「じゃぁな、お疲れ様」
「お疲れ様です」
 部――もっとも、彼の天敵である検事委員長の彼女は「部ではなく探偵同好会です」と否定するが――の後輩に手をふり、学校を後にする。
「あれー、志田さん?」
 バス停までの道を歩いていると、声をかけられる。
「朝陽ちゃん、今帰り?」
 彼の天敵である検事委員長が、特に可愛がっている後輩。彼女は自転車に乗ったまま話し掛けてくる。
「はい。あれ、志田さんは自転車じゃ?」
「今日は駅前で人と待ち合わせだから」
 バスが次にくるまで、あと10分。
「あら、デートとか?」
「うん」
 正直に答えてみると彼女は驚いた顔をした。
「いたんですかっ!? カノジョ」
「何、俺にカノジョがいるのがそんなに意外?」
 露骨に傷ついた表情をしてみると、彼女は慌てて首を横に振った。
「そ、そんなことはっ」
 からかうと面白い子だなぁと思う。検事委員長の彼女が可愛がるのもわかる。
「まぁ、ともかく最近物騒だから気をつけて帰りなよ」
「あ、はい。志田さんもデート楽しんでくださいねー」
 そう言って、彼女は去っていった。
 彼は特にすることもなく、読みかけの推理小説を取り出しかけて、
「……あら」
 少しだけ不愉快そうにかけられた声に横を向く。
「……桜子さん」
 こちらも少しだけ苦々しい声で呟いた。
 彼女こそが、彼、探偵同好会長志田葉平の天敵、検事委員長設楽桜子。
 桜子はいつもの能面のような顔に僅かに嫌そうな表情を浮かべていた。
「貴方、自転車通学じゃありませんでしたっけ?」
「普段はそうなんだけど、今日は駅に行く用事があって」
「そうですか」
 沈黙。
 今更、推理小説を開くわけにもいかず、葉平は黙って道路を見る。桜子も黙って道路を見つめる。
 沈黙。
 早くバスが来ることをお互いに願った。

 *

 バスが来て、乗り込む。
 葉平は一番後ろに、桜子は一番前に座る。
 葉平が一番後ろを好むのはとても簡単な理由。一番後ろはバスの中を全部見回すことが出来るから。
 桜子が一番前を好むのもとても簡単な理由。降りるのが楽だから。
 バスは進む。

 *

「それでは」
 一番後ろに座っていた葉平がゆっくりと降りると、一番前に座っていてさっさと降りた桜子が立っていた。葉平の姿を見ると、そう挨拶だけして駅の方へ向かう。
 そんなことを言うためだけにわざわざ待っていたのかと、律儀な彼女らしいと笑う。
 設楽桜子は、志田葉平にとって天敵ではあるが、そういうことろはとても好ましいと思っている。自分と正反対だから。
「桜子さん」
 すたすた歩いていく彼女に声をかける。
 桜子は振り返る。
「気をつけて」
 そういって手をふると、彼女は少しだけ微笑んで軽く手を振った。
 やれやれ、とその後姿を見送り、待ち合わせの相手を探そうと視線を動かそうとして、
「葉平」
 後ろからかけられた声に驚いた。
「菊っ」
「あんたは私の目の前で女の子相手にデレデレしてっ」
「いや、してないだろっ!? 桜子さん相手にっ!?」
 そう言って否定する。
 もとより、本気ではなかったらしく、葉平の待ち合わせ相手、つまり彼の恋人、佐藤菊は笑った。
「それより、はやく行きましょう」
 そういって葉平の手をとる。
 今日は映画を見に行く約束なのだ。
「楽しみねっ!」
 菊は笑うが、葉平は曖昧に笑った。
 彼らが見に行くのはオカルトちっくなホラーで、葉平はできればそれじゃなくて、ミステリちっくなホラーがみたかったのだ。
 同じホラーじゃないかと侮るなかれ。オカルトとミステリじゃ天と地ほどの隔たりがある。
 そう思って葉平は嘆息した。
 この、今時「菊」なんていう名前をもっている18歳の少女は、オカルトが大好きだ。彼女曰く、「累の怪談」で憑依される少女とか、「四谷怪談」の伊右衛門の末娘とか、「番町皿屋敷」の下女とかに共通して見られる「お菊」という名前には「死者の声を聞く」という意味があって、「菊という名前をもつ私は死者の声を聞かなければ」ということらしい。
 見た目はギャルなのに。
 ちなみに、オカルトは好きなものの彼女に霊感は皆無らしい。
 探偵は超常現象で事件を解決してはいけないからオカルトなんて排除したいのに。なんてことを思いつつ、結局葉平が菊に逆らえることは無い。
 いや、お互いに本当に大事なところでは譲らないけれども、まぁたかが映画一本で我を通すつもりは無い。
 ……本当はちょっと悔しいけど。
 なんてことを思いつつ、葉平は菊に手を引かれるままに、オカルトホラーを見るために映画館へと歩いたのだった。

 *

「貴方がオカルトものを好むなんて意外ですね」
 翌日、廊下で出くわした桜子に葉平はそういわれた。
「はい?」
「見に行ったのでしょう?」
 そういって桜子はその映画のタイトルをあげる。
「……なんで知ってる? 尾行?」
 ストーカー! とかいってふざけてみる。桜子は眉をひそめて、それからあきれたように嘆息した。
「落としていましたよ」
 そういって映画の半券を渡す。
「……あ」
 そういえば、ズボンのポケットにいれっぱなしだった。
 ありがとう、と受け取ると、桜子は言った。
「注意力散漫ですよ、ワトソン君?」
 この野郎、と思う。やけに機嫌がいいじゃないか、今日。
「大分、菊に振り回されているようですね」
 菊と桜子は中学のクラスメイトだとか。決して友達ではないとお互いに力説していたが。
「あー、まぁね」
「いいことを教えてあげましょう」
 彼女はそういうと、珍しく悪戯っぽく微笑んだ。
「犯人は、主人公本人です」
「え?」
「考えてみたら当然なんですよね。探偵役が犯人であるならば、トリックすらどうにでもなる。クローズド・サークルで医者もいない。死体を調べるのは探偵兼犯人で、死亡推定時刻なんてどうにでもずらせる。探偵が犯人であってはならない、なんていう思い込みがあるから、騙されがちですけど。ミステリとしてはどうかと思いますが、ホラーとしてはなかなか薄ら寒いものがありましたよ。人が一番怖い、というやつですね」
 そういってずっと微笑んでいる。
「……桜子さん、それは……」
「ええ、おそらく、貴方が本当は見たかった映画の犯人です」
 そういって微笑む。
「桜子さんっ!!」
 悲鳴にも似た叫び声をあげる。
 ミステリ好きに犯人を教えることがどんなに残酷か、――推して知るべし。
 桜子は悠然と微笑んで、
「それでは」
 そういって一礼してその場を後にしようとする。
 色々と感情が渦巻いて、何を言おうか葉平は迷ったが、結局一言こう叫んだ。
「意地悪っ!」



「……どっちが」
 後ろから怒鳴られた言葉に、桜子はぽつりと呟いた。