「だぁっ、もう」
 ぐさっと音を立てて、上総はチーズケーキにフォークを突き立てた。
「お行儀が悪いわよ、魔女さん」
「主はいいわよっ! だって、今回のテスト全部90点代だったんでしょ」
「違うわよ」
 カウンター、上総の隣に座っている亜紀は何事もないかのように言った。
「現国と古典は100点だった」
「主のばかぁっ!!」
 上総はそのままつっぷした。
 その様子を見て、ここ喫茶店「Indian summer」のマスター小春夏彦、通称春ちゃんは苦笑した。
「上総ちゃんはどうだったんだ?」
「聞くなぁっ!! 春ちゃんのばかぁっ!!」
「小春さん」
 亜紀は首を横に振った。
「そこには地雷が埋まってるわ」
「みたいだな」
「どうせ、あたしは主みたいに頭よくないですよぉだ」
 上総は顔をあげてぼやく。
「っていうか、主はおかしいのよ。あたし、主が勉強してるところなんてみたことないんだけど。授業中だって本読んでるくせに」
「能ある鷹は爪を隠すっていうか、天才は影で努力を惜しまないのよ」
 さらりと言う亜紀を横目で恨めしげに見ながら、上総は一つため息をついた。
「お、いたぞ。ファントム」
「はいはい」
 Indian summerの窓の前で上総の使い魔ファントムとシャドーは足を止めた。
「帰ってこないと思ったら、こんなところで道草くってたか」
「いつものことじゃないですか」
 数十分前。なかなか帰ってこない上総を迎えに行くという名目で、二人? は家を出た。実際にはシャドーがチェスに飽きただけなのだが。
 ちりん。
 鈴が音を立てて、ドアが開く。
「いらっしゃい」
 小春は声をかける。
 客は視線を彷徨わせたが、カウンターで視線をとめるとカウンターに向かって歩き出した。そして、まだふてくされていた上総の横で足を止める。
「甲斐さん」
「はい?」
 チーズケーキの最後の一口を口に入れた状態で上総はその人物を見る。
 その人は、こともあろうかこういった。
「好きです、つき合ってください」

「なっ!!」
 シャドーは窓ガラスをばんばん叩きながら言う。
「ちょっと待て、おまえっ!! 主になんてことをっ!!」
「落ち着いてください」
 ファントムが呆れた調子でシャドーに言った。

 上総はフォークを口に入れた状態で、きっかり30秒その人物を見た。
 周りがなにやら騒がしいが、気にしない。
 それから、フォークを取り出し、苦虫を噛みつぶしたような顔でやはり30秒その人物を見た。
 そして、言った。
「ごめん、どちら様?」
「ちょ、ちょっと!! 上総」
 亜紀が慌てて上総の上着を引っ張る。あだ名ではなく名前で呼ぶ辺り、動揺しているのがよくわかる。
「知らないのっ!! 学校のアイドル、サッカー部の三浦君じゃない」
「……あ〜」
 上総は“三浦君”とやらを見ながら何度か頷いた。
「そういえば、聞いたことあるかも」
「聞いた事って」
 亜紀は天井を見る。
 小春は爆笑していた。
 ギャラリーは興味津々で二人を見ている。
「ええっと、それで、三浦君? はあたしに何か用」
「だから、さっき言ってたじゃない」
 亜紀は呟き、頭を抱えた。
「……ご主人様、色々な意味で大丈夫なんでしょうか?」
 ファントムが呟いた。
「え、ええっと」
 さしものアイドルも調子を狂わされ戸惑いながら言った。
「その、前から好きでした、つき合ってください」
「いや〜っ!!」
 そしてわき上がる黄色い悲鳴。
「何で、何でなの!! 三浦君!!」
「冗談かと思ってたのに、なんでよりにもよってそんな子っ!!」
 女子による上総への嫉妬の悲鳴。嫉妬や妬みには幸か不幸か慣れている上総は相手にはせず、三浦に隣の席を勧める。
「とりあえず、座れば?」
「え、あ、はい」
「春ちゃん、彼にコーヒー……、あコーヒー平気?」
「はい」
「ん、じゃぁ、コーヒーと私にケーキのお代わり」
「太るよ、魔女さん」
 亜紀のつっこみを無視した。
「それで、三浦君? は……、ええっと、ごめん」
 カウンターに頬杖をついて、上総は三浦を見る。
「いや、本当悪いんだけど、本気? どっきりとかじゃなくて?」
「はい」
「……そう。なんか、好きだって言われたのって初めてだから頭がこんがらがって」

「……主、それは武蔵が聞いたら泣くぞ」
「泣くというか卒倒しますね」
 シャドーとファントムが呟く。
「俺がどうしたって?」
 後ろからかかった聞き慣れた声に慌てて振り返る。
「む、武蔵」
「武蔵様、何故此処に?」
「通りかかったらおまえらが見えたんでな。……上総?」
 店内に目を移すと、武蔵は目を細める。
 それから、耳をすます。普通、耳を澄ましたところで店内の音が聞こえるわけはないのだが、長の身体能力は常人の倍以上だったりする。
 別段なんの役に立つわけではないのだが。
 そして、大体の内容を把握し終えたあとで……
「なっ!!! 上総に告白っ!!」
 自称上総の保護者にして、微妙な感情も抱いているいい年した――正確な年は忘れたが、100年前後は生きているはず――魔女の長、武蔵は大声を上げた。
 猫と鴉、それから外見年齢20歳の男性が喫茶店の前で話をしている図に、
「ママぁ、あの人変だよ」
「しっ、見ちゃいけません」
 なんていう会話が繰り広げられていたのは、武蔵の頭上をつかず離れずで飛んでいた使い魔の小次郎――武蔵といったら小次郎だろ?――だけだった。
 また、賢明な彼は自分の主が傷つくようなことを言ったりはしなかった。
 そして、武蔵が来たのと反対の道からやってきた男性に気づいたのも彼だけだった。

 二個目のチーズケーキにフォークを突き刺しながら、上総はどうやって断るかを考えていた。
「あ、あの、もしかしてつき合っている人がいたりしますか?」
「いや、それはいないけど」
 安堵する三浦少年。
 それから、思い出したように言う。
「それじゃぁ、好きな人とか」
「いや、それもいない? けど」
「微妙に疑問系なのが気になりますが、そうですか」
 そこで納得するなよ、と心の中でつっこみをいれる。好きな人がいないってことは、あんたのことも好きじゃないってことなんだから。
 さてはてどうするか。下手に断ると三浦君とやらが好きな子が何かしてきそうだし、OKをしても同じだろうし。
 むぅ、難儀だ。
 フォークを口にくわえながらチーズケーキを睨んでいるその姿を見て、彼女がそんなことを考えているとわかった人はいないだろう。

「やぁ、みんなおそろいで何をやっているんだい」
 もう一人の長、相模が微笑みながら近づいてくる。 「相模」
「相模様」
「っち」
 三者三様の答えを聞き、相模は言う。
「ご挨拶だね、武蔵。君は何故此処にいるんだい? 上総ちゃんには関わらない決まりじゃなかったか?」
 微笑みながら相模は言うが、そのほほえみは絶対零度。
 思わず後ずさるファントムとシャドー。
 武蔵はきっとそれを見返し、
「たまたまだ」
「そうか」
 相模はちっとも納得していなさそうな口調でそういうと、店内に目を移す。
「それにしても……」
 微笑みを絶やさず相模は呟く。その微笑みにいつもと違うものが混じっていると気づいたのは、相模の使い魔シオンだけだった。
「面白いことをする人もいるものだ」
 そのまま店内へと足を向けた。

「ええっと、三浦君?」
「はい」
 二個目のチーズケーキを食べ終え、覚悟を決め上総は口を開いた。
「あたしは……」
 ちりん。
 上総が言いかけたのと、鈴が鳴ったのは同時だった。上総は入ってきた人物を見て、凍り付く。
「やぁ、上総ちゃん」
 相模はいつも通りの笑みでそう言った。
「どちら様ですか?」
 三浦少年は言う。
「あ〜、そうね、あたしの保護者みたいなもの」
 上総はそういうと、相模を追い払い、三浦少年に向き直る。
「それで、さっきの話だけれども、貴方の気持ちはとても嬉しいし光栄だと思うし、だけど」
 そこで一旦口を閉じる。
 “あたしは魔女だから”
 喉まで出かかった言葉を飲み込み、
「だけど、あたしは今はそういうことを考えられないから。ごめんなさい」
「そうよねぇ、テストの点数がね」
「主、うるさい」
 横からちゃちゃをいれてきた亜紀を睨みながらも、そのちゃちゃに救われていることに気づく。目だけでありがとうと言うと、亜紀は微笑みコーヒーを飲んだ。
「……わかりました」
 三浦少年はそういい立ち上がる。
「貴重な放課後の一時を邪魔してもうしわけありませんでした」
「え、あ、いや」
 上総も立ち上がり、礼をする。
「こっちも、その、ごめんなさい」
「いえ」
 三浦少年は首を横に振ると、笑った。
 その笑みをみて初めて、上総は彼が学校のアイドルと呼ばれる所以に気づいた。彼がまわりが望むアイドル像を壊さないように頑張っているからだと。
 三浦少年は相模を一瞥し、
「それじゃぁ、お幸せに」
「……は?」
 三浦少年は笑顔のまま、そういい立ち去った。
 その後ろ姿をたっぷり30秒見送ってから、上総は亜紀に向けていった。
「絶対、彼勘違いしてるわよね」
「そうね」
 亜紀はコーヒーを飲み干す。
「……頭痛い」
 上総はそのまま座り込み、ため息をつく。
「それで、何しに来たのよ、相模は」
 カウンター席の反対側の端っこに座った相模は微笑む。
「コーヒーを飲みに」
「冗談も休み休み……」
 言いかけて止まる。
「何? 何でシャドーとファントムと武蔵がいるわけ?」
 窓から店内を見ている一匹と一羽と一人に気づき呟く。
「シャドーとファントムは君のお迎えだよ。武蔵は……、通りすがりだそうだ」
「そっか」
 わずかに顔をゆるめると、上総は亜紀に向き直る。
「帰る?」
「ん」
「春ちゃ〜ん、お勘定」
「はいはい」
 亜紀が先に財布を取り出す。

「上総ちゃん」
 声をかけられ振り返る。
「何?」
 相模は彼らしくない真面目な顔つきで言った。
「さっきの子、本当に断ってよかったのかい?」
「……断ったのは別に、あんたのせいじゃない」
 例え魔女でなくても、あの場合は断っていただろうなと妙な確信があった。
「そうか」
 相模はそういうといつものように微笑んだ。
「あとでシオンに今日の夕飯を持っていかせるよ」
「毎日ごくろうさま。食べ物じゃあたしはつれないわよ」
「知ってるよ」
 相模はそれっきり何も言わないでコーヒーに口を付けた。
 上総も黙って会計をすませた。

「それじゃぁね、魔女さん」
「ん、気をつけてね」
「そっちも」
 バス通学である亜紀は、近くのバス停まで歩いていく。上総は停めてある自分の自転車のところまでいく。
 そこにはすでに、行儀良く、彼女の使い魔が待っていた。
「おそくなってごめん」
 ファントムは何も言わず空に飛び上がり、シャドーはにゃ〜とだけ鳴くとカゴに飛び乗った。
「それじゃぁ、帰ろうか」
 ペダルに足をかけると、思いっきり踏み込んだ。
   次の日、学校では、上総には“学校のアイドル”顔負けの恋人がいるとかいう噂がまことしやかに流れて、上総は頭を抱えることになるのだが、それはまた別の話。