なんだけれども」
「いや。でもまあ、その言い方ならそういうこともあるの、かも?」
 よくわからなくて言いながら首を傾げる。
「というかね、昔の私がそうだったから」
「え?」
 サクちゃんは困ったように微笑むと、
「大学の時、好きになった人は、……前の、あの人とは別の人なんだけれども。その人は、大学で初めて私に優しくしてくれた人だったの」
 あたしはただ、サクちゃんの顔をじっと見る。
「あのあと、あの人と付き合ってわかった。私が最初に好きになった人を好きになったのは、優しくしてくれたからだって。恋とはまた少し、違うものだったって」
 あたしはちょっとだけ唇を噛んだ。
 その感覚はわかる。
 好きだったことには代わりないんだけれども、その好きは恋と呼ぶにはまだ早いものだった。きっかけは優しくされたとか、顔が好きとか、今まで周りにいなかったとか、多分それでよかったんだと思う。
 ただ、そこで終わってしまう、思い。
 ただ一つの条件だけで突っ走ってしまう。他にいい部分も悪い部分もあって、それらをひっくるめて全部好き、なんじゃなくて、ただ優しいから好きだけの恋。
「……うん、ちょっとわかる」
 あたしが答えると、サクちゃんは、
「ほんと? ならよかった。優しいからだけで好きになって、優しいからずっと追い続けていた。嫌な部分は見なかったことにして。あの人のことは、嫌いな部分も全部ひっくるめて、好き、だったんだけど」
 声が少しずつ小さくなる。サクちゃんは両手で顔を覆うと、小さく息を吐いた。
「……大丈夫?」
「とりあえず」
 顔をあげる。
「それでね、今は自習室の席も遠いし平気だけど、後期がはじまったらちょっと困るなって。それまでに、普通に接するようにはするけれども、ちょっと二人で話すのとかきついかもしれない。なんかこう、期待を持たせるようなことをしたら悪いし。だから、なにかあったら杏子ちゃん、お願いしてもいい?」
「ん。適当にサクちゃんと池田君の間に割って入ればいいんでしょう?」
 そんなことは意識しなくても普段からやっていることだ。あたし、空気読めないし。
「うん、お願い」
 サクちゃんは、やっと安心したように微笑んだ。
「まあでも。池田君が期待をしているとか、好きになった理由とか、全部私の憶測で、全然違うのかもしれないんだけれどもね」
「それなら話がはやいのにね」
「そうね、普通のクラスメイトとしてやっていけばいいから」
 サクちゃんは微笑んだ。