弱いんだから、飲まなきゃいいのに。 と、思うのはやはり、自分がざるだからだろうか。 たかが3杯でそんなにべろんべろんになれることが正直羨ましい。 そんなことを思いながら、隅木亜由美は目の前の硯茗を見つめる。 ぐったりと机の上につっぷして、だってたかが3杯で。弱いにも程があるだろう。 「硯せんせー? 帰れます? 渋谷さん呼びましょうか?」 「いらない」 そこだけはっきりと言葉を返されて、ため息をついた。ああ、だから彼女は今日こんなに酔いがはやいのか? 喧嘩したから? 「なんで喧嘩したんですかー?」 「たばこ、やめろっていってるのに」 ごにょごにょとくぐもった声で呟かれる。またそれかよ、と亜由美は思った。あんたらの喧嘩の理由は、遅刻と煙草しかないのか。 いい年した大人がなにやってるんだろう、と社会人1年目の亜由美は思う。大人って、自分が思っているよりも全然大人じゃなかった。 「それならそれでいいんですけど、帰りましょうよ? 明日も仕事ですよー」 どんだけこれで酔っぱらっても、明日はちゃんと仕事にくる、その根性はすばらしいと思う。でも、だったらこんなになるまで飲まなきゃいいのに。 もう27歳で、成人してから大分たって、子どもじゃないんだから自分の限界値ぐらいわきまえればいいのに。なんでわかんないのかなー。 そんなこと思いながら、ぐいっと残ったモスコミュールを飲み干す。彼女の倍は飲んでいるのに、自分はあんまり酔っていない、そう思う。確かにちょっと頭がぽわーっとしてるけど、それだけで。酔いつぶれた記憶、というものがない。 飲みサーで鍛えられたかしら? なんて暢気なことを思いながら、目の前の酔っぱらいの肩を叩く。 「硯せんせー。もう、起きないなら渋谷さん呼んじゃいますからねー」 確認したら、今度は返事がなかった。完全に寝てる。 ため息をついて、亜由美はケータイを開いた。目の前でこれだけ酔われると、ますます自分は酔えなくなる。責任感強いのよねー、なんて思いながら、目の前の酔っぱらいの恋人の番号を呼び出した。しかし、恋人の番号まで知ってるなんて、秘書の権限を逸脱してるんじゃないかしら? 「ごめんね、すみちゃん」 ものの十数分で現れた渋谷慎吾は、両手を合わせて亜由美に頭を下げる。 「いいえ」 慎吾は少し微笑むと、 「茗? 帰るぞー?」 と酔っぱらいの腕を引き上げる。 「なんできたのよー」 酔っぱらいが返事をする。その目がなんだか潤んでいるように見えるのは、多分というか絶対、酒のせいだ、と亜由美は決めつける事にした。そうすることが彼女のためだ。これは、秘書として適切な判断だと思う。 「酔っぱらいだからだよ」 当たり前のように慎吾は言って、笑う。 茗はまだ何かいっているが、ろれつがまわっていなくて聞き取れない。それに、自分が聞き取る必要はないのだろう、と亜由美は思った。 もう、彼女の業務時間は終了しているのだから。 「じゃあね、すみちゃん」 「はい、ちゃんと明日起こしてくださいね」 いつものように少しだけしかめっ面をして言ってみせると、いつものように渋谷慎吾は真面目そうな顔をして、 「わかってるよ」 と返事をする。 そうして、ふらふらしている茗を連れて、その場を立ち去った。 喧嘩、ではないのだろう。と、亜由美はいつも思っている。 確かに硯茗にとってはそれは喧嘩で、心を痛める出来事で、週の真ん中だっていうのに秘書をつれて飲みに行くぐらい大きな出来事なのだろう。 でも、渋谷慎吾にとっては、それは喧嘩なんかじゃないんだろう。それぐらいの、小さな出来事。 どちらが正しいのかではない。お互いがどう感じたか、で。そのどちらが真実なのかを決めるのは裁判官の心証次第。自由心証主義だから。 だけれども、ここは法廷ではなくて、だからどちらが正しいのかは関係ないのだ。 亜由美は少しだけ微笑む。 一つだけ確かなことは、渋谷慎吾は、硯茗が今日酔っぱらって帰れなくなることを見越して、予定をあけていたのだろう。自分からの連絡を待って。 2コールで電話にでて、数分できた彼のことを思う。 硯茗がどんなに彼に対して怒っていたとしても、一つだけ確実な事。渋谷慎吾は彼女のことを想っている。 だから、やっぱり、と、亜由美は裁判官よろしく心の中での判決をくだした。 その喧嘩はあの二人の前では瑣末でしかないのだ。
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