間 三隅美実と声


 声が、聞こえてくる。さっきからずっと、だ。
『こっちに来れば楽になるのに』
 ピアスを外すのは久しぶりだから、こんなになるとは思っていなかった。甘く見ていた、と責められても仕方ない。美実は唇を小さく噛んだ。自宅になかなか着かない。
『化物なんだから諦めなよ』
 声がする。耳元で、すぐそばで。
 人が視界から消えたり現れたり。人じゃないものも見え隠れする。異界と現実、今どちらにいるのかわからない。どちらにいるのかわからないから、どこを歩いているのかわからない。
 学校からはすぐのはずだったのに、気づいたら異界の道を歩いていたようだ。家から遠ざかってしまった。
『そっちじゃ生きられないだろ。化物なんだから』
 目眩がする。足を止めて、そばにある壁に寄りかかった。この壁は、なんの壁だ? どちらの世界の壁だ? それすら、確認出来ない。
『諦めちゃえ』
 耳元で囁かれるその言葉がとても魅惑的に聞こえる。
『裏切ったなんて言われない。何せ、最初から味方ではなかったのだから』
 耐えられない。
『お前が人間の味方になれるわけがない』
 こちらがどちらでもいい。楽になりたい。疲れた。
『だってお前は』
「だってわたしは」
『化物だから』
「化物だから」
 思考が流される。今、喋っていたのは、誰なのか。自分なのか、アレなのか。そんなことも、もうどうでもいい。
 しゃがみ込んで、眼を閉じようとする。
 もういやだ。
 喰うなら、
「喰えばいい」
 眼を閉じ、意識を手放そうとした瞬間、
「ミィ」
 斬りつけるように名前を呼ばれ、腕を引っ張られた。顔をあげる。
「……なんで」
 かすれた声がでる。
 潤一が怒ったような顔をして立っていた。
「この前の彼が来て、ピアスを見た」
 息が切れて、額に汗を浮かべている。そこまでして探してくれたのか、と思う。
 それでも口に出て来た言葉は感謝ではなかった。
「……ばれちゃった。黙って彼の分も作ってもらえばいいかなって思ってたのに」
「美実」
 愛称ではなく、名前で呼ばれる。窘めるように。
 潤一が少し泣きそうな顔をしていて、そっとそれから視線を逸らした。
「……ごめんなさい」
 優しい兄が傷ついたような顔をしていた。そんな顔をさせたのは、自分だ。
「帰ろう」
 優しい声で言われる。
 俯いたまま一つ頷く。
 腕を引っ張りあげられ、ゆっくりと立ち上がる。
 そっと手を引かれて、帰路につく。
『そうやってまた、生咲の連中は甘やかす。化物なのにな』
 耳元で未だに囁く声から逃れるように、手に力を込めた。