目覚まし三つの音で、アリスはしぶしぶ目を覚ました。
 昨日はあれから、結局眠ってしまったらしい。いつのまにか濡れていた目元を片手で擦る。
 大きく溜息。
 あんな風に言い逃げして、今日は銀次と顔を合わせにくい。多分銀次の方は、なんでもないような顔をしてアリスの前に現れるのだろうけれども。いつもみたいにびしっと隙なくスーツを着こなして、それでいて飄々と尋ねてくるのだろう。お嬢様、今日のご予定は? なんて。いつもみたいに。
 向こうが気まずさをひきずったりしないだろうというのは、ある意味とてもやりやすい。
 だけれども、それはそれで腹がたつ。なかったことにされたようで。
 もう一度ため息をつきながら立ち上がる。
 ふっと机の上のケータイを見ると、メールがきていた。
 開く。
 差出人は意外な人物だった。

 目覚ましの音で、銀次は目を覚ました。
 眠い目を擦る。昨日は結局殆ど眠れなかった。
 頭を軽く振って、眠気を追い払う。
 あんなことがあって、アリスと顔を合わせ辛い。
 もっともそれは多分向こうも一緒だし、意地っ張りでプライドの高いアリスのことだ。銀次よりも強く、気まずいと思っているはず。
 できるだけこちらがなんでもないようなフリをしてあげないとな、と思う。
 顔を洗い、目を覚ますと、いつものぴっちりとしたスーツに着替える。これもある意味、銀次の戦闘服だ。背筋をしゃんっと伸ばす。
 鏡の中の自分は、多少顔色は悪いものの、いつもと同じように立っていた。これなら大丈夫だろう。
 気合いをいれると、部屋を後にする。
 さて、車のチェックをして、お嬢様に今日の予定を聞いて。頭の中で計画を立てていると、
「……白藤」
 廊下の角を曲がったところで声をかけられた。
「おっ、嬢様っ」
 正直驚いた。声が裏返った。気合いいれたのに台無しじゃないか、なんでこんな予期せぬところにいるのだ。
「おはようございます」
 気を取り直して挨拶をすると、
「ん、おはよう」
 アリスは少し俯きながら頷いた。
「……昨日、ごめんね」
 そのままこちらを見て小さな声で言う。知らずに上目遣いになっていて、それはなかなか可愛いからやめて欲しい。
「いえ。……マグカップを片付けるぐらいなんでもないです」
 そう答えるとアリスは、おちょくられたとでもいいたげな顔と、スルーしてくれて助かったとでも言いたげな顔を交互にして、結局自分の中でなにか感情に折り合いを付けたのか、一度軽く頷いた。
「あの、それで白藤。今日は、そのお願いがあるんだけど」
 もじもじした言い方に、どんな無理難題をふっかけられるのかと、身構える。
「はい」
「……行きたいところがあって」
 アリスの答えに拍子抜けする。それをなんでそんな態度でいう必要が?
「どちらでしょうか? お嬢様の行きたいところにお嬢様をお連れするのがわたくしめの仕事です」
 そんなことアリスだってわかっているだろうに。
「……勿論、車で行ける範囲ですよ。ジンバブエとか言われても、困ります」
「わかってるよぉ。っていうかなんでジンバブエ?」
 アリスは小さく唇を尖らせてから、
「……みんなに内緒に出来る? 優里にもシュナイダーにも」
 こそっと伺うように尋ねてくる。
 シュナイダーにも、秘密?
「……善処します」
「……そこはわかりましたって言ってよ」
「そもそもまずお嬢様、シュナイダーさん相手に隠し事が出来るとお思いですか?」
 どんなに隠し事をしていても、どこからか真実を拾って来るのが、有能なる鈴間屋の執事長だ。
「バレる時間を遅くすることぐらいなら可能ですが……」
「……まぁ、そうよね」
 アリスは小さくため息をついた。
「そうなのよねー、シュナイダーに隠し事なんかできるわけないのに。でもまあ、だからってやっぱりおおっぴらにするわけにもいかないし」
 自分を納得させるかのように小声で呟くと、
「とにかくバレちゃったら仕方ないから、とりあえずごまかすとか、そういうの」
「善処します」
「だから、そこはわかりましたって言いなさいよ」
 呆れたように言いながらも、アリスが片手のケータイを操作する。そして、
「ん」
 少しの躊躇いのあと、ケータイを銀次に差し出した。
「はい?」
「見て」
 言われたとおりにその画面を見る。メールだった。それを見て、理解した。
「……ああ、なるほど」
 これはそういう態度にもなる。
「……ごめんね、大丈夫?」
「はい。……ですが、お嬢様、本当に行くのですか?」
「うん。仕方ないけど。本当はあんまり気乗りしないけど、ろくでもないこと起きそうで。だけど」
 アリスは銀次から返されたケータイを左手で軽く撫でながら呟いた。
「半年ぶりのくそ親父からの連絡だもの、行かないわけにも、それこそいかないでしょう」