誰も完璧な人など居ないと言う。


――No one's perfect――


「でも、そんなの嘘だわ」
 私はそう言った。目の前の彼はいつもの笑みを浮かべたままこちらをみていた。
「少なくとも、私には貴方は完璧に見えるもの」
「お褒めの言葉ありがとう。生クリーム、ついてるよ」
 言われて慌てて口元を拭う。
 ケーキ一つまともに食べられない私に比べて、彼は実に決まった優雅な動作で珈琲を飲んでいる 。
「ケーキだっておいしいし」
 そうなのだ。今私が食べているこのケーキはこの人の作ったもの。大して料理が上手くも無い私 は、女として駄目なのかもしれない。
「頭脳明晰、容姿端麗、運動だって出来るし、本当非の打ち所が無いわ」
「それは買いかぶりすぎだよ」
 彼は笑みを崩さず言う。
「じゃぁ、貴方の欠点って何よ?」
 彼は微笑んだまま首を横に振った。
「完璧だと人に言われることはそれ自体が欠点だよ。それに、僕にだって出来ないことは多々ある さ」
 よくわからなかった。

 *

 それから数ヵ月後に、彼と別れた。
 少なくとも私にしてみれば完璧な彼と一緒にいることに疲れてしまったのだ。完璧な彼は言外に 私にも完璧を強要している気がして。

 *

 そして、三年後私は結婚した。
 私の今の旦那は、彼のように完璧ではない。欠点だらけで、料理だって洗濯だって上手く出来な い。
 でも、それでも旦那はいつだって一生懸命手伝ってくれるし、一緒にいて安らげる。
 私は今の旦那を愛している

 *

 ある日のことだ。
 その日は休日で、たまには外食することになって夜の街を旦那と二人で歩いていた。
 向かいから、ゆっくりと歩いてくる人が居た。何気なく、その人に視線を移して一瞬足を止めた 。
 非の打ち所の無い歩き方の男性は、どうみても例の彼で、事実彼は私を見つけると、意外そうな 顔をして、薄く微笑んだ。


 ああ、でも、ありえないのだ。
 私がこの人と結婚してもう20年は経ったのだ。
 20年は長い。結婚してすぐ生まれた私たちの娘は、今はもう大学生で、あのころは若かった私 ももうすっかりおばさんになってしまっていた。
 でも、彼は、昔と同じ非の打ち所の無い穏やかな笑みを浮かべて、まったく変わらない様子で立 っていた。年をとったようすなどまったく感じさせないで。


 彼は私に笑いかけたそのあとは、視線を私からずらしてまた歩いていく。
 すれ違いざま、近くで見ても彼は昔の若々しいままだった。肌や髪に老いを感じさせない。


「どうかしたか?」
 旦那に聞かれて、慌てて首を横にふる。少し駆け足で旦那に追いつくと、もう一度ちらりと彼を 見てみた。
 彼は私のほうなど見もしないでまっすぐ歩いていた。
「相模っ!」
 彼がやってきた方向から、女の子が一人走ってくる。彼の名前を呼んで。そのことで、やはり彼 なのだと再確認する。
 黒い長い髪を揺らしているその子は、腕に黒い猫を抱いていた。そういえば、彼も黒猫を飼って いた。
「どういうつもりなのよ!」
 彼女はなにやらいいながら、私の横をすり抜けていく。
 彼は目を細めて彼女を見ると、彼女が追いつくまで止まって待っていた。少女が追いつくともう 一度歩き出す。
 その際に、もう一度こちらをみてきた。

「だから、完璧などありえないと言っただろ?」

 彼が、そう呟いた気がした。


 +


 戯れに、普通の女性と所謂恋人同士だったことがある。
 その女性は人のことを完璧だと言った。何が完璧なことがあろうか。

 *

 数年後か、数十年後か。彼女老い方を見る限り数十年後ぐらいなのだろうか?
 たまたま道端で彼女にあった。彼女は変わらない僕を見て驚いた顔をしていた。

「相模っ!」
 後ろから呼ばれて立ち止まり、走っておいかけてきた、梓ちゃんを待つ。
「どういうつもりなのよ!」
「どうもこうも、言ったとおりだが?」
「貴方は神にでもなったつもりなの! 横暴だわ!!」
 梓ちゃんの腕の中のロザリーがにゃんっと鳴いて主を戒める。
「横暴も何も無いだろう。そもそも、君に拒否権は無い」
「それが横暴だと言うのよ! なんで貴方にそんなことまで指図されないといけないのよ!」
 わいわい騒ぐ梓ちゃんを無視して、もう一度彼女のほうを見る。彼女はこちらを見ていた。

 薄く笑う。

「だから、完璧などありえないと言っただろ?」

 普通の人間と明らかに違うということはそれ自体が欠点となりえる。
 魔女の長だという我が身を恨んだことは無いが、それが決して長所でないことだけはわかってい る。もっとも、短所かといわれたらそれも悩みどころだが。
 そして

「聞いているの、相模!」
 この隣でわいわい騒ぐ少女一人をも、まとめあげなければならない魔女一人をも、上手く扱えな いようでは、
「決して完璧などとはいえないよ」