「大丈夫、すぐに目を覚ましますよ」 と、アリスを診た医者は言った。 ほっと、安堵の息をひとまず吐いた。 「ありがとうございます」 医者に頭を下げる。 ああ、本当によかった。 あの後、無我夢中でアリスを連れて鈴間屋に戻った。鈴間屋にまで戻れば、医者だっている。シュナイダーだっている。もうそれしか考えられなかった。 「まあ、頭ですから、念のため大きな病院で調べた方がいいとは思いますが」 「はい、そうします」 お大事に、と医者は部屋から出て行った。 アリスの部屋でベッドに寝かされたアリスを見る。頭に包帯を巻かれているものの、寝顔は穏やかそうで安心した。 ああ、本当によかった。無事でよかった。 「よかったですね、銀次くん」 シュナイダーの言葉に頷く。 ぐっと唇を噛み締めてアリスを見ていると、 「銀次さん」 ドアの横で控えていた優里が冷たく名前を呼んだ。 「貴方がついていながら、アリスお嬢様が怪我をされるなんて、一体どういうことなんでしょうか?」 「優里さん」 シュナイダーがたしなめるように名前を呼んだ。 「情けない」 それを無視して優里が言葉を続ける。 言い返せなかった。そのとおりだと思った。 メタリッカーは正義の味方ですよ。 かつて自分が言った言葉が蘇る。 大事な人も守れないで、何が正義の味方だ。 ぐっと体の横で拳を握る。 「本当、情けない。情けない顔」 畳み掛けるような優里の言葉の、声色が少しだけ変わった。 「休んで来たらいかがですか? あなたがそんな真っ青な顔していては、アリスお嬢様が目覚めたとき、余計にご心配かけるだけじゃありませんか。そんなこともわかりませんか? 低能ですね」 淡々と言われた言葉に、思わずそちらを見る。 「なにか?」 唇を曲げて優里が首を傾げた。それに首を横にふってみせる。 今のは、心配してくれたのだろうか。 「優里さんの言うとおりです。期せずして今日だけで四体も倒したわけですし、銀次くん、休んでください」 「だけど」 横からかけられたシュナイダーの言葉に反発の声をあげる。アリスがこんな状態なのに、のうのうと休むことなんて出来ない。自分の部屋は、ここから遠いし。 「隣の、優里の部屋を使っていいですから」 「優里さん?」 「タンスの中とか見たら、酷い目に遭わせますけど」 小さく首を傾げて、優里が言う。 「そうですね。お嬢様が起きたらすぐに、銀次くんにも声をかけますから」 シュナイダーも後押しする。 だけど、とまだ少し渋る気持ちを、 「その顔を、アリスお嬢様に見せることができるのですか?」 優里の言葉が後押しした。 確かに、今の自分はきっと酷い顔をしている。こんな顔を見せたら、また心配させてしまうだろう。 「……わかりました。お言葉に甘えます」 二人に頭を下げて、部屋を後にする。 アリスの隣の部屋は優里の部屋だ。 銀次と同じような部屋に、きちんとベッドメイクされているベッドに倒れ込む。 優里のつけている香水の匂いが、ほんの少しだけした。 体はとてつもなくしんどい。 重い体。目を閉じる。 だけど眠る訳にはいかない。アリスがまだ起きていないのにそんなことをするわけにはいかない。 ふっと脳裏に、先ほどのふっとんでいくアリスの映像が蘇る。 思い出しただけで、心臓が氷の手で掴まれたかのように冷えた。 ぐっとシーツを握った。 無事でよかった本当によかった。 ゆっくりと安堵の息を、再び吐いた。 いつの間にか眠ってしまったらしい。 軽く頭をふって上体を起こしたところでノック音。 「はい」 返事をすると、シュナイダーが姿を見せた。 なんだか沈痛な面持ち。 「お嬢様が亡くなりました」 そうして彼はそう言った。 「……え?」 何を言われたのかがわからずに問い返す。 「お嬢様が亡くなりました」 シュナイダーは再びそう言った。 「え、だって」 何を言っているのかがわからない。だって、さっき、大丈夫だって言っていたじゃないか。 「銀次君のせいです」 あっけにとられる銀次に、シュナイダーが淡々と言う。 「銀次君がお嬢様を守れないから、こんなことになるんです」 「銀次さんのせいよ」 シュナイダーの後ろから顔をだした優里が言った。 「可哀想なアリスお嬢様。大好きな銀次さんに守ってもらうこともなく亡くなってしまうなんて。なんて可哀想なアリスお嬢様」 いつもの優里節も、いっそう怖い。 何を言っているのだろう、この人達は。 アリスが、そんなこと。 「貴方のせいです」 「貴方のせいよ、白藤」 耳元で、アリスの声が聞こえた。 「私が死んだのは、貴方のせいよっ」 「お嬢様!」 自分の叫び声で目を覚ました。 「……夢?」 嫌な夢だ。 うんざりしながら起き上がり、アリスの様子を見に行こうかと立ち上がると、 「銀次君」 丁度シュナイダーが呼びに来た。 夢と同じ展開に少し身構えたが、 「お目覚めになりましたよ」 シュナイダーは柔らかく微笑んだ。 銀次が部屋に入ると、アリスはベッドに上体を起こし、座っていた。 顔色が元に戻っていて安心する。 ベッドの横に立っていた優里が、銀次を一瞥すると、少しだけ唇を歪めた。 「お嬢様」 呼ぶと、ほっと安心したような顔をする。 「白藤」 「大丈夫ですか?」 「うん、あの、ごめんね」 「いえ」 なにを謝るのだろうか。謝らなければならないのは、こちらの方だ。 「いえ、申し訳ありません」 頭を下げる。 「ううん、ごめんね。待っていろって言われたのに、外に出て」 ああ、そんなこと。 「いいえ。お嬢様のお陰で、あの少女は助かりました。ありがとうございました」 頭を下げる。 「役に立ったならいいの」 アリスが少し笑う。屈託なく。 「白藤が世界を守ってくれている、その手助けができたならよかった」 なんとなくその顔が見ていられなくて、ほんの視線を外した。 「お嬢様、お怪我は大丈夫ですか? 無理しないでくださいね」 代わりにそう尋ねると、 「大丈夫だよ。白藤は? ちゃんと休んだ? 体の具合は?」 代わりに心配そうに言われた。 ああ、だから、心配するのはこちらの方だ。 「白藤は言わないから。辛いとかそういうの」 当たり前のように彼女が言う。 なんだか、耐えられなくなった。その場にいることが。 「……白藤?」 「すみません、お嬢様。少し、失礼します」 早口で言うと、きびすを返す。逃げ出すように。 「白藤」 「頭を冷やしてきます」 追ってきた呼び声に、振り返らずそれだけいうと部屋を出た。 ぱたんと閉まるドアを見つめ、アリスは唖然とした。 あんな白藤銀次は、初めてみた。一体どうしたというのだろう。 とりあえず追わなくちゃ。一人にしておけない。あんな思いつめた顔をした彼を。 そう思ってベッドから立ち上がろうとしたところを、 「駄目ですよ」 隣にいた優里にそっと押しとどめられた。 「まだ起きてはだめです」 「だけど」 ドアを見る。だって白藤は言わないから。彼がここに来てから、不平を聞いたことがない。だから心配なのだ。今だって、何かを溜め込んでいるんじゃないだろうか。 「ねぇ、優里、追って」 せめて誰かに様子を見てきてもらいたい。 「……なんで優里が」 「お願い」 結局、可愛い可愛いアリスお嬢様の頼みを、優里が断れるわけなどなかった。 「……銀次さんに貸し二、です」 しぶしぶ言いながら、優里はそのスカートの裾をひるがえして外に出て行った。 |