頬をはらして帰ったけれども、思っていたよりも叔母さんは慌てなかった。驚いたような顔はしたけれども。
 氷の入った袋を渡されて、冷やすように言われる。
 その慌てない姿に、叔母さんも多少はわかっていたんだな、っと思った。
「叔母さん」
「なぁに?」
 ぱたぱたと動く背中に声をかける。
「……何にも言わなくて、ごめんなさい」
 思っていたことを素直に口にすると、叔母さんは一瞬、くしゃりと顔を歪め、泣きそうな顔をした。
 それでもすぐに、
「佐緒里ちゃんが平気ならいいのよ」
 って笑った。
 それに感謝する。
 澪には後で、なにうちの親泣かしてんの、なんて言われたけれども。
 もっと頼ればよかったのかもしれない。本当にそう思った。

 特に強く思ったのは、それから一週間後のことだった。
「帰れる?」
 叔母さんの発言に、間抜け面を晒しながら問いかける。
「ええ」
 叔母さんはしっかりと頷いた。
 帰れる? 東京に。
 叔母さんが言うには、母の容態はまだ完璧とは言えないものの、自宅には戻ることが出来るようになったし、自宅に戻るのならば、一人暮らしよりも私がいた方がいいだろう、というもの。
「もうすぐ三年生になるしねー。進路は選択肢が多い方がいいでしょう?」
 と、あまり高校の選択肢がないこの地域を揶揄して笑った。
 隣で澪が不服そうな顔をしていた。
「それにね」
 と、叔母さんはなんでもないような口調で続ける。
「佐緒里ちゃんにとっても、こっちの暮らしは辛かったでしょう?」
 さらりと続けられた言葉に、きゅっと胸が締め付けられる思いがした。
 叔母さんはやっぱり、全部わかっていたのだろう。
 それでも、私を尊重して、何も言わずに自由にさせてくれていた。
 そのことに、心の底から感謝する。
 私なら、どうだろうか。
 預かった姪が、自分に黙って影でいやがらせをうけていたら、やっぱりいい気分はしないだろう。
 それなのに、適切に対処してくれたことを、感謝する。
 ぽろっと、右目から涙がこぼれ落ちた。
「あれっ」
 慌てて目元に手を当てる。
 だけどもう、止まらなかった。次から次へと、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
「あらあら」
 叔母さんは少し笑いながら、手を伸ばし、そっと私の頭を抱えこんだ。抱きしめるみたいに。
 あたたかい手に頭を撫でられて、さらに涙が止まらなくなる。
 お母さん、みたい。
 肩肘はっていたものが、一気に決壊した。
 あとからあとから、涙が出てくる。
「ごめんなさいっ」
 言えばよかったのだ。
 隆二さんに言われたみたいに、ちゃんと頼ればよかった。
 黙っていられる方が迷惑だし、黙っていられる方が心配なのだ。
 もっと素直になっておけばよかった。
「意地っぱりだから」
 背後で澪がつまらなさそうに呟いたのがわかった。
 意地っぱりだけは、澪に言われたくない。
 結局のところ、似た者同士なのだ。従姉妹だから。

 それからなんだかんだ忙しくて、図書館に顔をださなかった。
 居場所がないから、と図書館で時間を潰す必要性がなくなったのもあるし、図書館に行って、あんなことを言ったのに隆二さんたちと顔を合わせるのがきまずかった、というのもある。
 だから、あれ以来、隆二さんたちには会っていなかった。
 東京に戻る日が近づいたある日。
 やっぱり最後に挨拶ぐらいしよう、と家を出た。
 図書館をのぞいたけれども、二人の姿はなかった。
 河原と神社にも、寄ったけれどもいなかった。
 ということは、残されたのは自宅だけだ。
 来るな、と言われたのに行くのは、図々しいし、よくないことだとは思った
 でも、真緒さんは来てもいいって、言ってくれたもんな。
 私は隆二さんじゃなくって、真緒さんに会いにいくんだもん。
 そう、自分を擁護する。
 本当は、この時期に行っても、真緒さんがいないことはわかっていたけれども。それはそれ、うっかりだと言い張ればいい。
 久しぶりに来る、真緒さんたちの家。
 静かだ。
 自転車をとめると、意を決して、玄関のチャイムを押した。
 ぴーんぽーん。
 音が響く。
 どきどきしながら、インターホンをみつめて、
「……あれ」
 なんの反応がないことに、落胆する。
 もう一度押してみるが、結果は同じ。
 どうやら、いないみたいだ。
 肩すかしに苦笑する。
 せっかく、気合いをいれてきたのに。
 しかたなく、鞄から書いてきた手紙を取り出す。
 今日、真緒さんがいないことはわかっていたから、真緒さんに宛てた手紙は用意してきたのだ。
 真緒さんへ、佐緒里より、と書かれた封筒を見つめる。
 ここに隆二さんへのメッセージを付け足すかちょっと悩んで、やめた。中身は二人への感謝だし、真緒さんが読んでくれさえすれば、隆二さんにも伝わるだろう。
 それをポストにいれる。
 最後に一目、会いたかったかなー。ちょっと残念。
 自転車に乗ると、叔母さんの家に向かって漕ぎ出した。
 途中で一度振り返る。
 どこかで真緒さんが笑ったような、そんな気がした。