「私、海賊になる!」 ベッド上で少女が言った。 でも、だれも本気にしてくれなかった。 相手にしてくれなかった。 大人はやんわりと、「体が治ったらね」とか「元気になったらね」とか言ってきて、その言い方はもう少女が治らないことを前提に話しているように思われた。 子供の場合はもっと酷くて、「おまえ、海賊になれるわけないじゃん。歩けないのに」とか「海賊は悪い人なんだよ、ばーか」とか、言いたい放題言ってきた。 でも、その少年は違った。 「そっか、じゃぁ頑張って元気になろう! 僕のお父さんは、凄いんだから。どんな病気だって治しちゃうんだから!」 そういって、少年は笑った。 * 「船長ー」 船長が“せんちょー”にしか聞こえない声で呼ばれて、ローズは読んでいた書物から顔を上げた。 「あいているわよ」 「失礼します」 ドアが開いて、乗組員の一人が顔を見せる。 「もうすぐ、つきますよ」 「あ、わかった。すぐ行く」 そう返事をすると彼はにっこり頷いて戻っていった。 立ち上がると机の中から小さな箱を手に取る。その中に入っているものを見つめると少し微笑んで、それをポケットにすべりこませた。 ブラックティルド号は、海賊船である。 それこそどこにでもあるような海賊船で、乗組員の数もどちらかと言えば少ない。 違うことがあるとすれば、 「じゃぁ、ついたらそういう日程で動いてね。特に買い出し、お願いね」 そういってローズは宙に視線を動かす。特に他にいうことがないのを確認すると、ぱんと手を叩いた。 「じゃぁ、解散」 彼女のその言葉で乗組員がそれぞれの役割を果たすためにそれぞれの場所へと移動する。 それを見ながら、ローズは大きく伸びをして、船を下りるために歩き出す。 「せんちょー」 声をかけられて振り向くと、船に一番長くいて一番性格の軽いヒュ−が、ひらひらと手を振ってきた。 「一人で大丈夫ですかー」 「大丈夫です」 間髪おかずにそういうと、一つ睨む。ヒュ−は肩をすくめて、自分の持ち場に戻った。 他の船と違うのは、ブラックティルド号の船長が女であること。それも、身長が148センチしかない、まだ少女と言って差し支えのない外見をしていること。もっとも、船長のローズにしてみれば、女であることとこの小さな身長は邪魔者以外の何者でもない。おかげで、子ども扱いされることが多いのも困りもの。 それでも銃の腕前で負けたことは今までないし、剣だってそこそこ使える方だと思う。 確かに小さくて女だけど。 そんなことをうだうだと思いながら、船から降りて一つ目の角を曲がろうとしたところで、 「ね、俺を副船長に雇わない」 すぐ近くでささやかれた言葉に腰の銃に手を伸ばしながら振り返る。 見慣れない男がひょうひょうと立っていた。 「ね、あんたブラックティルド号の船長さんでしょ?」 「……なんで知っているの?」 「知ってるよー。ブラックティルド号の船長は小さくて可愛いって大評判だから。確かに、可愛いね」 「世辞はいい」 一言で切り捨てると男は泣きそうな顔をした。演技じゃないような気がした。 「大体、貴方何よ」 「うん、副船長志願者」 「……はぁ?」 露骨に怪訝そうな顔をしてやると、男はにやにや笑いながら言う。 「あいているでしょ、副船長の椅子」 「!? なんであんたそんなこと知っているのよ」 「知ってるよ。船長さんの生まれが北の国ローレンだっていうことも、家族構成もぜーんぶ」 「あんた、ストーカーか何か?」 何故か鳥肌がたった腕をさすりながら、数歩思わず後ろに下がると 「あ、かもしれない」 そう言ってのけた。今のは例え嘘でも否定すべきところだろう。っていうか、否定してよ、お願いだから。 そう思いながら、懸命に頭を働かせる。 男はゆっくりとタバコを口で引き抜き火をつけた。 「……悪いけど」 小さく言葉を吐き出しはじめると、男は顔をあげてこちらをみた。 「悪いけど、副船長はもう決まっているから」 少し早口でそういうと男は特にがっかりした様子も見せずに呟いた。 「決まっているんだ」 「ええ」 ローズは顔をあげて、男を見据えると続けた。 「決まっているのよ」 * その少年だけだった。彼女の夢を馬鹿にしないのは。 嬉しくて、彼女は彼が居る間中ずぅっと海賊の話をした。御伽噺に出てくる海賊は、大人が言うような悪いものじゃなくて困った人を助ける正義の味方みたいだった。 そういうと少年は首をかしげた。 「でも、実際はそんなことないよね」 「……あなたまでそんなことを言うの?」 かすれた声で紡がれた少女の言葉に少年は慌てる。 少女はうつむいて、涙がこぼれそうで、少年は慌てて両手を意味もなく動かして、 「あ、わかった、僕たちがなればいいんだよ! お伽噺の海賊に!!」 少女の顔をあげさせるために言ったことだけど、口にしてみると凄い名案のような気がした。 少女は顔をあげる。 「ね、そうだよ! そうしようよ!」 「……そうね、それ、とってもいい考えだわ!」 少女が嬉しそうに両手を叩いて喜ぶから、少年は一つ安堵の息を吐いた。 「そうね、私が船長で貴方が副船長!」 そういうと、少年は嬉しそうに笑った。 「じゃぁ、僕がんばって医者の勉強する」 「すごいわ、副船長は船医でもあるのね」 そういって二人でくすくす笑いあう。 * 「ひったくり! 捕まえて!!」 「で、雇ってよ」 「私の話聞いていなかったでしょ」 「聞いてたよ」 「じゃぁダメだって理解しなさい」 そんなくだらない押し問答を続けていた二人の耳にそんな声が聞こえる。 声のほうを見ると、二人の少年がかばんを抱えて走ってきて、その後ろで貴婦人のような格好をした女性が叫んでいた。その女性の顔は明らかに二人を見ていて、というかこの路地裏にはその盗人の少年以外には彼らしか居ない。 「……捕まえてだってよ」 男に言うと男は嫌そうな顔をした。 「え、やだよ」 「なんで」 「面倒だし、あんな格好でここに一人で来るあの人が悪いわけだし。あれじゃぁとられても文句は言えない」 「あら、初めて気があったわね」 「そりゃどうも。で、ほら、とりかえしてあげなよ。正義の海賊なんでしょう?」 「だからって……」 気だるげに返事をしかけて、最後の言葉にひっかかった。 「!? ちょっと、なんで貴方がそれを知っているのよっ!?」 慌てて怒鳴ると、男は飄々と、チュシャ猫のように笑って言った。 「そろそろ気づい」 バーン!! 呟きかけた言葉が、銃声にかき消される。 「嘘。あんなものまで持っているの?」 見たら、先ほどの少年達が空に向かって一発撃っていた。 威嚇。 「……そういえばさ、空に威嚇射撃するとふってきて危ないとか言うよね。だから水面に向かって威嚇射撃するんだって」 わけのわからないことを言い出す男をきっと睨む。 「あれじゃぁ、過失で人を殺しかねないわ。とめてきなさい」 「なんで俺が」 「とめてきたら、船員としてなら乗っけてあげる」 「うわぁ、すっごいわがまま」 男は笑ったまま言う。 チュシャ猫のように笑ったまま。 その笑みに少し、眉をひそめる。どこかで見た笑みだった。 『あなた、チュシャ猫みたいに笑うのね』 そう、あれは自分の台詞。あれはいつのことだった? バーン!! 「ローちゃんっ!!」 銃声。 悲鳴に近い男の声。 それから、天地がひっくり返って、背中に鈍い痛みが走る。 「ローちゃん、怪我はっ!?」 目の前で男が言った。 その近すぎる顔の距離に驚きながらも、ゆっくりと首を横にふる。男は、ほぉっと息を吐き、そのまま地面に座り込んだ。 「あーもう。なんでぼーっとしてるんだよ」 愚痴る彼。 視線をずらすと先ほどの少年が、まだ煙の出ている銃を持って固まっていた。 「……あ」 ようやく、男に銃弾から庇われたんだということを理解した。 「ありがとう」 不本意だけど、筋は通しておくべきだろうと思って小さく呟く。男は、こちらを驚いたようにみて、チュシャ猫のように笑った。 「どうしたしまして。でも、本当。気をつけないと。せっかく元気になったんだから」 そういって、ゆっくりと立ち上がり、こちらに片手を差し出す。 「……あ」 ずっと腕を組んでいるから気づかなかったけれども、その手首にはローズの良く知っているペンダントがブレスレットのようにまかれていた。 立ち上がるために差し伸べられたその手をつかみ、まじまじとそれを見る。 それからポケットから、その男とまったく同じデザインのペンダントを取り出す。 顔を上げる。 男はニヤニヤ笑っていた。すべてお見通しだ、とでもいいたそうに。 「クー?」 小さく確認のために呟くと、彼は大きく息を吐いた。少しわざとらしいぐらいに。 「よかった、忘れられているのかと思って焦ったよ。……ローちゃん」 * 少女は少年の笑い方が好きだった。 彼の笑い方は、彼女が二番目に好きなお伽噺に出てくるキャラクターにそっくりだったから。 「ねぇ、貴方はまるで、チュシャ猫みたいに笑うのね」 そう、少女――ローズがいうと、少年――クードはますますその笑みを深くした。 「街に出るんだ」 クードがそういったのは、ローズの病気が治ってから一年後だった。 「……なんで?」 「医者になりたいから」 泣きそうな顔をするローズをまともにみていられなくて、下を向きながらクードは早口でつげた。 「だってローちゃんの病気は治ったけど、父さんはまたいつ再発するかわからないっていうし、でも父さんだってもう年だしさ、ほら、それに……」 そこまでいって、クードは顔をあげた。 「船医になるって、言っただろ?」 それを聞いて、ローズは大きく目を見開いた。覚えていてくれたとは思っていなかったから。 「……わかった」 ローズは小さく頷いた。 「でも、必ず立派なお医者さまになってきなさいよ」 ベッドの上に立ち上がり、胸をはってローズは言った。 「副船長の席は、空けておいてあげるわ」 クードも少し笑った。 「光栄です、船長」 そして、二人はくすくすと笑いだした。 「あ、そうだ」 笑いながらもクードはポケットから小さな箱をだし、ローズに渡す。 「ローちゃんにプレゼント」 小さな碇の形をしたペンダント。 「ほら、僕のとおそろい」 そういって自分の首にかけていた同じデザインのものを見せる。 「これをもって、医者になっていくから、待っていて」 ローズは微笑みながら、自分の分を首にかけ、 「ええ、私も船長になって待っているわ」 * 「……おかしい」 ローズは不機嫌そうに呟いた。 「あのときの貴方は私とそんなに背が変わらなかったのになんでっ!」 そう言って、頭二つ分は高いクードを睨む。 「そこかよ。そりゃぁ、まぁ、アレぐらいの年齢なら身長差なんてそんなにないだろうよ」 そういって、クードは頭二つ分低いローズの頭を撫でる。 「子ども扱いしないで」 ローズはその手を振り払い、 「大体、貴方は」 バーンっ!! 思い出したかのように、再び銃声がした。少年二人がこちらを睨んでいた。 「ああ、忘れてた」 クードが薄情にもそう呟き、 「ええ」 ローズも頷いた。 「お前らも金目のものをよこせ」 「だってよ」 「嫌に決まってるじゃない」 少年の言葉にローズはあきれたように言った。 そして、腰の銃を取り出す。 「貴方達の方こそ、命が惜しいなら投降しなさい」 銃口を少年達に向けながら言う。 「ふざけるな!」 「女の癖に生意気だぞ」 少年が吠える。 「……言いえて妙だなぁ」 クードが嗤った。 「ガキの癖にいきがってんじゃないわよっ!」 ローズも叫び返し、何の躊躇いもなく引き金を引いた。 バーンっ!! * 「それで三人も拾ってきたんですか?」 ヒューが他の乗組員を代表してそういった。 「うーん、これは勝手について来たんだけど」 そういって隣のクードを指さす。 「この二人は確かに拾ってきた」 そういって、先ほどの盗人少年を指さす。少年達は後ろ手に縛られ、おどおどあたりを見回していた。 「船長は拾い物がお好きですね」 ヒューの揶揄するような言葉に、 「貴方だって、勝手についてきたんだもの、同じじゃない」 そういって笑ってみせる。 ヒューは盗人少年の包帯が巻かれた右腕を軽く蹴った。いくら治療してあるとはいえ(治療は船医候補が行った)銃で撃たれたところを蹴られて、少年が低くうめいた。 「おい、てめぇら」 「とめなくていいの?」 クードの言葉に、ローズは首を横に振った。 「見ていればわかるわ」 「うちの船長に銃口向けたとはいい度胸だな。どういうことだかわかるよな?」 青くなって固まる少年二人にヒューは宣告を下した。 「納得するまで船の手伝いをしろ。わかったな」 そう言って、二人の首根っこを掴み、近くにいたヒューの片腕ロッソに預けた。 「たのむ」 「はいはい」 そう言って、ロッソが二人を引きずるようにして連れて行く。船員はそれを見届けるとまたもとの場所へ戻っていった。 「アレは何?」 クードは落ちそうになった煙草をくわえなおしながら、尋ねた。 「ロッソが彼らにみっちりとこの船の掟を仕込みにいったのよ」 「船に乗せるって、そんな……。誘拐じゃないか?ある意味」 「そうだけど、まぁ、いいんじゃないの? あの子達身寄りがないって言ってたし。流石に身寄りがある子を誘拐したりしないわ。そんな人間の寄り集まりだしね、ここ」 そう言ってローズが首をかしげる。そして、さも当たり前のように付け加えた。 「貴方もこんなところでぼぉっとしてないでロッソについていって、骨の髄までこの船の掟教えてもらってきなさい」 クードは、ぽかんと口をあけ、今度は煙草を落とし、しばらくローズの顔を見た後、 「それは乗船許可がおりたってこと?」 ゆっくりと尋ねた。 「あら、乗らないつもりだったの?」 「まさか」 「約束は守るわよ、私」 そういって、クードの背中を押してロッソが去った方へと歩く。 「ローちゃん」 なんだか嬉しそうな顔をするクードに、ローズは笑顔で言った。 「でも、むこう一年間は下っ端として頑張ってね。副船長の椅子にありつけるかどうかは、貴方の頑張り次第だから」 そういって、鬼教師ロッソに幼馴染を預けた。 「ロッソ、遠慮しなくていいから。彼、物覚えだけはいいから」 「Yes ma'am」 「ちょっと、ローちゃん。それって」 なにやら喚くクードを無視して、ローズは微笑むと、また甲板へと歩いていった。 * 「副船長をつくる気はないんですか?」 以前、ローズはヒューに尋ねられたことがある。 「副船長になる人はもう決まっているのよ。私はその人を待っているの。自分勝手で、貴方達は納得できないかもしれないけれど。」 ヒューは黙ってローズを見つめ、 「だったら」 こう言い切った。 「その人間が俺ら全員を納得させるまでは下っ端としてこき使ってくださいね」 「ええ、勿論よ」 * 「船長は」 その光景を見ていたぼんやりとヒューが呟いた。 「約束を守る人間ですね」 その言葉を聞いて、ローズはとびっきりの笑顔を浮かべた。 「当たり前でしょう? 正義の味方はいつだって、嘘をつかないものなのよ」 |