伯母はこの建物を私にくれたが、まったく無条件ではなかった。
 それが既に二階に住んでいた人をそのまま住まわせること、だった。そしてその人物こそが、峯岸だった。
 峯岸への最初の印象は、ムーミンのミィみたいな子だな、というものであった。
 むすっと結ばれた唇に、つり目がちの瞳。チチカカとかマライカで買ってきたような民族テイストのワンピースを着ていた。小柄な峯岸が着ると、ワンピースはやけに大きく見えた。
 頭の上にお団子を作っていて、左右に三つずつついたピアスが光っていた。右は耳たぶに三つ、左は耳たぶに一つと軟骨に二つ。見た目にはとても痛そうだ。
 当時の峯岸は、高校を卒業したばかりの十八歳だった。そして、家出中だった。
「家出中……」
 伯母が残してくれていたメモを見て、それから峯岸の顔を見た。峯岸は大きく頷いた。
 メモに書いてあるということは、伯母も知っていたのだろう。それでいてこの子を受け入れた。
 つまり……、どういうことよ?
 達筆過ぎて読みにくい伯母のメモと、イマイチ要領の得ない峯岸の話を総合すると、こういうことだ。
 峯岸はもともと駅の反対側に住むちょっといいお家のお嬢さんで、峯岸の母親と伯母はお料理教室でよく一緒になっていた。何度かお互いの家を行き来したこともあり、峯岸も伯母とは面識があった。
 ところで、峯岸は絵が描くことが好きで、将来はソレを仕事にしたいと思っている。
 ところが、ちょっといいお家のご両親は、その夢には大反対。絵を描くのならばせめて趣味にしなさい、美大はやめなさい、という両親と大げんか。こじれにこじれたけんかの挙げ句、趣味としても絵を描くことを禁止されてしまった。
 それに耐えられなくなった峯岸は家出。油絵の具と水彩絵の具と、お年玉を貯めた通帳だけをもって。
 しかし、未成年の女の子がふらっと現れて家を貸してくれるところなどない。ホテル暮らしにも限度がある。
 そこで峯岸が思い出したのが、何度か訪れたこの場所だった。突然現れた峯岸に伯母は驚き、ひとまず話を聞き、空いていた二階を一室貸し与え、峯岸の両親との間にたって話し合いをすることになったらしい。
 結局話し合いの末にでた結論は、両親の目が届くこの部屋に住み続けて、定期連絡を怠らないのならば一人暮らしをすることも許可すること。一人暮らしの費用は自分でまかなうこと。二十五歳までに結果が出せなければ、素直に親の言う場所に就職するか、お見合いすること。万が一、問題が生じたときは両親に、それが出来ないのならば伯母に相談すること。どうしても無理だと思ったら、諦めて実家に帰ること。
 他にも色々細々した条件はついたものの、そういうことで話し合いはまとまったらしい。なんだかんだで、娘には甘いご両親のようだ。
「なるほど……」
 事態を理解すると、私は小さく呟いた。
 峯岸がじっと、食い入るように私を見ている。
 その瞳に、少しの怯えの色を感じ取って、思わず口元が緩んだ。
 けんか腰のような、気の強そうな顔をしていて、ここを追い出されることに怯える。それでいて、素直に置いておいて欲しい、とは言わない。
 そのひねくれた態度が、とても可愛いと思った。
「私としては」
 口を開くと、ぴくりっと峯岸の肩が跳ねる。
「未成年というのがひっかかるけれども」
 わざと遠回りな言い方をしてみせる。峯岸の唇がいっそうきつく結ばれた。
 ああ、からかって悪かったな。ちょっと罪悪感。
「伯母さんのお願いだし、なんだかんだでご両親の承諾はあるみたいだし」
 少し瞳を大きくした峯岸に笑いかける。
「お家賃さえ払って頂けるのならば、異論はありません」
 峯岸の唇が少し動く。微笑む方向に。
 素直じゃない子。
「どうぞよろしくね、峯岸さん」
 そう言って笑うと、峯岸はまたむすっと唇を歪めてから、それでもぶっきらぼうに右手を差し出してきた。
 一瞬意味がわからなくて躊躇っていると、峯岸がすぐさま怯えたような顔になる。失敗した? とでも言いたげな顔。それで、握手を求めているのだとわかった。
 言えばいいのに、ちゃんと口で。
 苦笑しながらその手を握ると、ほんの少し、峯岸が安心したように息をはいて、笑った。
 あの日の峯岸からはほんの少し、油絵の具の匂いがした。
 なんだかサバンナに住む珍獣を手名付けたような気分になった。
 のは、あの日だけだった。
 朝、階段を下りていったテンションからもわかるように、今の峯岸は最初のおどおどした警戒心はどこにいったのか。自由気ままで奔放だ。
 そのことを本人に指摘すると、悪びれもせずしれっと答えた。
「あたし、人見知りするのよねぇー」
 そういう問題か。

 私は、Insulo de Triを私だけのお店にしたかった。だから出来れば、既製品だけじゃなくて手作り雑貨なんかを置きたかった。
 インターネットを通じて、何人か手作り雑貨を作っている方に声をかけて、この店に置いてもらうようにした。
 手作り雑貨系のイベントには積極的に顔をだして、良さそうな人を探していた。
 美作さんも、そこで出会った人だ。
 都内の神社の敷地内で定期的に行われている手作り雑貨イベント。そこで美作さんに出会った。
 美作さんはアクセサリーを作っていた。それも折り紙や和紙を使ったアクセサリー。
 折り紙を蓮や椿の形に折って、それを丈夫になるようにコーティングしてネックレスやピアス、ストラップなんかにしていた。
「これ、全部貴方が作っていらっしゃるんですか?」
 並べられた色とりどりの折り紙達を見ながら尋ねると、美作さんは恥ずかしそうに頷いた。
「前付き合っていた人に唆されてはじめたら、はまっちゃって」
 照れたように笑う顔が、可愛いと思った。
 だから正直、下心があったんじゃないか、と問われたら否定は出来ない。
 けれどもそれよりも大きく、強く、美作さんの作るアクセサリーにひかれた。
 赤い千代紙で作られたネックレスを購入し、名刺をもらってその日は帰った。
 帰ってから、名刺のアドレスにメールしてみた。よかったら、うちの店に置いてみませんか?
 返事は思ったよりも快く引き受けてくれるもので、ほっと一息ついた。
 その前に一度店を見てみたいから、とInsulo de Triにやってきた美作さんは、可愛らしいお店ですね、と笑った。それがとても嬉しかった。あんな素敵なアクセサリーをつくる人に可愛らしいと言ってもらえたことが、嬉しかった。
 美作さんは、アクセサリーを置くことを了承してくれて、契約は成立した。店の奥、ちょっとしたテーブルのところで紅茶をだして、契約についての話を進めた。そこから少し雑談をした。
「最初はカノジョが喜んでくれるから作っていたんですけど、どんどん楽しくなっちゃって。でもこれが楽しくなるころに、フられちゃって。おまけに不景気のあおりを喰って、仕事も辞めることになって。それでアクセサリー作りだけが俺に残って」
 だから今は週末にインターネット回線のキャンペーンの仕事をしながら、アクセサリー作成で生計をたてられないか、と目論んでいるのだ、と彼は言った。
「そういえば、ここの二階って住居になっているんですよね?」
 申し訳程度に外に出ていた、空き室ありますのポスターを思い出しながら頷く。
「大家さんってどんな人ですか? 管理会社任せな感じ? 今のところ、もうすぐ契約切れるんで引っ越そうと思ってて」
「あ、大家は私です」
「え、そうなんですか」
 美作さんは驚いたような顔をして、
「えー、じゃあついでに部屋の契約もしたいなあ」
 おどけたように笑った。
 その日はその話はそこで終わって、また改めてゆっくり部屋の契約について話すことになった。
 確かに二階は一部屋空いている。
 だけれども、女二人で住んでいるところに男性が入ってくるのは、峯岸が嫌がるかもしれない。あの子人見知りするし。そう思って、それとなく聞いてみた。
「別に?」
 思ったよりもあっさりと峯岸は答えた。
「三島がいいと思ったんなら、三島が信用できる人だと思ったんなら、いいよ」
 ぶっきらぼうにそう言うと、さっさと部屋にひっこんでしまう。慌ててその背中に声をかけた。
「ありがとう」
 私の目を信頼してくれて。
 その後、美作さんと峯岸を対面させて様子をうかがったり、作家としての付き合いから信頼できると判断して、Insulo de Triの二階、空き部屋は埋まった。
 空き室ありますのポスターは剥がした。
 これが現在の、この建物の現状だ。