「久慈さんお久しぶりですぅー。ちっとも来てくれないからぁ。メールの返事もくれないしぃ」 ここなの言葉に、常連客である久慈は黙って一つ頷いた。 久慈は、以前は毎週のように来ていたのに、最近姿を見せていなかった。 「仕事、忙しくて」 ぼそぼそと、呟かれた言葉に、 「じゃあ、今日はゆっくりしてくださいねぇ」 いつものように笑いかける。 「ここなちゃん」 「はぁい?」 小首を傾げる。 「最近も、同じ?」 それは彼が来るといつも言う言葉で、 「ええ、なんにも変わらないです」 微笑んだまま、答える。 「生き辛い?」 「そうですねー」 「心中したい?」 「出来たら良いですよねー」 朗らかに答える。 久慈は何かに満足したかのように、二度三度頷いた。 「ほらほら、久慈さん飲んでー」 お酒のグラスを渡した。 隣のテーブルで、楽しそうな笑い声がする。 俯いた久慈の顔は、長い髪に隠れて見えない。 このいつもの会話をしたら、久慈はしばらく話さない。 明るく会話とかを求めていない。彼もまた、自分よりも下の人間を見て安心しているのだろう。だってなんか暗いし、周りに馴染めなさそうだし、とこっそりここなは思っていた。 それで構わない。減る自尊心は既に無くなったから、それで構わない。 久慈がゆっくりと煙草を取り出した。 「はい」 条件反射で火を差し出す。 煙草に火がつく。 「久慈さん、ジッポお洒落ですねー」 煙草と一緒に取り出されたジッポを見つめる。 「こういうの、どこで買われるんですかー?」 ここなの問にぼそぼそっと久慈が答える。 「へー、お洒落ー、かっこいー」 言いながら、ある算段を脳内で立てた。 帰り道を急ぐ。言いつけどおり、ここ一週間、地下道は通っていない。 「ココ」 かけられた声に顔をあげる。 「キョースケ」 電柱にもたれかかるようにして立っていた京介の元に小走りでかけよる。 「どうしたの?」 「迎え」 「あら」 少し目を見開く。 「珍しい」 「つけられてたとか言うから」 「心配してくれたんだ?」 「明日、バイト休みだし」 負け惜しみみたいにつけたされた言葉に少しふきだす。嘘の付けない人だ。 なんだよ、とでも言いたげに京介に睨まれた。 「ありがと」 素直に笑う。 歩き出す。 「でも、私、ちゃんと地下道通らなかったよ、あの日から」 「知ってる」 京介の横顔を見あげる。 「知ってる?」 それはこの流れでは少し変な言葉ではないだろうか。 「……言葉のあや」 仏頂面で言った彼の横顔を黙って見つめる。見つめ続ける。 「ココ、帰りにコンビニでおでんとか」 「キョースケ」 言葉を遮る。 京介はここなに一度視線を移し、諦めたように、 「張っていたから」 「え?」 「地下道」 沈黙。 その沈黙から逃れるように、少し早足になる京介の後を追う。 「ちょっと、どういうこと」 「だから!」 少し大声を出して、京介が振り返る。 「見張ってたんだってば、地下道!」 「意味がわからない」 「わかるだろうが!」 「わかんないってば」 「ココがその、つけられるのは地下道からだっていうから、しばらくココが帰ってくる少し前の時間、地下道辺りを散歩してたんだ」 ばつの悪そうな顔をする。 「変な奴居ないかって。変な奴は、俺だけだった」 おどけて付け足された言葉にも、ここなは反応しない。 「だって、キョースケ昼間バイトして疲れてるじゃない」 「別にちょっとした夜の散歩だと思えば」 「危ないじゃない」 「俺、前ひったくり撃退したの見たじゃん」 「私が帰ってきた時には家に居たじゃない」 「気を使わせちゃいけないと思って」 だから黙っていようと思ったのに、口が滑った、と小さく京介がぼやいた。 むすっと背中を向け歩き出す。その背中に向けて走り出した。 「うわ」 ぼすっと、体当たり。 「ココっ」 そのまましがみつく。抱きつく。 「キョースケって本当、お人好しね」 その広い背中に額をくっつけて呟く。 「知ってる」 声が額を通して聞こえる。 「普通、ただの同居人相手にそんなことしないでしょう」 「俺もそう思う」 「いきなり現れて心中しましょう、なんていう相手、どう考えても変人じゃない」 「ああ、自覚あったんだ」 「普通ならもっとさっさと逃げ出すわよ。っていうか、最初のときにのこのこ家まで来ないわよ」 「そうだよなー」 「もう、お人好し過ぎて、バカなんじゃないの」 泣きそうになる。 「うーん、自分でもバカなんだろうな、って思っている」 「ばかばかばかばか」 京介は何も答えない。 期待、してしまうではないか。こんなに優しくされると。 このままずっと家にいて、ずっと一緒に住んで、ずっと優しくしてくれるんじゃなかって、期待してしまうじゃないか。 「……期待、させないで」 絶対なんてあるわけがない。このままなんて叶うわけがない。永遠なんてあるはずがない。 心配されると悲しくなるのは、優しくされると胸が痛むのは、いつか来る終わりが怖いからだ。こんなに心配してくれる人だってきっといなくなる。優しくしてくれる人だってずっとそばにいてくれない。そのことを考えると、不安になる。そんなことになったら、私はどうしたらいいの? 一緒に居てくれるかもしれないという期待が裏切られたら、私はどうするの? 「期待、すればいいじゃん」 京介が小さく呟く。 ここなは顔をあげない。あげられない。どうして、そんなことを言えるのだろう、この人は。 「……心中はしないけど」 少し慌てたように京介が続ける。 その言い方に、少しだけ笑った。ようやく少し笑えた。 「キョースケは、優しいけど頑固」 思わずそうやって呟くと。 「そりゃー、そうだろー」 背中が揺れる。少し笑ったようだ。 「ココ、コンビニでおでん買おう。なんか、腹減った。おごるよ」 普通の調子で彼は言う。この話はここで終わり、ということだろう。 「……唐揚げも」 「わかった」 一度京介の背中に向けてぐっと額を押し付ける。それから、勢いを付けて離れた。 「うん」 それを見て、少し京介が微笑む。 「ってか、おでんぐらいで偉そうだな、俺」 「えー、嬉しいよー」 そのまま、いつもと同じ笑顔で笑いながら歩いた。 |