第二章 虚偽表示の無効は第三者に対抗できません 民法94条2項。 それは全部で1044条ある民法の条文の中で、一、二を争うぐらい有名な条文だと思う。学部一年の最初の方でやった記憶があるし。 94条は、相手方と通じてした虚偽の意思表示は無効とする、としている。 つまり、あたしが土地を持っていたとして、税金対策で、本当は売るつもりがないのにサクちゃんとグルになり、サクちゃんに売り渡した事にする。二人で嘘の売買契約をしても、それは無効。なかったことになって、あたしは税金をおさめなきゃいけない。そういうズルはゆるされない。 でも、あたしとサクちゃんが嘘の売買をしたと知らない郁さんが、サクちゃんから土地を買ったとしたら、あたしは「だって、サクちゃんに売ったつもりとかないから、無効だもん! あたしの土地だから返せ!」とは言えない。それが、民法94条2項。 虚偽表示の無効は善意の第三者には対抗出来ない。 この場合の善意っていうのは、ある事柄を知らない事を指す。ちなみに、悪意とはある事柄を知っていること。なんでこう、微妙に既存の一般用語とずれた言葉を使うのかしらね、法律用語って。 またこれを直接適用じゃなくて類推適用とかしたりして面倒だったりするんだけど。 またペラペラと六法をめくりながら思う。 今は民法の授業中。あたしたちが発表の当番。与えられた裁判の判例を読んで、事件の内容をまとめて、学説の対立とかをまとめて、発表する。 戦力外のあたしは、一番簡単な事案の概要を発表して、今は池田君と先生のやりとりを聞いている。 どうでもいいんだけど、どうして池田君はいつも、少数説をとるんだろう。 はやく終わらないかなーと、小さくため息をついた。 「サクちゃん、そういえば最近カレシとどうなのー?」 議論は紛糾し、紛糾し、みんながいい加減池田君にちょっと飽きたころに、ようやく時間がきて終わった。 自習室に戻るために廊下を歩きながら尋ねる。 「んー、最近あんまり会ってないんだよねー」 サクちゃんが困ったように笑う。 「就職して忙しいみたいだしねー」 「あー、同い年だもんね。新社会人だー」 「大変ねー、そういう時の男は、余裕ないでしょう?」 少し後ろを歩いていた郁さんが言う。 「それは、体験談?」 「そー」 うんざりしたような顔を郁さんはした。 「つーか、あんたが新社会人ならこっちもだっつーのって思ってた」 「はー」 「うーん、でも本当、余裕はないみたいですよねー」 サクちゃんは、どこまでも困ったように笑う。 「学生は楽で良いな、って言われちゃったし」 どこまでも困ったようにサクちゃんは笑う。どこかぎこちなく。 「ないわー」 あたしがなんて言えばいいかわからないでいると、郁さんが肩をすくめた。 「それは言っちゃ駄目でしょう」 「でもまあ、仕方ないですし」 「まあねー、そうなるわなー」 郁さんがうんざりしたように呟いた。 なんか、あるのかな。 「だからちょっと距離置こうと思って。今、忙しいときみたいだし、それに」 それから、サクちゃんは少し悪戯っぽくあたしの方をみて笑った。 「そろそろ中間だしね」 「うわああああ」 思わず叫んでしまう。 そうだ、すっかり忘れていた。 「うう、なんで中間試験とかあるの……。中間とか、高校生以来だよー」 「期末一発で成績つくよりもよくない?」 「レポートもいやねー」 「うー、それはそうだけど」 そうだった、すっかり忘れていた。中間試験の勉強も始めないとな。 中間テストは会社法と行政法のみだけど。あたし、会社法苦手だし、行政法とか学部の時やってないし。 ため息をついた。 「あ、でも行政法、問題集買ったんだー!」 言いながら、鞄の中から出してみせる。 「サクちゃんのお勧めの!」 「あ、買ったんだー」 「……杏子」 郁さんがくらーい声で呼びかける。え、何? 「それ、来月改訂版でる」 沈黙。 時間をかけてその言葉を理解し、 「えーうそー! まじでー! 買ったのにぃー!」 「あと来月は刑法の百選改訂版と、法学教室の会社法連載まとめたのがでる」 「えー、会社法もっ! 必死にコピーとったのにぃぃ!」 「御愁傷様」 郁さんが笑う。 どうしてこうなるんだか。せっかく買ったのに新しいのがでるなんて。 あたしはため息をついた。 ため息ばっかりついている。 |