Insulo de Triの閉店時間は午後六時だ。とはいえ、お客様がいるうちは原則として閉めない、急かさない。 「時間かかっちゃってすみませんー」 「いえいえ。気に入って頂ける物があってよかったです。ありがとうございました」 あれもいいこれもいいと、悩みに悩みに悩んでいた最後のお客様が帰って行ったのは、六時三十分近くだった。 表の札をクローズに直し、外に出していた黒板の看板をしまっていると、 「みーしーま!」 楽しそうな声が背中にかかった。しゃーっと自転車をこいで、私の隣に止まったのは峯岸だった。 どこでチェンジしたのか。髪の毛はしっかりお団子にまとめられ、化粧もばっちり施されている。 「バイト終わったの? お疲れさま」 「三島もー」 バイト終わりとは思えない、高めのテンションで返事がかえってくる。峯岸にとって、この時間からが本番なのだ。夜行性の動物だから。 「ね、三島、パンもらったんだけど、一緒に食べない?」 自転車を階段脇のスペースにとめながら、峯岸が言う。 「また、余ったの?」 峯岸が右手に持った袋には、たくさんのパンが入っていた。 「そう」 「……大丈夫? お店。そんなに余って」 「ぶっちゃけやばいね。新しい店長発注くそ下手」 峯岸はエキナカカフェで働いている。 朝七時オープン、夜九時半閉店のそのお店で、峯岸は朝の十一時から閉店までの間、八時間ずつぐらいで入っている。 それよりも早い時間に入ることは絶対にない。だって起きられないんだもん、とは本人の言い分。 そのカフェでは、余所からパンを仕入れている。お持ち帰りもイートインもできるようになっている。 が、どうも最近、パンが妙に余るようなのだ。十個菓子パンが入った袋を未開封の状態で峯岸が持って帰ったときは、店の将来を同じ経営者として気にしたものだ。 「下手っていうか、まあ下手よね……」 雑貨ならば季節商品はあるものの、賞味期限はなく、売れなくなる、ということはない。けれどもパンは賞味期限があるんだから、それだけ捨てるものが出たなら、発注数減らせばいいのに。 先月変わったという新しい店長は、そこら辺の采配が苦手なようだ。期限がきたものであっても、持ち帰りを禁止していたはずなのに、あまりに露骨に余るから、持ち帰りを許可するぐらいに。 「あの人は、パンの棚が空になるのが怖いんだよ。だから頼み過ぎるの。っていうか、食べるでしょ?」 「それはもらうけど」 食費が浮くのも、作らなくてもいいのも、正直嬉しい。なんだかんだで、パン美味しいし。 「じゃあ、食べよー」 峯岸はあっけらかんと言って、クローズの札を気にすることなく店の中にはいる。私もあとに続いた。 入り口から入って、陳列スペースがあり、その奥にレジ、そしてレジの横に商談などに使うテーブルがある。峯岸は我が物顔で、そのテーブルに荷物を置くと椅子に座った。 「レジだけしめるから、待ってて」 「わかったー。じゃあ、お茶いれてくる」 「あ、お願い」 言いながら、レジの下に置いてあったタンブラーを峯岸に渡す。峯岸は慣れた様子でそれを受け取ると、 「紅茶? 珈琲?」 「珈琲」 「はいはーい」 軽く返事して、峯岸はまた外に出て行った。しばらくあとに、かんかんかんかんっと外の階段をのぼる音がする。 よく峯岸は、こうやって自分の部屋で珈琲をいれて持って来てくれる。 レジの閉店処理を終え、お金を金庫にしまっていると、峯岸が戻って来た。右手に私のタンブラーを、左手に自分のマグカップを、後ろに同じく、カップを持った美作さんを連れて。 「ちょっと三島聞いてよー、美作、地獄耳なの」 二人分の珈琲をテーブルに置くと、ぷすっと膨れて峯岸が言う。 「二階行ったら階段のとこに居たの。俺の分はないの? って。あたしと三島の会話聞いてたんだよー」 「だって俺の家、一番道路側だもん。そりゃあ聞こえるよ。峯岸さん、声大きいしね」 しれっと美作さんが答える。 「それよりも、除け者にするなんて酷いじゃん」 「今年で二十六にもなる、いい年した大人の男が除け者とか気にするなんて気持ちわるいっ!」 いーだっと峯岸が悪ぶってみせる。そんなこと言って、来ることを拒んでいない癖に。 呆れて小さく笑うと、 「三島! なに笑ってるの!」 目敏く咎められた。 「お腹空いたな、って思ったの。珈琲ありがとう、峯岸」 そう言って笑ってみせると、峯岸は軽く唇を尖らせた。怒りを向ける矛先を失ったように。 その怒りだって演技はいっているくせに。これ以上ながながと続いたら、自分だって困るくせに。素直じゃない。 美作さんがそんな峯岸をみて小さく、優しげに微笑んだ。 のを、私は見ないフリをした。 三人でテーブルを囲む。 「これね、新商品のきんぴらごぼうパン」 峯岸が一つ一つパンの説明をしてくれる。なんだかんだで、数があるものは三つずつ持って帰ってきている。美作さんに会わなかったら、美作さんの分はドアノブにでもひっかけて置くつもりだったのだろう。 ここでの生活は、気持ち的には、三人の共同生活だ。 タンブラーの珈琲を一口。峯岸がいれてきてくれる珈琲は、いつだって私好みの甘さだ。お砂糖とミルクを少しいれた珈琲。そういうところは、優しいのに、 「ちょっと、美作! そのコーンパンはあたしのだから駄目! その明太子フランスあげるから、美作それ好きでしょ?」 いまひとつ、素直じゃなくて損をしていると思う。 まあ、自称人見知りの峯岸が、美作さん相手にここまで喋るようになったことは喜ばしいけれども。……ほんのちょっと、仲良くなり過ぎだろ、と思う部分もあるけれども。 「そういえば、峯岸」 「ん?」 「今日お客さんが、峯岸の絵を素敵だね、って言ってたよ」 壁に飾ってある峯岸の絵を指さした。 販売スペースの上の方、空いている部分に三枚の絵がかかっている。それは全て、峯岸のものだ。 峯岸の人見知りが解消され、私に対して容赦がなくなったころ、店に遊びに来ていた彼女が言ったのだ。 「ねー三島、このスペースに絵、飾ってあげてもいいわよ」 なんで上から目線なのかがわからない。 「飾ってくださいお願いします、でしょう?」 そのころには、峯岸との会話のスキルを身につけていた私がそういうと、峯岸は少し頬をふくらませて、 「飾ってくださいお願いします」 意外なことに復唱した。 「え?」 てっきり、「なんであたしがそんなこと言わなくちゃいけないのよ!」といった言葉が返ってくると思っていたから、間抜けな顔をしてしまう。 「何よっ」 私の顔をみて、峯岸がますます膨れた。 「だってコンペ出すだけじゃ限度があるんだもん。家に沢山溜まってきたし! ちょっとでも人目があるところに置いておきたいな、って思ったの!」 むすっと結ばれた唇に、苦笑する。それが人に物を頼む態度か。 「なるほどねー」 言いながら空いた壁を眺める。確かに、少し殺風景なことは確かなのだ。 だけれども、この店は個人の作家の雑貨等をおいている。ポストカードだっていくつかある。そんな中、峯岸の絵を飾るのは店子だからといって贔屓していることになりはしないだろうか。これが私の個人所有の絵だったならば、内装の一つとも言えるが、絵で食べていくことを望む店子のものだと、話が変わってくる。 「んー」 しばらく壁を眺めて考えると、 「じゃあ、壁を貸してあげる」 適当と思われる答えをはじき出した。 「壁を?」 「そう。んー、どうしようかな、ひと月千円で額縁一つ分」 「額縁っていったって、色々あるけど」 「あー、そっか。まあ細かいところはあとでつめるとして……。大体四枚ぐらい飾れるでしょう。峯岸の他に飾りたいという人がいるなら同じ条件でスペースを貸す。これでどう?」 「……あたしが全部のスペースを借りたら?」 「お金払ってくれるならそれでいいけど?」 今の峯岸に月々四千円の出費は、なかなかに大きい物だと知りながら言ってみると、むすっと唇を結んだ峯岸は、 「……とりあえず、一つ借りたい」 むすっとしたまま、そう告げた。 まぁ、他に借り手もいなくて、結局今では三枚分、峯岸の絵が飾ってあるのだけれども。 峯岸の描く絵は、七割が水彩画で残り三割が油絵だ。どっちも好きだからどっちか一方にしぼれない、らしい。店にあるのも二枚が水彩画で、残りの一枚は油絵だ。 幼いころにお絵描き教室には通っていたが、あとは独学で描いてきたそうだ。 そんな峯岸の絵に描かれるのは、謎の生き物、架空の生き物が多い。ペガサスやユニコーンといった、メジャー所はまだわかる。それ以外に、顔は猿、胴は狸、足は虎、尻尾が蛇のものとか。 「それは鵺」 「ヌエ?」 「……やだ三島、鵺も知らないの? おっくれてるぅー!」 私が知らないことを知っていたことが嬉しかったのか、やたらと高いテンションで言われた。あとで調べたら、確かにそういう空想上の生き物がいるらしい。 そういったものを峯岸は好んで描く。自分で考えた生物も混じっているらしいが、私にはよくわからない。体の半分が機械のようになっている生き物もいた。 よくわからない謎の生物達なのに、峯岸が柔らかい色使いで描くから、なんだかとっても可愛いものに見えてくる。 店に飾ってあるのだって、ぱっと見、なんだかわからないけれどもピンクが基調で可愛らしく見えてくる。よく見ると結構グロい生き物だけど。コードが背中から羽のようにはえた猫って。 今日のお客さんが気に入った絵は、それだけど。 「ほんと? やった!」 峯岸がはしゃいだ声をあげる。こういうときの峯岸はとっても子どもっぽい。 「けど、峯岸。ポストカード、切れてるからなんにもできなかったよ」 指摘すると、あーっと峯岸はうなだれた。 絵を飾り出してしばらくしたあと、峯岸はポストカードを置かせてもらえないかと頼んできた。委託、という形で引き受けたそれは、売れたり売れなかったりを繰り返して、現在一枚もない。あったら今日のお客さんに紹介するぐらいはしたのに。 「次の、給料日に、新しいのを、刷ります……」 うなだれたまま峯岸が言う。 「是非、そうしてください」 峯岸が新しいポストカードを納品しない理由はただ一つだ。お金がなくて新しいものが印刷できない。 印刷所に頼んでいるらしいが、日々の生活でかつかつな彼女にはなかなか厳しいらしい。 もっとも、日々の生活でかつかつなのは、ろくに試着もせずに洋服を買ったり、外食が多かったりするせいだけど。これまでの分のポストカードの売り上げをとっておけば、こんなことにならなかったのに。 と、いうことはさすがに大家としての範疇を越えているので指摘しない。 まあ、余裕がある時にご飯をご馳走するぐらいはするが、それはこのパンのお返しだ。 「美作さんのストラップも売れましたよ。今日納品されたやつ」 もそもそとテンション低くパンをかじりだした峯岸から、美作さんに視線を移す。 「本当? それはよかった」 美作さんが微笑んだ。 「え、何、美作、新しいの納品したの?」 もそもそパンを食べていた峯岸がぱっと顔をあげる。 「今朝ね」 「マジで、見たい」 言うとパンを置いて立ち上がった。 「ちゃんと、手拭いてよ」 「はーい。で、どこ?」 「そこの棚、新入荷って書いてあるよ」 座ったままで声をかけると、峯岸はぱたぱたと棚にかけよる。 「三島さん、いつもポップとかありがとね」 「いいえ、これが私の仕事ですから」 可愛い袋につめて持って来てくれる人もいるが、美作さんは大体軽く小分けにしてある程度で説明もなにもないまま納品される。 さすがにそれだとなんだかわからないので、折り紙を使ったアクセサリーですといった説明文を私の方で足している。 私にはアクセサリーを作る才能なんてないのだから、せめてこれぐらいはしないと。 「これ欲しい!」 棚を眺めていた峯岸が、ネックレスを持ち上げて言った。赤系統の柄の違う小さな折り紙を、椿の形に折り、それをビーズのようにチェーンに繋いだものだ。 「お買い上げありがとうございます。ですがお客様、今日はもう閉店なのでまた明日のご来店をお願い致します」 真面目くさってそう言うと、 「取り置き!」 そう言われた。 「取り置きはいいけど、買えるの?」 それは確か、四千円するはずだ。小さな折り紙を使って手がかかっている。 「……給料日まで取り置き!」 一瞬たじろいだあと、峯岸はそう言った。図々しいことこの上ない。貴方の給料日、まだまだ先でしょう。 私があからさまにしらけた顔をして見せると、峯岸はしゅーんっと肩を落とし、ネックレスを棚に戻した。露骨に落ち込んでいるアピールをしてくる。 「それは無理だけど、失敗したやつでいいなら実費で譲るよ?」 それを見ていた美作さんが、見かねた、とでもいいたげな口調でいった。 「え、本当!? 美作太っ腹!!」 しゅんっと落ち込んでいたはずの峯岸が、ぱぁぁっと明るい顔をして顔をあげる。今泣いたカラスがもう笑う、とはこのことだ。 「いいんですよ、甘やかさなくって」 「いや、本当売り物にならないレベルのもので、持て余しているから」 ちょっと待ってて、と残ったパンを口に押し込むと、美作さんは自宅に行くために、一度店を出た。 峯岸が浮かれた足取りでテーブルに戻ってくる。 まったく本当に、腹がたつ程、美作さんは峯岸に甘い。 なんだか腹がたって、私もパンを口に押し込むと珈琲で流し込んだ。 「お待たせ」 しばらくして美作さんが小さな箱を抱えて戻ってきた。 「これでいいなら、だけど」 箱の中には、ぱっと見売り物と遜色ない、折り紙達が入っていた。ネックレスやストラップへの加工はまだされていない。 ただ、よく見ると、なるほどこれは売り物に出せない。 美作さんの折り紙アクセサリーは、その耐久度をあげるために、透明樹脂、レジンというものでコーティングしている。それがどういうものなのか、作り手ではない私にはイマイチよくわからないのだが、他にもレジンアクセサリーを作っている人はいて、どうやら流行っているらしい。 美作さんが普段使っているのは、二種類の液体を混ぜ合わせることによって、その液体が固まるものらしい。最初が液体である以上、途中でゴミや気泡が入ることがある、とかつて言っていた。 ここにあるものは、そういった難があるもののようだ。あとは、折り紙同士を繋げる時に穴をあけるのに失敗したもの、とか。 峯岸は中の折り紙をいくつか取り出し、テーブルに広げ、ひっくりかえしたりして眺めながら、 「あ、本当だ。ちょっとゴミはいってる。えー、でもこれ言われなきゃわかんなくない?」 「でも一度気になると気になるし、気づいた以上は売り物にはできない。それでいいなら、作るよ」 「えー、いいよいいよ、全然いい」 峯岸がこくこくと頷いた。 「さっきのと同じ感じのネックレスでいい?」 「うん」 峯岸はこれと、これと、これを使ってーと箱から折り紙を取り出して並べている。ある意味オーダーメイドじゃないだろうか。逆に豪華じゃないだろうか、それ。 仲良さそうに額を付き合わせて話をしている二人を、なんとなく見ていられなくなって立ち上がると、途中だった店の片付けに戻った。 「あ、実費っていくらぐらい?」 「チェーンとかだけでいいから、五百円ぐらいでいいかな」 「本当!? ありがと」 「いつもパンもらってるから」 「ただなのにね」 じゃあこれで作るね、と美作さんは峯岸が出した折り紙達を別にまとめた。 「うん、ありがとう。三島は?」 突然声をかけられてちょっと驚く。 「え?」 「三島も頼んじゃえ!」 唆すように峯岸が言う。 「え、でも」 作るのは峯岸じゃないでしょうに。 困って美作さんを見ると、美作さんはなんでもないように笑って頷いた。 「三島さんもよかったら。三島さんには本当にお世話になってるんで、こんなんでよかったらプレゼントしますよ」 「え、ずるい!」 それに峯岸が食いつく。 「……いえ、お代はちゃんと払いますけど」 その気持ちだけで十分だ。 「だったら、ブレスレットが欲しいです」 「いいですよ。どれ使います?」 「緑っぽい色でまとめてもらえると、いいかな」 「わかりました」 美作さんは頷くと、 「手があいた時じゃないと出来ないから、少し時間がかかりますが」 「いえ、全然。本当、お時間あるときで結構ですので」 と遠慮する私の横で、 「でも、なるはやでね!」 悪びれもせず峯岸が言った。その度胸を、ちょっと見習いたくもある。 |