メールは鈴間屋の主であり、アリスのくそ親父であり、諸悪の根源である鈴間屋拓郎からのものであった。曰く、「大事な話があるから、添付の地図の場所に来い。白藤は連れて来い。他の人間には何も言うな。言ったら大変なことにしてやるぞ」と。 どこの誘拐犯だよあんたは、と銀次は思った。実際は、誘拐犯よりももっとやっかいな存在だけれども。 アリスの行きたいところにアリスを連れて行くのが銀次の仕事だ。しかし、今回ばかりはどうだろう。 アリスと別れ、朝の車の点検をしながら思う。 果たして本当に、連れて行っていいものだろうか? 鈴間屋拓郎がとんでもない問題人物なことは身を以て知っているし。銀次だけを連れて来いというのは、なにも運転手としてというだけではないだろう。Xのこと、メタリッカーのことに関係してくるはずだ。 そう考えると、行かない方がいい気がしてくる。下手すると、アリスを危険にさらすことになってしまう。 しかし、アリスの性格からして行かないという選択は選ばないだろう。仮に、銀次が連れて行くのを拒否したところで、一人でいってしまうに決まっている。彼女を一人にするぐらいならば、自分がついていった方が安全なはずだ。何せメタリッカーなんだし。 じゃあ、行くとしてだ。なんの対策もとらずに行っていいものだろうか。 どうしたもんかな、と一つため息をつくと、 「なにを悩んでいるのですか、銀次君」 急に背後から声をかけられて、飛び上がらんばかりに驚いた。 振り返ると、いつもと同じようにびしっと背筋をのばした執事長がそこにいた。 「しゅ、シュナイダーさん。おはようございます」 「おはようございます。それで、どんな問題が発生しましたか?」 淡々と問いかけてくる。銀次がなにかに悩んでいるのは当然の前提としての発言だ。 「……いえ」 一旦否定すると、嘘おっしゃいとでも言いたげにシュナイダーの片眉が動いた。 「……お嬢様に口止めされています」 だから素直にそう答えた。銀次がシュナイダーに嘘をついて、それを隠し通せるわけがないのだ。 「なるほど」 シュナイダーは小さく呟いた。 「言えませんか?」 「言えません」 一応、拓郎にも口止めされていることだし。「他の人間に言ったら大変なことにしてやるぞ」となんとも不安定で曖昧な脅しだが、脅されていることは事実だ。そして、拓郎にならばとんでもなく大変なことができることを、銀次はよく知っている。なにせ、世界征服を企む男なのだから。 じっと見てくるシュナイダーから視線を逸らさない。言えない、口には出せない。だから、読み取ってください。 「……わかりました」 しばらく銀次の思惑をはかるように視線をあわせていたシュナイダーだが、やがてそっと息を吐くように頷いた。 そしてほんの少しだけ口元を緩めた。 「無理はしないように。無理が祟って明日お休みが必要な場合には、きちんと申請書をだしておいてくださいね」 言われた言葉を少しだけ時間をかけて理解し、 「はい、わかりました」 素直に頷いた。 「では、お気をつけて。お嬢様をよろしくお願いします」 それだけいって、背筋をまっすぐ伸ばしたままシュナイダーは家の中に消えていった。 「……申請書ね」 行き先のメモぐらい残しておけ、ということだろう。言うんじゃなくて書くならぎりぎりセーフかね。そんな頓知のようなことを思いながら、銀次は気合いを入れ直すと、車のチェックに戻った。 アリスを乗せて、銀次が運転する車は地図に示された場所に向かう。廃工場だなんて、いかにもおあつらえ向きな場所だ。 「……ったく、あの人なんなの、被害者を呼び出して殺害する犯人とか、悪の怪人幹部にでもなったつもりなの?」 窓の外を睨みながらアリスが呟く。後者はほとんどあたっている。残念なことに。 「お嬢様」 「なに?」 気怠げに視線を向けられる。呼びかけてしまったものの、なんの話をするか、考えていなかった。 「……その、今ならまだ、引き返せます」 出て来た言葉は我ながら情けなかった。 アリスの眉がぴくりと動くのをミラー越しに確認する。やばい、怒られるか? うだうだ言うな! とかって。なんて身構えたが、 「……まあねー」 アリスは溜息まじりに言葉を吐き出した。 「もう嫌な予感しかしないし、引き返したくもある」 だけど、とアリスはミラー越しに銀次を睨む。 「白藤、そんなに反対するっていうことは、もしかしてくそ親父が何の話するつもりなのか、知っているの?」 「……はい?」 予期せぬことを言われて言葉が裏返った。しまった、不安が先走りすぎて、怪しい言動をとってしまっただろうか。 「何をおっしゃっているんですか、お嬢様」 しらばっくれてみたものの、 「知っているのね」 脅すような声色で言われた。 「いえなにも」 「嘘おっしゃい」 きっとアリスの眉が吊り上がる。 「今日のことだけじゃない。あなた、本当は全部知っているんでしょう? あのくそ親父がなんで居なくなったのかも、全部。白藤だけじゃない、シュナイダーも優里も、本当は皆知っているんでしょう?」 後部座席から身を乗り出すようにして、アリスが畳み掛けてくる。 「答えなさい、白藤。あなたは何を隠してるの?」 低い声で言われる。 車内に重苦しい沈黙が流れ、 「……何も、存じておりません」 かろうじて銀次はそれだけを口にした。 「……そ」 納得したわけではないだろうが、アリスは小さく言葉を投げ捨てると、後部座席の背もたれにぽすんっと身を預けた。視線を正面から窓の外に移して呟く。 「じゃあもうそういうことでいいわ。どうせ、あのくそ親父が話してくれるでしょうし。だけど」 少しだけ小さい声で、ぽつんっと続けた。 「あなたの口から聞きたかった」 車内に投げ出された弱々しい言葉に、罪悪感に苛まれる。傷つけてしまった。のけ者にされた、とでも思ったかもしれない。 だけれども。 ハンドルを握った手に力を入れる。 だけれども、言えるわけがない。自分がメタリッカーなんてそんなこと、言えるわけない。言いたくない。化け物だなんて。 言ったらもう、この距離には、この場所には、戻れないかもしれないのに。 そんなこと言えない。 軽く唇を噛む。 アリスはまだ窓の外を見たまま、動かない。 車は着実に目的地に向かっている。 絶対に言えないけれども。だけれどももし、なにかがあったら、ちゃんと彼女を守らなくては。そうとも誓う。バレることを厭うあまり、アリスを傷つけるようなことだけは避けなければならない。 そう自分に言い聞かせている間に、目的の廃工場についた。 |