家出をしようと思った。 家出をすれば、「家」というものから離れられると思った。 そう、思っていた。 「まあ、浅はかだったのよね、昔の私は」 沙耶の入れた紅茶を飲みながら、円がしみじみと言う。 「家出したぐらいで家柄から離れられるわけないし。小学生が家出してやってけるわけもないし」 「もしそれを小学生の段階で悟っているのだとしたら、大分可愛くない子どもね、その子」 「いや、どっちにしろ円はもともとあんまり可愛い子どもじゃなかったぞ」 「直、うるさい」 横目で睨みつけると、直純は肩を竦めた。 「なんで家出しようと思ったわけ?」 清澄の質問にゆっくりと微笑む。 「苦労を知らないお金持ちのお嬢様、って言われたから」 「……誰に」 「その時好きだった子に」 「マセガキ」 沙耶がぼそっと呟く。 「むかつくのよねー。自分ではどうにもならないことを言われるの」 沙耶の発言はさくっと無視して円は微笑む。 「ま、確かに、一海って金持ちだし? 大学生になるまでアルバイトとかしたことなかったけど、それって私が悪いわけ?」 微笑んだまま続けるから、誰も何も言わない。 「勝手に、苦労したことがない人間に負けたくないってライバル意識燃やされても困る訳よ。だって、別にこっちだって好きで金持ちに生まれて来たわけじゃないし。とかいうと、金持ちの傲慢だって叩かれるし」 カップを置いて、頬杖をついて、夢見る様に微笑む。言葉と顔が合っていない。 「奨学金もらって、アルバイト沢山して、大学通ってる子は素直にすごいと思ってたよ。だからって、あんたみたいにお遊びでアルバイトしている人間と一緒にしないで、とか言われてもねー。私はどうすればよかったのかしらねー。一海を捨てることかんて出来やしないのに」 「んー、でも俺もむかつくって思ってたな。親の金で遊び歩いてるやつみると」 清澄が言う。 「思うのは自由だし、その言い分も正当だとは思う。でも、子どもは親を選べないのであるならば、そのことでこっちが責められても困る」 「まあ、遊び歩いてたわけじゃないしな、俺等」 「幽霊退治の修行をしてます! なんて言えないもんねー、そりゃ遊び歩いてると思われても仕方がないわよね」 言って一海の二人は顔を見合わせ、笑う。 「まあ、小学生の時は本気で傷ついたけど、今となってはただの笑い話よね」 昔を思い出したのか、くすくすと笑う。 「相手の立場に立って考えてみましょう、相手の傷つく事は言わない様にしましょう、っていうのどうせただの理想論だしね。よくわかんないけど、お金があるということはどうやら上の立場になるらしくて、そういう人間が「こっちの立場も気遣え」というのは許されないみたいよ?」 「まあ、そりゃそうだろうなー」 「甘んじなきゃいけないこともこの世にはあるみたい。それでバランスとれてるなら別にいいけど」 「とれてるのかなー?」 沙耶が小さく呟いて小首を傾げる。 「とれてるって思わなきゃやってられないじゃない」 円がいつものようにシニカルに笑う。 「話が脱線したけど、どうあがいても家柄というものから逃れられない。あの家出騒動で私は悟ったわー」 「小学生で悟った可愛くない子」 「だから円はずーっと可愛げとかない子どもだったって」 沙耶と直純を睨みつける。二人は黙った。 「逃れられないのならば、それを武器にしてやろうと、利用してやろうと思って。本来、家って人を守るためにあるものだしね」 だからね、と円は目の前の少女に微笑みかける。 「そうやって体から魂だけで抜け出して、外にでてきても、貴方は家からは逃れられない」 半透明の少女は黙って円を見つめる。 「わかるよ。成金野郎の娘とかいっていじめられる気持ち。沙耶とかそうだし」 「ちょっと、嫌な事思い出させないでよ」 「子どもは親を選べないもんね」 ゆっくりと微笑む。 「それでも、貴方は逃れる事はできない。残酷なようだけど。でも、それは、貴方以外の誰もが同じ条件下。だったら、逃げないで戦った方がいいこともあるよ。なんだって武器にしてしまえばいい。少なくともそれが原因で侮辱してくる人間に、それを武器にすることを攻める資格は無い」 少女はゆっくりと首を傾げる。 「小学生相手に難しくない?」 「私は小学生で悟ったわよ? 可愛くない子だったから」 「うわー、根に持ってる」 「大丈夫、馬鹿は相手にしなければいいから。なんだったら、護身術ぐらい教えてあげる」 「ちなみに、こいつは小学三年生のころ、給食のフォーク一つでクラスの男子を倒したことで、親にすっごく怒られてる」 「円姉馬鹿」 「もう時効でしょ?」 少女が目をまんまるく見開いている。 「ええっと、そう。世の中どーにだってなるから。だから、一旦体に帰りなさい」 少女が顔を伏せる。 「辛くなったらまたここにおいで。ちゃんと私たちが話を聞いてあげるから。ただし、肉体つきでね、今度は」 少女は顔をあげない。 「じゃないと、ケーキをご馳走できないでしょう?」 「円姉のお菓子はそこら辺のお店よりもよっぽど美味しいわよ」 少女は顔をあげる。 「一度、ケーキを食べにおいで。本当に家出したいときもおいで、おねーさんがかくまってあげるから」 「それはどうだろう……」 清澄がぼそっと呟く。 少女は少し迷ったような顔をしてから、笑顔で一つ頷いて、消えた。 「とんだ迷子だったわねー」 冷たくなった紅茶を飲み干し、円がしみじみと言う。 「新しい家出の方法よね」 「いや、だから俺見えてなかったから聞くけど、結局なんだったの?」 「簡単に言うと、幽体離脱だな。家出少女だよ」 「……ふーん」 よくわかんねーなー、と清澄。 「でもまあ、可愛げがない子どもだったけど、そうやって子ども相手に微笑むぐらいになったの、円成長したよな」 「もう、家柄で悩んで家出するようなガキじゃないからね」 一海の女王はそういって笑った。 |