「貴方は、私がいなくなっても泣かないの?」
「おそらく泣かないだろうな」

――I'm not in love.――

 あれは一体いつのことだったか。そんな会話をした気がする。
 聡明な彼女のことだから、こうなることを予想してのことだったのかもしれないし、違ったとしても一度自分がそう思ってしまったのならば、そうとしか思えない。
「難儀なことだな」
 やれやれとため息混じりにそう呟いた。
 例えば今、手元にいるこの赤ん坊の行く末とか、今後起こるであろう、武蔵の僕に対する叱責や他の魔女達に走るであろう動揺とか、……長として彼女を失った損害とか。
「……頭が痛いな」
 苦笑しながらそう呟いて、みせる。
 こちらの苦悩など知らずにすやすやと眠っているこの赤ん坊は、おそらく“優秀な魔女”である彼女の血を受けつでいるだろう。“神に祝福された”彼女の。
 武蔵も彼女を狙ってくるだろう。まぁ、彼の場合は色々な意味で。


「この子を、よろしくお願いします」
 あの時、彼女はそう言って微笑んでいた。
「……今なら、まだ」
「駄目よ」
 言いかけた僕を彼女がさえぎる。
 ああ、子どもを産むと女性は強くなるって言うのは、本当だったのかと、思う。
「しっかりしてください、長。裏切り者は抹消される。それは規則でしょう? 貴方がそんなじゃ、この子を安心して預けられないじゃない」
「梓ちゃん……」
 彼女は笑う。くすくすと、声に出して。
「なんて情けない顔をしているの? 何をためらっているの?貴方が」
 彼女は僕の頬に手を伸ばして、無理矢理笑みの形をつくろうとする。
「何時もみたいに胡散臭い笑みを浮かべて、何時もみたいに人を喰った態度で、何時もみたいに高みから見下ろして、人を縛りつけてればいいのよ、貴方は。それが、長の仕事なんだから」
「……でも」
「いい加減にしなさい」
 ぴしゃりといわれて、口篭もる。これじゃぁ、いつもと逆じゃないか。
「ここで貴方が私を見逃したら、内乱は免れないわよ? それでもいいの? 貴方は、仕事に誇りを持っているんでしょ?」
「……わかった」
 本当は、これが最良なのはわかっている。でも、納得は本当は出来ていない。
「一つだけ、聞いてもいいかしら?」
 彼女は首をかしげながら尋ねてきた。
「貴方は、本当に、私を愛してくれていた?」
 答えないで、彼女の額に手を伸ばした。彼女はあきれたように笑う。
「そうやっていっつもはぐらかすんだから。まぁ、いいわ。それじゃぁ、上総をよろしく。それから、元気でね」
 そして、


「まったく、君はいつもいつも厄介ごとばっかり起こして」
 あきれた調子で呟いてみる。勿論、誰も聞いてはくれないが。
 足元に擦り寄ってきたシオンが短く鳴いた。視線を移すと、
「相模様、申し訳ありませんが、そろそろ日も暮れます。報告も、しなければなりませんし。その……」
 この賢く優秀な使い魔が口篭もるのなんて、もしかしたら初めてかもしれない、そう思う。
「ああ、そうだな。武蔵に罵られに行くか」
「……」
 シオンは何も言わずに、鼻先を地面につけた。
 腕の中の赤ん坊を起こさないように気をつけながら、歩き出す。そうしながら、先ほどの答えを提示してみる。
「本気だったわけ、ないじゃないか。梓ちゃんなんて嫌いだよ、大嫌いだ。だから、いつか言ったように、泣いたりしないさ」
 そう呟いて、笑ってみせる。


「相模様」
 呼ばれて振り返る。使い魔がこちらをまっすぐに見つめながら、言った。
「私は、ずっと貴方にお使えする覚悟です」
「ああ、」
 僕は微笑みながら、答える。
「知っているよ。よろしく」