付き合って何年だろうか、と急に思った。数えようとして、やめた。あの人との付き合いはどこからカウントしていいかわからないから。最初の数年は遊びの関係だった。とりあえず、五年ぐらいだろう。
 五年も一緒にいて、これってもう腐れ縁じゃないかと思う。それともやっぱり、傷の舐めあい?
 嗤う。
 くだらない、馬鹿みたい、大嫌い。なんであんな人を好きになったんだろう。
 目蓋が重い。くそ、明日も仕事なのに。こすっちゃ駄目だって分かっているのに、なんで泣いているときって目をこすってしまうんだろう。嘲笑。
 ふと左手を見ると、マスカラがついていて、さぞかし自分は今酷い顔をしてるのだろうと思った。でも、別に誰も見ないし。  ソファに倒れこんだまま、さっき自分が床へ放り投げたケータイを見る。
 鳴らない。
 意地っ張りはお互い様で、きっとあの人だって同じように鳴らないケータイをにらんでいるんだろう。でも、私はメールをしてあげない、電話もしてあげない。
 きっともう少ししたらあの人からメールが来る。「ごめんね」ただそれだけが書かれたメール。謝ってなんか欲しくない。彼のとりあえず謝っておこう、みたいな姿勢は嫌い。
 喧嘩をしてみたい、と思う。くだらない小競り合いは今までだっていっぱいしてきたけど、心の底からの喧嘩をしたことがない。そこまでお互い暇じゃないし、彼はそんなに怒りが持続しないタイプの人間なのだ。もしかしたらそうやって演技しているだけかもしれないけれど。
 怒っている期間が短いのはすばらしいことだけど、私はそんなに出来た人間じゃない。彼が謝って、「この話はこれでおしまいね」とかメールしてきて、すっかり違う話になって、そこでいつも終わる。そんなに出来た人間じゃない私は、消えない怒りを抱え込んだまま。いつだって消化不良のまま。もう怒っていない彼に、怒りをぶつけることなんて出来ない。
 大喧嘩して、言いたいこと言い合って、それで仲直り、なんていうの、彼は嫌いなのかもしれない。五年も一緒にいるんだから、一回ぐらいやってもいいのに。それともやっぱり、ただの傷の舐めあい? だから本気じゃないのかも。
 もう一度、目元に浮かんできた水分を、今度は拭わないでそのままにする。
 何度別れてやろうと思ったことか。約束をすっぽかされて、四時間も遅刻されて、たくさんたくさん嫌な思いをさせられて。それでも別れないのは、惰性? 腐れ縁? ああ、やっぱり傷の舐めあい?
「馬鹿慎吾」
 きっともうすぐ彼はメールしてくる。「ごめんね」ただそれだけが書かれたメールを。
 私は謝って欲しいわけじゃない、っていう思いをこめて「慎吾が謝ることないでしょ?」って送る。
 彼はきっと私の言いたいことを分かっているはずなのに、そこには触れないでこう返してくるだろう「この話はこれでおしまいね」
 そして私の怒りは消化不良のまま、心の奥に溜まっていく。
 「いい子じゃなくていいよ」とか「わがままいってもいいよ」とかいうけど、私が思っているこというと彼はすぐに謝る。だから私はいえなくて、いつまでたってもいい子のまま。
「ばーか」
 慎吾が悪いんじゃなくて、きっと私が悪いんだけど。いつまで私はいい子をしてるんだろう。嗤う。
 ぶーぶー、
 ケータイが床を揺らして、緑のランプ。怠惰な猫みたいに、ソファーから手を伸ばしす。人差し指をストラップにひっかけて持ち上げる。
 「ごめん」
 予想通りの文面に泣き笑い。
 いい子じゃなくなってやろうか。思っていることいって切れてやろうか。そしたら彼はなんていうだろうか。決まってる「ごめんね」だ。
 思って私はクッションに顔を埋めた。
 こんなに思うのに彼と別れられないのは、惰性? 腐れ縁? 傷の舐めあい? きっと全部あたっていて、だけど一つだけ違う。
「私の馬鹿」
 すきなのだ。本当にもう、どうしようもないぐらい。約束すっぽかされても最初にするのは心配で、四時間遅刻されても待っているのは会いたいからで、ああもう本当に私って馬鹿。
 とんだ男にひっかかったものだ。笑う。あいつのことだから、これも計算だったりして、ね。大体、心の奥にたまった怒りも、今度顔を見れば忘れてしまうのだ。私って単純馬鹿。
 返信。「慎吾が謝ることないでしょ?」
 送信しようかと思って、やっぱりやめる。下に付け加えた。「ごめんとか超うざい」
 笑う。彼はなんて返してくるだろう。やっぱり「ごめん」かな。
 そう思いながら送信ボタンを押す。
 右手にケータイを持ったまま、腫れぼったい瞳を閉じた。


デタント