うらやましいという気持ちは、いつまでたっても心のなかで消えなかった。
 これはきっと、私が誰か、隆二さんみたいな人を見つけるまで消えないんだろうな、と思った。
 どうやったら、見つけられるのかわからないけれども。
 隆二さんは、私がちゃんと見たら味方はいる、みたいなこと言っていたけれども、そんな気配は微塵もない。
 何も変わる気配はない。
 授業中、そんなことを考えながら、ぐりぐりと気が向くままに、ノートの隅に落書きをする。
 最近は大体、猫の絵だ。
 すぐに消してしまうそれを、何度も繰り返す。
 先生の話をなんとなく聞き流しながら描いていたら、なんだかすっごく、可愛い猫が描けた。
 あ、これ真緒さんに見せたい。
 猫が好きだから、気に入ってくれるんじゃないかな。
 そんなことを思ったら、その絵は消せなかった。
 叔母さんの家に帰ると、色鉛筆で着色する。緑の目。
 あの時、真緒さんのノートに書いたのと同じ、猫。
 次に図書館で会った時に、その猫だけを切り抜いて渡した。裏に両面テープを貼って、シール風に。
 こんなものを渡されても困るかなぁ、っと思ったけれども、それよりも真緒さんなら喜んでくれそうという期待の方が勝った。
 いつもの席で本を読んでいる真緒さんに近づくと、
「よかったら」
 そっとそれを差し出した。
 真緒さんが首を傾げながら左手でそれを受けとって、
「あ、かっわいー!」
 大きな声をだすから、
「しーっ!」
 慌てて制する。
 真緒さんも慌てたように両手で口をおさえて、二人でまわりに頭をさげた。
 立ったままだと気まずいので、真緒さんの隣の席に腰をおろす。
 真緒さんは口パクでありがとう、と言ってから、思いの丈があふたみたいに手をばたばたと動かす。
 喋りたいけど、声をだしたら怒られてしまう。
 この前のことがあったから、外にでるのも躊躇われた。
 真緒さんはちょっと困ったような顔をして、辺りを見回してから、はっとひらめいたような顔をして、ノートを取り出した。
 あの、読書ノート。
 その一番後ろのページを開くと、鉛筆もだしてぐりぐりと書いた。
「とってもかわいい! このネコちゃんだいすき! もらってもいいの?」
 その言葉を最後まで読んでから、大きく頷く。
 それから鉛筆を借りると、その下に書き込んだ。
「ぜひ」
 それを読んで、真緒さんがぱぁぁっと嬉しそうに笑った。
 それからまた、ノートに付け足す。
「このノート、もうすぐおわるから、そしたら、あたらしいノートにこの子はるね!」
 それから、ふふっと猫をみて、楽しそうに笑う。
 そんな顔をしてもらえるなんて、やっぱりとっても嬉しい。
「すっごくうれしいです。ありがとう」
 私がそう書くと、真緒さんが不思議そうな顔をした。
 付け足す。
「自分が書いたの、気に入ってもらえるのって、すっごくうれしいんです」
 それを読んで真緒さんは、にっこりと笑うと、本物を愛でるように絵の中の猫の頭を撫でた。
 それを見ていたら、こっちまで本当に嬉しくなって、また笑った。

 あんな小さな猫一つで喜んでくれるなんて、すごく嬉しい。
 もっと、喜んでほしい。
 真緒さんの嬉しそうな顔は本当に嬉しそうで、見ているだけでこっちまで幸せな気分になるから。
 そこまで考えて、大事なことを思い出した。
 そうだ、私は約束していた。
 絵本を書いて、真緒さんに見せると。
 絵本を書いたら、喜んでくれるだろう。気に入ってくれるだろうか。
 見てくれる人がいるのならば、やっぱり絵本を書いてみたい。
 あきらめないで、挑戦してみたい。
 そうと決まったら、はやかった。
 叔母さんの家に戻ると、この前、結局使えなかったノートをだしてくる。
 ページを開くと、へんてこならくがき猫がこちらを見てきた。
 そうだ、猫の物語にしよう。そうしたら、真緒さんが喜んでくれるかもしれない。
 真緒さんのノートの表紙に書いた、猫みたいなものをもう一度書いてみる。
 この子を主人公にしよう。
 小さな猫ちゃんの大冒険、みたいなものにしよう。
 ありがちかもしれないけれども、そう決める。
 真緒さんがわくわくどきどきして、表情をころころ変えてくれるような、そういうものしよう。
 次は、ストーリーを先に、決めることにする。
 どきどきわくわくするような冒険活劇。さて、どこを冒険させよう。
 川とか、野原とか、公園とか散歩した猫ちゃんは、最後優しい飼い主の待つ、あたたかい家に帰るのだ。
 考えていると、私がどきどきわくわくしてきた。
 ここまで、真緒さんたちには色々とお世話になったし、恩返しのほんのかけらぐらいはできるだろうか。
 真緒さんが喜んでくれたら、隆二さんもきっと喜んでくれるだろうし。
 無地のノートに、猫を描いていく。
 ありったけの思いを、伝えたくって。
 今までの真緒さんへの感謝の気持ちをこめて。
 それから、憧れとか、羨ましいとかいう気持ちも、全部こめて。
 書いていくうちに、どんどん気分がのってきた。
 最初は、真緒さんをイメージしてかいていた猫だけれども、途中から完全に猫に自己投影をはじめた。
 これは、私。
 自由に色々冒険して、自由に過ごして、それでも最後おかえりなさいって迎えてもらえるのは、私。
 最後に、大きな掌に撫でられているのは、私だ。
 私の憧れの世界、だ。
 絵本のなかならば私は自由だ。
 最後の一ページ。帰って来た猫の頭を撫でる、大きくて優しい手に、ていねいに色を塗っていく。
 最後の指が、塗り終わった。
「……できた」
 ほうっと息を吐きながら、呟く。
 正直、全体を通してみると、猫の絵はページごとに違っていて、別人みたいになっているし、ストーリーだって滑稽無糖に過ぎるかもしれない。
 それでも、
「ようやくできた」
 これは私の絵本だ。
 埋められたページ達を眺める。
 充実感が、胸を支配した。
 ああ、こんな満足感があるから、きっと、世の中の絵本作家たちは絵本を書き続けるんだろうな、と思えた。
 きっと、別の世界に生きる人なんじゃなくって、完成させる楽しみを知っている人なのだろう。