Black Passion


『でー、そしたらねー、君子がセブン・ローリング・エイトをきめてねー』
「んー」
『で、ホトカギスを倒したんだけどねー』
「んー」
『……隆二聞いてる?』
「んー、聞いてはいる」
『……わかってる?』
「……とりあえず、固有名詞が多くてよくわからん」
『こゆーめーし?』
「見てないから名前だされてもわからん」
『そんなの見てない隆二が悪いんじゃん! 君子はわかるよね? セブン・ローリング・エイトはばしゅってやる必殺技で、ホトカギスは今日の敵!』
「んー」
『ちょっと、ちゃんと聞いて! 今日は、あの声で蜥蜴食らうか時鳥! っていう回だったからトカゲとホトトギスの怪物なの! 隆二、知ってる? あの声で蜥蜴食らうか時鳥!』
「ひとは見かけによらないこと」
『うー、知ってたっ! 見てないくせに知ってたっ!』
 神野京介がシャワーを浴びて戻って来ると、そんな会話が繰り広げられていた。
 いつもの赤いソファーに座り、隆二が本を読んでいる。今日はどうやら『悪魔が来りて笛を吹く』のようだ。つーか、一週間前も読んでなかったか、それ。よっぽど好きなのか、もの覚えがわるのか、実は読んでないのか。
 そんな隆二の横に寝そべって、マオが一生懸命、今日の七転びヤオ君子について説明している。時折、隆二の腕をつっついたりしながら。
 なんだこれ、バカップルか。
 いささか、うんざりしながらダイニングの椅子に腰をおろした。
『あ、京介さん、おふろおかえりなさーい!』
 それに気づいたマオがこちらを振り返り、元気よくいった。
「ただいま」
 微笑みながら言葉を返すと、マオも微笑み返し、
『でねー』
 またすぐに隆二の腕を引く。
 まったくほんとうに、憎たらしいぐらい彼女は隆二しか見ていない。
 その隆二は彼女の話を全く聞いちゃいないが。
 まったくほんとうに、こんなやつのどこがいいんだか。
「心霊おパンツ探偵、このあとすぐ!」
 つけっぱなしになっていたテレビから、そんな声が聞こえた。瞬間、
『はわっ!』
 あまりに隆二が無視するから隆二の膝の上に上体を侵略していたマオが、叫び声とともに起き上がった。
「うわっ!」
 隆二が慌てて本を持ったまま両手を上にあげる。
「危ないだろ」
『はじまっちゃう!』
 隆二の抗議の声を無視して、マオはテレビの前に移動すると正座する。
「……何が」
『心霊おパンツ探偵』
「……は? なんだよそれ」
『あとでー!』
 テレビに釘付けになったマオにあっさりそう言われた隆二が、説明を求めるかのようにこちらを見てくる。
「……深夜枠のドラマ」
 仕方なく、説明してあげることにした。
「お前、先週この時間寝てたから知らないだろうけど。先週たまたまテレビつけてたらやってて。マオちゃん気に入ったみたいなんだよね」
「……こいつ本当、テレビのことで頭いっぱいだな。テレビさえあればいいんじゃないか」
 京介の説明を受けて、隆二が小さく呟いた。
 違うだろっ。
 相変わらずなんにもわかってない隆二にいらっとする。
 こいつ本当なんで、こんなに人の神経逆撫ですることが上手なんだよ。狙ってやってんのか。
 テレビがあってもお前がいなけりゃ意味ないだろうが。お前が一番に決まってるだろうが。なんで自覚ないんだよ。
 呆れたようにマオを一瞥して、読書に戻った隆二の頭を睨みつける。
 この前、茜の墓参りの一件以来、多少は自覚したかと思ったのにまだ無自覚か。あれだけマオを泣かしておいて、京介に色々言われて、それでもまだそんなことを言うか。一緒にいようと誘った京介のことをあんなにも責めておいて、まだそんなことを言うのか。
「……何?」
 視線に気づいたのか、隆二が本から顔をあげて嫌そうな顔をする。
「別に」
「……何怒ってんの?」
「別に」
「なんだよ本当。ガキか。……こっちもこっちでめんどくせー」
 呟いてまた本に戻る。
 面倒なのはお前だっつーの。
 永遠を共にすることが可能な同居人を見つけて、恋人とのわだかまりも解消して、自分がどれだけ恵まれた立場なのか、なんでこいつはわからないんだ。今の状態がどれだけの偶然の上に成り立っている幸せなのか、なんでわからないんだ。
 それだけの熱心な好意を向けられて、別にそれが不満でもないくせに、なんで大事にしないんだ。
「本当に盗ってやるぞ」
 口の中で言葉を転がす。
 まあ、そんなことしたら、マオが悲しむだけだろうからやらないけれども。
 溜息。
 盗られたら後悔するくせに。いなくなったら後悔するくせに。
 いい加減学習しろよ。大事なものはちゃんと持っていないといけないってこと。じゃないとお前、いつか、また後悔するぞ。
「……やってられん」
 溜息をつきながら立ち上がる。
「……なあ、本当にどうしたんだよ」
 心配そうに言われる。それはそれで気持ち悪いな。
「俺も思い悩んだりすることがあるわけ」
「ああ、そう」
「そう。だから酒を買ってくる」
「……自棄酒?」
「まあ、そんな感じ」
 放ってあった財布を手に取る。まだ少し濡れていた頭をタオルで強引に拭く。
「お前もなんかいる?」
「……付き合ってやるよ」
 なんだよその上から目線。そういうのは金出してから言えよ。
 またいらっとしたが深呼吸して落ち着くと、
「じゃあ適当に見てくる」
 言って財布だけ持って家を出た。
 外には満月。
 あの家を出た頃も、満月だった。一体何回目の満月だろうか。
 そろそろちゃんとしなきゃな。
 でもそのまえに、あいつにはやっぱりちゃんと自覚してもらわないと困る。マオはいい子だ。彼女には幸せになって欲しい。
 隆二だってまあ別に幸せになってくれなくてもいいけど、殊更に不幸せを願っているわけでもないし。
 そのためにはちゃんと、隆二には自覚してもらわなければ。
 ちゃんと現実を見て、目を晒さないで、きちんと考えていないと、後悔するぞ。
「俺みたいに」

 コンビニで適当に酒とつまみを買って戻ってくると、
『きょーすけさぁぁーん!』
 泣き顔のマオが飛んで来た。
「え、何」
 さっきまでのあののんびりとした空気はどうしちゃったの。
 隆二を見ると、なんだか難しい顔をしている。
『りゅーじが』
 しゃくりあげながらマオが説明してくれる。
『テレビ、消しちゃったの。見てたのにっ。つけてくれないのっ』
 わんわん泣き出したマオの頭を撫でてやりながら、
「何、どうしたの」
「……教育に悪い」
 苦々しく吐き出された言葉に、
「は?」
 間抜けな声を返す。
 教育? 教育だと? お前のその口から、教育? なにそれ、新しいジョーク?
『きょーいくとか! 説明してくれないくせにそういうこと言うんだっ!』
「……しないんじゃなくて、したくないつってんだよ」
『訊いたら怒ったじゃん!』
 いーっと威嚇するように隆二を睨んでから、マオは京介の顔を見る。
『きょーすけさん、言ってくれたよね? わかんないことは訊いていいんだって』
「言ったねー」
「そんな無責任なこと言うなよ、お前」
 隆二に睨まれた。
 一体何を訊いたというのだ。
 説明を求めるようにマオを見ると、彼女はまだ少し泣いたような声のまま、
『「赤いパンツは勝負パンツ。っていうことは、被害者のおパンツは知っているのさ。誰がヤったかを。二つの意味でな!」って探偵さんが言ってたんだけど、二つの意味ってなぁに? 殺すことをヤっちまったっていうのは前テレビで見たけど、もう一個は? っていうか勝負パンツってなんの勝負?』
 丁寧に説明してくれた。
『他にも色々わかんなかったから訊いたのに、教えてくれないどころかテレビ消しちゃったの!』
「……あー」
 心霊おパンツ探偵。幽霊のパンツだけを知覚することができるという特異体質の探偵が、パンツを手がかりに事件を解決していくドラマで、深夜枠らしくお色気と下ネタが介在している。
「なるほど……」
 隆二が、だから言っただろとでも言いたげにこちらを見てくる。苦虫をかみつぶしたような顔で。
 ああ、自分はいまきっと、隆二と同じような顔をしている。
 まだ涙に濡れたままの緑色の瞳が、まっすぐに見つめてくる。
「……それは、あれだね、マオちゃん」
 かろうじて言葉を引っ張りだしてくると、
「わからないことは訊いていいって言ったけど、隆二にも教えたくないことあるだろうなーって言ったあれだよ」
『なんでぇ―』
「なんでって、その……」
 お前がどうにかしろよ、と隆二を見る。隆二は京介の視線に気づくと嫌そうに顔を歪めてから、
「年齢制限」
 端的に言った。
『ねんれいせーげん?』
「おこちゃまにはまだはやいってこと」
『子どもじゃないもん!』
「子どもだろうが。この零歳児が」
『むー、それは、そうだけど! 普通の零歳児はこんなにおしゃべり出来ません!』
「それはお前がひとでなしだからだ」
『むー!! そうだけど! だってだって、あたしこれ以上大きくならないもん!』
「精神的にってことだよ」
『むー!』
 言い返せなくなったのか、マオが膨れっ面をする。
『じゃあ、いつ教えてくれるの!』
「精神的に大人になったらな」
『絶対だよ!』
「ああ。お前が精神的に大人になって、それでもまだ同じ質問をする気があったらな」
『……わかった。忘れないでよ!』
「はいはい」
 マオはまだ納得していないようだったが、それでもひとまず大人しくなった。頬をふくらませたままだが、隆二の隣に舞い戻る程度には。
「……悪かったな」
 その頭を軽く撫でながら、隆二がこちらに謝罪する。
「いや。俺、今ほんの少しだけお前のこと見直したわ」
 マオをなだめる術を持っているとは。
「なんだよそれ」
「いや、別に」
 言いながら改めて、コンビニの袋片手に、ソファーの前に腰をおろす。
「テキトーにどうぞ」
「どうも」
 袋からお互いに適当に一缶ずつとる。
『……隆二って、お酒飲めたんだねー』
 マオが不思議そうに呟いた。
「大人だからな」
『むー!』
 混ぜっ返すからまたマオが膨れる。さすがにお前、からかって遊び過ぎじゃないのか、こっちが不安になるだろうが。

 しばらくそのまま飲みつつ、どうでもいい話をしていたら、
「……マオ?」
 隆二の肩に頭をのせたまま、マオが眠ってしまっていた。
「……邪魔だな」
 相変わらずひとでなしなことを呟いて、隆二が体を動かすと、マオの頭は肩から外れ、そのままがくっと後ろに倒れる。ソファーの後ろ、壁を抜けて隣の部屋に上半身が消えた。
 隆二は溜息をつきながら、自分はソファーから降りるとマオをひっぱり、ソファーの上にちゃんと寝かせた。
「……やさしーんだ」
 正直意外でそう呟くと、
「いやだろ、家の中に壁抜けしたまま寝ている幽霊がいるの」
 照れ隠しなのか本音なのか、まったくわからないトーンでそう言われた。
 まあ、なんだかんだでうまくやってはいるんだよな。改めてそう思う。もうちょい目に見える形で優しくしてやれよ、とは思うけれども。
「……さっきの話だけどさ」
「ん?」
「精神的に大人になったら教えてやるよって言ってた、あれ」
「ああ」
 思い出したのか隆二は、また難しい顔になって、深夜はテレビ禁止かね、とか呟いている。
「あれさ、おまえちゃんと考えて発言したわけ? マオちゃんがその時質問してきたら、ちゃんと答えてあげるわけ?」
「は? 精神的に大人になったら、あんな質問してこないだろうから問題ないだろ」
 いくらなんでもそこまで品がなく成長はしないだろ、なんて続けている。品とかお前が言うなよ、新手の冗談か。
「逆にしてくるかもしれないだろうが」
「逆?」
「あのときのこと、どういう意味だか教えて? とか言いながら迫って来たらどうするわけ?」
 少しの沈黙の後、
「……ありえないだろ」
 はんっと鼻で笑われた。
「大体、幽霊に迫られたところで、だ」
 だからお前は駄目なんだよ。ちゃんと見てないと後悔するぞ、色々な意味で。人生何があるかわからないのだ。うっかり実体化なんてしてしまうかもしれないじゃないか。そうなってももう、俺は知らないぞ。
 色々言いたいのをぐっとこらえ、
「まあ、仲良くやれよ」
 一番言いたいことだけを告げた。
 隆二は意外そうに一度目を瞬かせてから、
「ま、なんとかやってくさ」
 珍しく素直に答えた。
up date=2013
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