古びた工場の扉を、アリスは躊躇うことなく開けようとする。
「お嬢様っ、私がやりますから」
 なにか出て来たらどうするのだ。なんで今日に限って自分で開けようとするのか、いつもなら開けさせるくせに。
「ん」
 アリスが素直に一歩横にずれるので、ゆっくりと銀次は扉を開ける。
 そっと中をのぞいたが、特になにかが飛び出して来る気配もない。
 ないが、中にきっといる。Xが。
 片手で軽く腹部にふれる。自分の中のXがざわめいている。少し大人しくしていろよ、と言い聞かせる。
 研究班が作ってくれたデバイスは、普段は銀次の体内に埋め込まれている、というか取り込まれている。最初は外付けのベルトだったのだが、変身して戻る時にどうやらメタリッカーの要素と一緒に体内に組み込まれてしまったのだ。変身するときにだけ、そとにでてくるようになっている。そのデバイスのおかげでメタリッカーに勝手に変身すること、暴走することを防いでいるが、だからと言って油断ならない。
 ここは諸悪の根源である鈴間屋拓郎の手の内であるのだから。
「さて、入りましょ?」
 なんでもないようにアリスが言うから、慌てて、
「お嬢様っ、私が先に行きますから」
 前に立つ。アリスが一度目を見開くから、出過ぎた真似をしたかと思ったが、
「ん、ありがと」
 なんだかちょっと嬉しそうにアリスは頷いた。何だソレ。
 ゆっくりと中に入る。
「……今更ですが、入っていいんですかね、勝手に」
 薄暗い中をゆっくり進みながら呟く。
「不法侵入とかじゃ……」
「勝手じゃないから平気」
「はい?」
「ここ、もともとはうちの持ち物だから。今はもう使ってなくて、取り壊すのにもお金かかるからってくそ親父が放置しているだけ。私はなにか別のことに使った方がいいって、ずっと言っているんだけど」
 なんでもないようにアリスが答える。
「……なるほど、さようでございますか」
 さすが鈴間屋。
 しかし、普段使っていないが鈴間屋の持ち物であるとするならば、拓郎が好き勝手使っている可能性も高いのか、とよりいっそう警戒を強める。
 中央まで進んだところで、銀次は足を止めた。
「白藤?」
 共鳴、している。すぐそこにいる。Xが。それも一体ではないはずだ。
 腹部を押さえて、体を曲げる。
 痛い痛い痛い。
「どうかしたの? 大丈夫?」
 アリスの心配そうな言葉に返事が返せない。
 考えてみたら、メタリッカーに変身せずにXにここまで近づいたことがこれまでなかった。
 耐え切れなくなってしゃがみこむ。
 はやくだせと外にだせと、体内でメタリッカーが叫んでいる。
 はやく外に出して自分以外のXを駆逐したい、と叫んでいる。
「白藤!」
 きっと変身してしまえば楽なのだろう。そうして近くに居るXを倒してしまえば楽になるのだろう。容易に想像できる。
 誘惑される。変身してしまえと。
 だけど。
「白藤!」
 必死に名前を呼んで、心配そうな顔をして、背中をさすってくれる。彼女の前で変身したくない。ばれたくない。
 耐えなければ。
 ぐっと奥歯を噛み締める。
「……強情だねぇ、白藤」
 声がした。
 アリスの声ではない。男の声。
「……くそ親父っ」
 忌々しげにアリスが叫ぶ。
 いつの間に現れたのか、少し奥に鈴間屋拓郎が立っていた。
「久しぶりだね、アリス」
「あんたが白藤に何かしたのっ」
「それが父親に対する口のきき方か?」
「今更父親面しないでよ、くそ親父」
 アリスが銀次を庇うように一歩前に出る。
 危ないからさがって。そうは思うものの声が出ない。
 なんとか震える片手を伸ばして、アリスの右手を掴んだ。
「白藤? 大丈夫?」
 それをどう受け取ったのか、アリスは銀次の前にしゃがみこんだ。
「白藤?」
「白藤なら大丈夫だよ、アリス」
「あんたは黙ってなさいよ、くそ親父」
 しゃがみこんだまま、アリスが威勢よく吠える。
「だから白藤になにをしたのかって訊いているのよっ、はやくどうにかしなさいよっ」
「うーん、話すことは吝かではないんだが、話すと長くなるなぁ」
「はやくしなさいっ」
 アリスの恫喝を受けて、拓郎は仕方ないなぁと呟くと、ぱちんっと指を鳴らした。
「ぐっ」
 瞬間、Xの気配がより強くなって、メタリッカーもよりいっそう暴れ出した。口から思わずうめき声が漏れる。
「白藤っ!」
 アリスが殆ど悲鳴に近い声をあげる。
「あれ、これでもまだ耐えるんだ? 思ったより、耐性ついているなぁ。もう殆ど乗っ取られたころだと思ったから呼び出したのに。あ、シュナイダーの差し金か」
 拓郎がのんびりと呟く。
「何をわけのわからないことをごちゃごちゃとっ!」
 アリスは拓郎の方を振り返りながら叫び、
「っ!」
 ひっと悲鳴をあげた。
 鈴間屋拓郎の周りを取り囲む、数体の異形の化け物を見て。
「……X?」
 アリスが小さく呟く。
「ああ、そうだよ。これが世間を賑わせているXだ。実物は、初めて見るかい? アリス」
「……なによ、それ」
 怯えたようにアリスが呟き、少し身を引く。
 銀次は掴んだままだったアリスの右手を、なけなしの力で強く握った。
「白藤っ」
 泣きそうな顔でアリスがこちらを見る。
 痛みに耐えながらも顔をあげて、小さく一度だけ頷いた。安心させるように。
「うっ」
 けれども、すぐにまた痛みに襲われて目を閉じた。
 出せ出せと、メタリッカーが叫ぶ。そうはさせない。そんなことになったら、拓郎の思うつぼだ。
 一瞬だけだったが、銀次と目をあわせたことでアリスは些か落ち着いたらしい。
「説明しなさいよ、くそ親父。それはどういうことよっ」
 いつもの調子で叫んだ。
 ただ、それが虚勢なことは、彼女の震える手が伝えてくる。
「なんなの? こんな廃工場に呼び出して。Xなんか周りに従えてっ。なんでそんな、悪の軍団の親玉みたいなことをっ」
「ああ、それだよ」
 アリスの叫びを、のらりくらりと拓郎は交わした。そして代わりにぽんっと手を打って、微笑む。
「はぁ?」
「それだよ、アリス。悪の軍団の親玉、だ」
 鈴間屋拓郎は、まったく場にそぐわないのんびりとした口調で続けた。
「Xはね、アリス。私の発明品なのだよ」
 そうして勝ち誇ったような顔で告げた。
「は?」
 怪訝な顔をするアリスに、拓郎はいつかの、あの日シュナイダーが読み上げた手紙に書いてあったことと同じ説明を始める。自分がXを見つけた過程を、世界征服を企んでいることを。さらには、今ではXをてなづけ、命令に従わせることができるようになったことまでも。滔々と拓郎が演説する。
「……なるほど。わかったわ。つまり、一連のことはあんたの仕業なのね?」
 その一連の説明を聞き終わり、アリスは拓郎を睨みつける。
「このっ、大バカくそ親父っ。なんでこんなことをするのよっ! 世界征服ってなに、バカじゃないの? っていうかバカでしょう! こんなことして、一体何になるっていうのよっ! 何がしたいのよっ!」
 体全体を使ったような大声で叫んだアリスを、
「美里のためだ。わかるだろう?」
 拓郎の淡々とした声が静めた。
 鈴間屋美里。鈴間屋拓郎の妻で、アリスの母親。
「……ママ?」
 か細い声でアリスが呟く。
「ああ、Xは素晴らしいと思わないか、アリス? 生き物の形を変える。上手く扱えば、死者をも蘇らせることが出来るかもしれない。美里がいなくなってから、私の世界は死んだようだった。彼女に生きていてほしかった。それはアリス、お前も一緒だろう? 私の最終的な目標は、美里を生き返らせることだ。世界征服は、その手段にしか過ぎないのだよ。人類全体を使って、Xの研究を進める。世界は私の研究所だ。美里さえ生き返ってくれるのならば、世界ぐらい安い物だ」
 堂々と拓郎は宣言した。
 そっかなるほどね、と小さく呟いてアリスは左手で顔を覆った。一瞬見えた横顔が、なんだか泣きそうに見えて、
「……おじょう、さまっ」
 なんとか声を絞り出して呼ぶと、その右手をひっぱる。
 アリスは顔をあげない。
 不安が胸を過る。まさか今の演説で、説得されたわけじゃないよな?
「ああそうだ。わかったなら、アリス。さぁ、手伝いなさい」
 拓郎は両手を広げてそう言った。
「そうね」
 アリスは顔をあげて頷くと、銀次の手を振り払った。
「っ、あり、すっ」
 それに思わず名前を呼ぶ。掠れた小さな声は届かない。
 そっちに行く気ではないだろうな。
 もう一度手を掴もうとなんとか腕を伸ばすが、アリスが立ち上がったことでその手は空を切った。
 アリスは立ち上がり、拓郎を見据えると、走った。
 拓郎に向けて。
 そして
「寝言は寝てから言いなさいよっ、このくそ親父っ!」
 叫びながら殴りかかろうとする。
 拓郎が右手をあげたことによって指示されたのか、Xの集団がそれを阻止しようと、アリスに襲いかかり、
「お嬢様っ!」
 メタリッカーがそれを阻止した。
「……メタリッカー?」
 アリスが小声で呟く。
 ぎりぎりのところで間に合った変身で、一番手前のXを蹴り倒し、アリスの腕を掴むと抱き寄せるようにして庇う。
「いたっ」
 思わずでたようなアリスの悲鳴に、慌てて掴んでいた腕の力を緩めた。軽く掴んだだけなのに、力が強かったらしい。つくづくこの体は化け物だ。力が強過ぎる。まったくどこまでも、化け物だ。
 しかし今はそんなことを考えて、憂いている場合じゃない。
 力を加減してアリスを抱えると、X達から距離をとりなおした。
 XはXで、拓郎からの指示があったのか動きを止める。
「え、なんで? っていうか、お嬢様って……」
 アリスが呟き、メタリッカーの腕をとる。
「こちらを向きなさいっ」
 いつものような命令口調で言われて、思わず彼女の顔に視線を合わせてしまう。
 驚きが滲んだ顔で、じっと見つめられる。
 どきり、とする。それは嫌な意味で。
 心臓が冷や汗をかく。
 ここにくる時に、ばれることを想定していなかったわけではない。覚悟していなかったわけではない。わけではないけれども、
「……白藤、なの?」
 アリスが、さっきまで後ろにいたはずの男の名前を呼ぶ。
 実際にバレてしまうと、気持ちは波立つ。
「はははは! それも私の発明なんだよ、アリス!」
 拓郎が高らかに宣言する。肯定しやがってくそったれ。
 ああ、ついにバレてしまった。
 アリスの大きな瞳が、さらに大きく見開かれてただ呆然とメタリッカーを見つめる。
 銀次はそっと下を向いた。
 さぞかし怯えられることだろう。化け物だとバレて。
「あんたが、そんな……」
 アリスがメタリッカーとなった銀次を見ながら小さく呟く。
「お嬢様、その」
 何か言い訳しようと口を開きかけ、結局何も言えなかった。
 まぎれもない事実だからだ。銀次がメタリッカーなことは。
 アリスは一度視線を床に落とし、いらただしげに地面を睨みつけ、
「ふざけないでっ!」
 顔をあげると同時に一声吠え、足元に落ちていたがれきを拾うと、投げつけた。
 拓郎に向かって。
「ぐほっ!」
 まさかのクリーンヒットだった。
「あんたがあんたがあんたが!!」
 そのまま拓郎に殴りかかろうとするアリスを、銀次は慌てて引き止めた。
「ちょっ、お嬢様危ないです!」
「白藤!! あんたも怒りなさいよ! こんな! ……なんで言わないのっ!」
 叫んだ彼女の目は涙に濡れていた。
 それに心臓がざわめく。
「……お嬢様?」
「言いなさいよ、ばかっ。あんたが隠していたのはこれなのっ!? なんで言わないのっ、なんで怒らないのっ!」
 大粒の涙をこぼしながらアリスが叫ぶ。
 ばかばかばかばかばか、っと叫ぶとアリスはそのまましゃがみ込む。
「お嬢様っ」
 予想外の反応にとまどって、おろおろとアリスを見下ろす。
「アリス」
 拓郎が名前を呼ぶと、アリスは睨みつけるような鋭い眼光で拓郎を見た。
「返事をきかせなさい。こちらにきなさい」
「お断りにきまってるでしょうこのくそおやじっ!!」
 大声で斬り捨てた。
「そうか」
 拓郎は特にがっかりした様子も見せず、淡々と頷く。
「まあお前は白藤が昔から好きだったから、こうなるだろうな、とは思っていたがな」
 だが、とそこで声色を一変させる。ぞっとするほど冷たい声。
「ということは、お前は美里ではなく白藤を選んだということだ。美里の娘のくせに。そんなもの、要らない」
 ぱちり、と拓郎は指をならした。
 ざわりと危機感に肌が粟立ち、銀次はアリスの腕をひっぱると立たせ、自分の背後に庇う。
「そんなもの、死ねばいい」
 冷たくそれだけ言い放つ。
 ひっと、背後でアリスが悲鳴をあげた。
 同時に、周りで控えていたX達が、銀次達の方に向けて突撃してきた。
「くそっ」
 銀次は舌打ちすると、
「お嬢様っ」
 背後のアリスに向かって叫ぶ。
「離れて! どこかに隠れてっ!」
 言いながら迫って来たX二体を蹴り倒す。
 アリスが動く気配はない。恐怖かなにかで縛られている。
「何をぐずぐずしてるんだっ、はやくしろっ!!」
 今度は強い口調でそう叫ぶと、アリスは、
「は、はいっ!」
 裏返ったような声で返事をして、もつれるような足取りで駆け出した。
 それを追おうとしたXを殴り飛ばし、一方でこちらに迫ってくるXに頭突きをかまし、
「ああもう、埒があかねぇ」
 ぼやくと、腹部に現れたデバイスを操作した。
「レーザーソード!」
 呼び声に反応し、デバイスから光の剣が現れる。
 必殺の武器だ。ただのキックやパンチでやるよりも早い。
「とっとと決めてやるっ」
 ただあまり使いたくなかった。メタリッカーのパワーを大量消費するから。メタリッカーに体を乗っ取られる未来が近くなるから。だけれども、そんな我が侭言っていられない。
 遠い未来の危難よりも、目先の危難だ。急迫不正の侵害だ。
 精神を集中させる。
 レーザーソードがより光を強くする。
 気合いを入れて叫び、
「メタリッカークラッシュ!」
 ソードを振る。まず横に一閃させ、次は縦に。
 斬られたX達が、少しの間を置いて崩れ落ちた。そのままその体は砂のようになり、霧散した。
 数が多過ぎて、まだ数体残っている。
 一度舌打ち。
 気合いを入れ直し、もう一度、
「メタリッカークラッシュ!」
 ぱっと残りのXが消え去る。
 それでも油断せず辺りを見回すが、周りにXの姿はない。銀次の体の中の、メタリッカーも、もはや共鳴をしていない。近くにはいない。
「! 旦那様っ!」
 諸悪の根源のことを思い出し、視線を奥に向けるが、そこにはもう拓郎の姿はなかった。逃げられたか、と舌打ちする。
 振り返ると、残されていた机の陰に隠れるようにしてアリスが見ていた。
 無事のようでよかった。だけれども一体、このあと、どういう顔で接したらいいものか。
 アリスの顔から、彼女の思いは読み取れない。驚きのあまりか、無表情になっている。
 とりあえず銀次は変身をとき、アリスの元に駆け寄った。
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫」
 意外にも、アリスはいつもと同じテンションで頷いた。露骨に怯えられたりしなくて、それに少し安堵した。
「……だけど、白藤、あんた顔色が」
 アリスの言葉は、最後まで聞けなかった。
 それはよかった、と微笑んだ銀次は、そのままふらりと倒れ込んだ。
「白藤っ? 白藤!」