喫茶店を辞したあと、二人手を繋いでゆっくりと歩き出す。
 もう、先ほどのように袖を掴んだりすることなく、しっかりと手を繋ぐ。
「……キョースケ」
「んー?」
 どうした? と言いたげな、優しい笑顔を京介が浮かべる。
 ここなはそれをじっと見つめ、
「ううん」
 首を横に振った。
「かえろっかー」
 のんびりと京介が言う。
「……ん」
 それに小さく返事をする。
 握った右手に力を込める。
「……ちょっと、遠回りして帰ろう?」
「……いいけど。ココ、大丈夫?」
「うん」
「うん、わかった」
 優しく、京介は笑った。
 手を繋いだまま、商店街をぐるりと周り、少し遠回りして帰る。
 家が近づくにつれて、ここなは握った手に力を込める
 京介はそれを見て、少しだけ困ったように笑った。

 ただいま、と玄関を開ける。
 そこではじめて、ここなは京介の手を離した。
 京介を先に、家の中にあげる。その後に自分がついていく。
「……ココ」
 ダイニングにまで来たところで、京介が振り返った。
「……話が、あるんだけど」
 ためらいがちに切り出された言葉に、
「……そうかな、って思ってた」
 ここなは眉を下げて笑った。

 ダイニングテーブルに座り、向かい合う。
 ここなは頬杖をついた。その袖口から一瞬白い包帯が見えて、京介は眉をひそめた。
「……それで?」
 ここなが小首を傾げて話を促す。
「あのさ、その……」
「出て行くの?」
 口ごもった京介の代わりに、ここなが言った。
「え」
「キョースケ、今日妙に優しいんだもん。疑っちゃうよ」
 ここなは泣きそうな笑顔で言う。
「……出て行くっていうのは、そうなんだけど、ちょっと違う」
 そんなここなの顔を見て、京介も少し泣きそうな顔になった。
「順番に、話して良いかな」
「うん」
「……昨日、夕飯食べた後、出かけたじゃん、俺」
「……あの時、私の次の仕事、決めてきてくれたんでしょう?」
 ここなが言うと、京介は少し驚いたような顔をする。それから、
「なんだ、ばれてた」
 小さく肩を竦めた。
「それもあるんだけど、あとは、ココのバイト先に行ってきたんだ」
「え?」
「キャバ」
「……な、んで?」
 思いもかけない言葉に、ここなの口がぽかんとあく。
「その、確認したくて。ココが本当にクビになったのか、とか、色々」
「確認って……」
「店長さん、に会ってきた。店長さんは、他の子から、ココが財布泥棒して、やめるって出て行った、って聞いたった言ってた」
 ここなはその言葉に視線を落とす。濡れ衣なのに。
「でも、多分、嘘だろうって」
「え?」
 顔をあげる。
「嘘っていうか、信じてなかったみたい」
「なんで」
「ココがその人達と仲が悪いっていうのは、薄々知ってたみたいだし。それに」
 泣きそうで、驚いた顔をしているここなに向かって苦笑いしてみせる。
「ココがそこまでする程、お金と人に執着があるとは思えないって」
「……なにそれぇ」
 情けない声がでる。信じてくれたのは嬉しいけれども、少し想定と違う答えだ。
 京介が苦笑した。
「だから、もしココが戻りたいっていうなら、戻ってもいいって。っていうか、売り上げ的な問題もあるみたいだけど」
「それ、は」
「でもね」
 ここなの言葉を遮る。
「俺が丁重にお断りしておいたから安心して」
 当たり前のように微笑む。
「……なんで」
「あれ、やりたかった?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ、いいじゃん。ちゃんと代わりの仕事も探してきたでしょ?」
 少し誇らしげに言うから、なんて返せば良いのかわからない。
 それに、そこまで別にキャバでの仕事に未練があるわけでもない。それよりも今は、あの新しい仕事場のことが楽しみなのだから。
「それにさ、ココ」
 京介は真面目な顔をして、
「好きな人がキャバクラで働いている、というのはやはり余り気持ちがいいものではないよ」
 笑った。
「……キョースケ」
 なんて言えばいいのかわからなくて、ここなは固まる。
 それを見て京介は、ふっと笑うと、
「改めて。俺は、ココが好きだよ」
「……キョースケ」
「今日、ごめんね。みんながココのことカノジョっていうの、否定しなくて」
「それは」
「嬉しかったから、ついつい」
 はにかんだように笑う。
 それをみて、少し泣きそうになった。
「ココ」
 かたり、と京介が椅子から立ち上がる。それを黙ってみていると、彼はここなの隣、床に跪く。
「これは、嘘じゃないよ、本当に」
「キョースケっ」
 小さく名前を呼んで、その首筋に抱きつく。京介はそっと、ここなの背を支えた。
「ありがとう、嬉しい。ありがとう。私もキョースケが好き」
 半分泣きそうになりながら告げる。
「大好き」
「うん」
「今日、嬉しかった。みんなが、私とキョースケのこと、普通に恋人だと思ってくれてて。承認、されたみたいで」
「……よかった」
 そっと髪を撫でられる。
「それからさ、あの……、ストーカー野郎」
 その言葉に、びくっとここなの肩が震える。
 京介はそっと背中を撫でた。大丈夫、とでも言うように。
「あいつについても、確認してきた。来週から、北海道にとばされるらしい」
「え?」
 ここなは顔を上げる。
「だから焦ってたんだな、多分」
 だから、と京介は安心させるように笑った。
「大丈夫だよ」
「ん」
 ここなは頷き、また抱きついた。
「……ココ」
 そっと、肩を押されて離される。
 正面から顔を捉える。
「俺は、ココの事が好きだよ。だから、約束する。帰って来たら、心中しよう」
 今まで見た中で、一番真剣な顔で京介が言った。
「帰ってきたら?」
「うん。ちょっと会いたい人がいるんだ。お世話になった人達に、挨拶しておきたくて。色々心配かけたから、俺は今ちゃんと幸せです、って」
「挨拶?」
「そう。まあ、身辺整理みたいな、死ぬ前の?」
 ちょっとおどけて京介が言う。
「……死ぬ前の」
「うん」
 京介は微笑んでいる。
 ここなはしばらく京介の顔を見つめ、
「……帰ってきたら、心中しよう?」
 彼の言葉を反芻する。
「うん、駄目かな?」
「本当に?」
「本当に」
「心中してくれるの?」
「ああ」
「……帰ってきて、くれるのね?」
 ここなの言葉に、京介は頷いた。
「わかった」
 ここなは出来るだけ微笑むと、頷いた。
「じゃあ、待ってる」
「うん、ありがとう」
 そっと髪を撫でられる。
 ここなは微笑む。
 それから、こつっと額と額をくっつけた。
「待ってる。ちゃんと。洋服売って、喫茶店でフレンチトースト食べて、待ってる」
「うん」
「気をつけてね」
「うん、ココも。何かあったら、マスター達に相談するんだよ」
「はい」
「……ココ」
 そっと名前を呼ばれる。
 額を離す。
 そっと頬に手を置かれて、ここなは小さく微笑むと、目を閉じた。
 そっと、ゆっくりと、柔らかく、キスをした。
 唇を離して、はにかんだように笑い合う。
 それから、椅子から滑り降りるようにして、京介に抱きついた。
 しっかりと、支えてくれるその腕に、泣きそうになる。
「帰って、きてね」
 小さな声で、耳元で囁いた言葉。
 京介は少しだけ微笑んだ。