椿と志田君に付き添われて、学生課と警察に向かった。 私は私の見たことを告げた。 志田君は、信頼していた先輩なのに、と小さく呟いて、巻き込んだことを申し訳なく思った。それなのに、彼は、 「……桜子さん、大丈夫?」 私を気遣ってくれた。なんで彼はこんなときまで。 「平気です」 そう答えながらも、強く思った。この人を好きだった私は、見る目があった、と。 次の日、私は新山さんを正門の近くに呼び出した。 「桜子ちゃん。昨日はどうしたのさ」 新山さんが笑う。でも、目は笑ってない。 私は、シャツにジーンズ、それにヒールという格好で彼の前に立った。 「あれ、今日はスカートじゃないの?」 「私はパンツスタイルの方が好きなので」 声が情けなく震える。愚かしい。 でも、私は、負けられない。 「私、新山さんのことが好きでした」 「……でした?」 「志田君と椿以外に、初めて優しくしてくれたから。この場所で。それには感謝しています。でも、それだけです」 彼を見て、小さく笑ってみせる。 「あなたは優しかった。だから私は好きだった。優しいあなたが好きだった。でも、それって、恋じゃなくて憧れで、優しさに甘えていたのかも。もう、私にはわかりません」 この恋を、私は手放そう。私を、守るために。 私の背後から、私が呼んだ警官が現れる。 「桜子っ」 それに気づいた新山さんが、表情を険しくして私を見た。 「てめぇっ、俺を売ったのかっ」 「人として、当然の対応です」 声が震える。それでもきっちりと告げる。 「新山当麻さんだね、少しいいかな?」 警官が彼に近づく。 激昂した彼が私に殴り掛かろうとし、さっそく彼らに取り押さえられた。 「ふざけんなっ、このブスがっ! 優しくしたら勘違いしやがってっ! 誰がてめぇみたいな頭でっかち! この、法律女! きもいんだよっ!」 「こらっ、静かにしなさいっ」 「おまえには人の心がないのかよっ、俺を売りやがって! さいてーだな!!」 「とりあえず、傷害の現行犯な」 警官に引きずられて行く。 「あとで署までお願いします」 警官の言葉に頷く。 それが精一杯だった。 彼の騒々しい声が聞こえなくなり、 「桜」 椿が後ろから声をかけてくる。 「大丈夫」 その、彼女らしからぬためらいがちな声に、振り向かないで答えた。 「あの人は、髪の毛が長い方が女らしくていいよ、って言ったの。スカートやヒールを身につけなさい、もっと可愛くしなさい、って言ったの。今のままの私でいいよ、とは言わなかった」 そして、ゆっくりと振り返る。不鮮明な椿がいた。 「だから、大丈夫。これはきっと、恋ではなかったから」 そして、私は微笑もうと顔の筋肉を必死で動かした。唇が動く代わりに、なんだかどんどん視界がぼやけていく。 「あの人に、どんなに罵倒されたって、私は間違ったことをしてないもの。間違ってない、間違ってないよ。だって、犯罪行為を見過ごせるわけないじゃない。私は、検事になりたいのに。好きだからなんてそんな理由で庇うことできるわけないじゃない。だから、平気。私は私のこと考えてやったから、平気なの」 早口で、口から出るに任せて言葉を発する。 椿がゆっくりと私に歩みよると、小さなその背で背伸びをして、私の頭を軽く撫でた。 しゃがみこむ。 もう、限界だ。 本当はずっと、無理だった。 しゃがみこんで泣き出した私に寄り添うように、椿もゆっくりと隣にしゃがんだ。 「服、汚れるよ。それ、高いんでしょ」 「あのね、汚れたものは洗えばいいの」 私の言葉に椿はばっかじゃないの、と小さく言った。 「泣きたい人間は人の洋服の心配なんてしてないで、黙って泣いてなさい」 あまりと言えばあまりな言葉に、「ひどい」と一度抗議の声をあげたものの、そのあとはもう言葉にならなかった。 あれは恋ではなかったのかもしれない。 でも、私は私なりに精一杯あの人のことを好きだった。あの人と一緒にいたかった。 あの人のことが本当に好きだったら、黙っているのが人として正しい在り方だったのかもしれない。 でもそれは、設楽桜子としてのあるべき姿じゃなかった。 「泣き声がぶす〜」 歌うように節をつけながら、椿がいう。いいながらも、背中をゆっくりと撫でてくれる。派手な指環がついた手はごつごつとした感触だったけれども、とてもとても優しかった。 椿は、私が落ち着くまで、ずっと、そばにいてくれた。 その日、私は授業をさぼった。翌日も初めて学校を休んだ。 立ち直るのに、私は三日もかかってしまった。立ち止まっていた。 頭でっかちの私は、頭で納得しないと動けなかった。三日間考えて、私は鏡の前に向き直った。 自分の髪をそっと撫でる。昔よりも少しだけ伸びた髪。それを鋏で、少しだけ切った。本当に、気持ちだけ。 それでもだいぶ、気持ちが軽くなった。 「大丈夫」 鏡の向こうの私に言い聞かせる。 「あなたは設楽桜子だから」 鏡の国の私に笑いかける。オレンジのシャツに、黒いジーンズを履いたいつもの私。 「あなたは間違っていない」 新山さんの事が好きだった。それは、間違いがない。 その好きな人の罪を告発した。それも、間違っていない。 私は間違ったことをしていない。不器用だったかもしれないけれども。 大丈夫、もう恐れない。 机の上の六法を、鞄にいれる。 私は目標の検事を目指して走り続ける。今までのように。 だけど、恋を恐れたりしない。変わることを恐れたりしない。 新山さん。それを教えてくれたのはあなただったんです。 ケータイのアドレス帳から彼の連絡先を消すと、小さく微笑んだ。 私はあなたが好きでした。 久しぶりに向かった学校は、いつもよりも少し緊張した空気で私を迎え入れた。 一連の騒動は、世間に知られるようになっていたのだろう。まあ、仕方がない。覚悟の上だ。 「桜子さん」 私を見つけた志田君が心配そうに声をかけてくる。 私は、にっこりと微笑んだ。 「色々ありがとう、志田君」 「……うん」 彼は痛ましげな顔をして頷いた。 そんな顔をしないで。私は、あなたにだいぶ救われた。 私はあなたの笑顔が好きだった。 「ねぇ、志田君?」 私は恋をして変わったの。変わった私をあなたに見て欲しい。変わった私は挫けたりしない、平気だってこと、知って欲しい。 「うん?」 首を傾げる志田君の耳元に、そっと唇を近づける。内緒話をする要領で、 「私、高校のとき、志田君の事が好きだった」 耳元でそうささやくと、9センチのヒールをならして、いつもの席に座った。 視界の端で椿の黒い姿が怠惰な猫のように机につっぷすのが見えた。 「さ、さくらこさん!?」 珍しく慌てた志田君の声を背中に受けながら、六法全書を撫でた。 ヒールでもなんでも、私は人より二倍速く走って、自分の目指したものを手に入れる。 |