硯さんが持ってきた事件は、最近ニュースになっている資産家老人殺害事件だった。 応接セットに移動した二人は、話を続ける。 私のところからは少し遠くなってしまったが、話は十分に聞こえる。 「あー、ニュース見た見た。あれって、密室とかそんな面白い展開だったんだ?」 「さすがにマスコミには、密室のことは伏せてあるの。どうせろくでもないことになるでしょう?」 なるほどねぇ、と呟いた慎吾の唇が、少し楽しそうにあがる。 この男は本当、骨の髄まで名探偵だ。謎を見るとテンションがあがるのだ。 二週間前、資産家の老人・金持万次郎が自宅で遺体となって発見された。死因はナイフで刺されたことによる失血死。 動機の面で最も疑わしいとして警察にマークされているのが、硯さんの依頼人でもある金持豪志、三十歳。万次郎の孫にあたり、万次郎の相続人のひとりである。 「借金まみれの相続人ときたら、そりゃあ警察も疑うわな」 豪志は金遣いが荒かった。三年ほど前に、豪志の両親、万次郎から見ると息子とその嫁が亡くなり、豪志が彼らの莫大な遺産を相続した。 もともと怠惰なくせに見栄っ張りだったら豪志は、その遺産を使ってぱぁーっと遊びほうけた。 女性のいる店に通いつめ、貢ぎ、酒を飲み、騒いだ。仲間の分も豪快におごったという。 金銭の残りが危うくなった豪志だが、派手な生活をやめる気はなかった。お金を増やすために、働きたいとも思えない。 そこで彼が実践したのが、ギャンブルでお金を増やすことだった。 「まぁ、よくある話よね。そのままお金がなくなっちゃって、今度はギャンブルに手を出すなんて」 「なまじ、最初の頃は勝負運があったのがよくなかったよな。最初からボロ負けしていれば、もっと早く更生できたかもしれないのに」 競馬や競艇で、最初のうちは勝ち越していたらしい。それで、より多額の金を賭けるようになった。ところが、多くの金を賭けるようになったころ、彼の勝率は落ちていく。 「本当にもう、救いようのないアホよね」 「アホダアホダ」 焦った彼はより手早く金を儲けようと考えた。そこで彼が下した決断がどうしようもなく、アホだった。 「あれ、茗ちゃんにしては依頼人に対して手厳しい」 「そりゃあ、違法賭博に手を出す決断をしちゃう人なんて、ちょっとアホじゃないかなーって思っちゃうわよ」 硯さんが面倒くさそうにため息をつく。いくら依頼人とはいえ、真面目な彼女にとって嫌なタイプの人間だろう。 違法賭博に手を出し、お金を失い、借金をして……。それも、黒いところから。アホ以外に何と言えばいいのか。 「まあなー。しかもよりによって、くっそ評判悪い組がバックについているところに手を出すなんてなー」 「こわーいお兄さんに追いかけられて、売り飛ばされそうになったりして」 「コワイコワイ」 そこまできてようやく、豪志はヤバイと気づいたらしい。祖父である万次郎に泣きついたそうだ。 しかしまあ、万次郎から見れば、豪志の自業自得。金持家の恥晒し。ふざけるな! と一喝した。 「使用人の話を聞く限り、依頼人が心を入れ替えて、ちゃんと頭を下げれば金を貸すつもりはあったみたいなんだけど」 「そんなに危機的状況にあっても、祖父にすらちゃんと頭を下げられないおぼっちゃまだったってことか」 「そう。ああもう、正直、めんどくさいからこの仕事おりたくてしょうがないの」 げんなりと硯さんが言う。本当に嫌な人物らしい。 「ってか、なんで引き受けたわけ。こんな事件。国選でもないだろ?」 「もともとは、上泉先生が金持家の顧問弁護士と付き合いがあって。顧問弁護士は刑事事件は得意じゃないからって上泉先生を頼ってきたんだけど……」 上泉先生というのは、硯さんの上司。いわゆるボス弁だ。 「ああ、手がいっぱいだからって茗ちゃんにお鉢が回ってきたんだ」 「そういうこと」 アンニュイに硯さんがため息をつく。 「まあ、引き受けた以上はちゃんとやらないとね」 「そうだねー。まあ、今の所、依頼人が露骨に怪しいけど」 「そうなのよねー」 金に困っているという事情がある以上、豪志が一番怪しいと思われるのは仕方がない。金を貸してくれない祖父に腹をたてたとも考えられるし、それに祖父が死ねばその遺産は豪志のものになるのだから。 「でも、まだ逮捕には至ってない。それが、密室だったから?」 「金持万次郎氏は疑り深い人でね、玄関の鍵は二重どころか、四重。もちろん、警備会社は雇っているし、防犯カメラも設置されている。怪しい人物は誰もうつってない。窓ガラスもきっちりしまっていて、どこも割れていない。殺害現場である彼の書斎にも、二重の鍵がかかっていた」 「うわぁ、密室殺人してくださいと言わんばかりの状態だね。合鍵は?」 「ないの。万次郎氏が管理しているだけ。それから、犯行当時、屋敷の中には誰もいなかったのよ」 「じゃあ、被害者以外誰もいない、完全な密室ってことか」 「そう、使用人も。たまたまみんな外出していたらしいの」 「なるほどね」 慎吾が笑う。楽しそうに。 「というわけで、シンにお願いしに来たってわけ。あなたにってはこんな事件、小説の冒頭の顔見せレベルのものでしょう?」 硯さんがあまりにも「名探偵」という存在をわきまえた発言をする。 「……茗ちゃんも、ずいぶんメタ的なこと言うようになったねー」 「幸か不幸か、あなたとの付き合い長いからね。もう慣れた」 淡々と言われると、いつものように「まあ、俺が名探偵だからさ」だのなんだのと、おどけるのもできなかったらしい。慎吾が珍しく苦笑いでごまかした。 「今更、名探偵様について色々言っても仕方ないからいいんだけど。本当、お願いだからなるべく早く、解決してちょうだい。この際、依頼人が犯人でもいいから」 「いいんだ?」 「だって、救いようがない馬鹿だもん」 本当、胃が痛い。二度と接見行きたくない、と続ける。 真面目な彼女にここまで言わせるとは、恐ろしい人物だ。 「りょーかい」 慎吾が軽く片手をあげてを返事をした。おおよそ、仕事を引き受けた人間の態度とは思えないが、慎吾の場合、これがデフォルトなので仕方があるまい。 「茗ちゃん、それじゃあ報酬はさ……」 悪戯っぽく笑った慎吾は、硯さんの方に顔を寄せると、耳元で何か囁いた。 少しの間のあと、硯さんの顔が赤くなる。 「なんで! あなたはいつもそうなのっ!」 悲鳴のような言葉。まったく、今度はどんな卑猥な交換条件を出したのやら。 「アホシンゴ!」 第一章 九官鳥の場合
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