「この前、犯人に捕まって大怪我したって聞いたけど?」
「ああ、そんな大怪我っていうほどじゃないですよ」
 もう全然元気ですし、と硯さんが笑う。
 普通は犯人に捕まったりしないけどね、という言葉を飲み込む。なぜなら、
「まあ、慎吾と一緒だったからしょうがないですよ」
 彼女はそれを「名探偵の効力」とやらだと受け入れているから。意味がわからない。理解に苦しむ。
「それだけ大変な思いをしているのに、なんで別れないの?」
 というか、仮に大変な思いをしてなかったとしても、あいつと付き合っている意味がわからない。遅刻が多いという愚痴を彼女から聞いたことがあるし、それじゃなくても探偵という職業を選んでいる段階で地雷物件だろ。
「だって」
 心底不思議そうに硯さんが首を傾げる。どうしてそんなことを聞かれるかわからない、とでも言いたげに。
「名探偵の元カノなんて、殺されるか殺人犯になるかの二択しかないじゃないですか。私、どっちも嫌です」
 言われた言葉をどうやって咀嚼すればいいのかちょっと悩んでから、
「……まあ、ドラマとかだとそうよね」
 かろうじてそれだけ口にした。
 でもそれはドラマだからであって、現実世界でそんな出来事が起きるわけないじゃないか。なんでそんな意味不明な理論で動いているのだ、この人は。頭はいいはずなのに。
「恋人でいる限り、危ない目に遭っても殺されることはきっとないでしょうしー」
 のんびりと彼女は言葉を重ねる。
 その自信もどこから出てくるのか、よくわからない。
「いつから付き合ってるんだっけ? 大学から?」
「私が大学二年の時に付き合いだして……まあ、一回別れようとしたりした時もありますけど、なんだかんだで七年の付き合いですね」
 腐れ縁って嫌ですねー、と彼女は笑う。
「腐れ縁ねー」
 適当に相槌を打つ。
 だけど、私は知っている。
 彼女と付き合いのある法曹関係者なら、多かれ少なかれ噂ぐらいは聞いたことがあるだろう。二人の付き合いは大学の時からじゃないってこと。もっと前に、子供の時に始まっていること。
 硯さんは私が知っていることを知らないから、言わないけど。というかこれを本人に問いかける勇気は私にはない。
 二十年前の冤罪事件がきっかけだなんてこと、寝ている虎を起こすようなこと、私にはできない。
「そういえば、この前三溝くんに会ったんですけど」
「ああ、今裁判官だっけ?」
「そうです。それで」
 修習同期の話を始める彼女の話に、相槌を打ち、昼食の手を進めながら、聞いた話を思い出す。
 硯さんが小学生の時にあった事件。どこにでもあるような住宅街で、ある家族が皆殺しにされるという凄惨な事件を。


第三章 検事の場合