ロー内恋愛ー26歳の男

  第四章 守秘義務ってご存知ですか?

「はーい、そこまでー」
 先生の言葉に、慌てて答案用紙の最後に「以上」と走り書きした。
「はーい、ペンおくー。さっさと置くー。いつまでも持ってると減点するよー」
 少し暢気とも思える先生の声。万年筆のキャップをしめると、ころころと机の上を転がした。
 手首をぐるぐると回す。
 期末テスト最終日。今回は六科目。刑訴と民訴は二時間で、あとは一時間半。書いた答案の枚数は、二十二、三枚。答案用紙はA4サイズに、二十三行のもの。
 指示に従い、答案用紙を提出しながら小さくため息。
 さすがにしんどい。
 でもこれ、本試験ではもっと多いもんな。本試験では、選択科目で二問、答案用紙はそれぞれ四枚配られる。また、他の七科目はそれぞれ答案用紙は八枚配られる。
 勿論、全部埋めなくても問題はないんだけれども、少なくしか書けないという事は、何か大事な記述を抜かしている、ということだ。って、先輩が言っていた。
 腕、持つかなー。ぐるぐると手首をまわす。周りのみんなも、同じような動作をしていた。
 でも、万年筆は少し書きやすいかもしれない。今までボールペンを使っていたけれども、治君の勧めで万年筆にしてみたのだ。このまま万年筆でいようかなーとか、色々考える。ただ、難点はインクの補充が大変なことかな。
 しかし、「お勧めのボールペンはなにか?」という質問に、万年筆という回答はあっているのか間違っているのか、苦笑いする。
 とにもかくにも、これで前期期末試験は全て終わった。

「よっしゃー! 飲みに行くぞー!」
 治君のテンションの高い声に、
「おー!」
 こちらもテンションをあげて返した。
 六法を戻しに、自習室へ向かう。これが期末試験日程で本当に一番最後の試験だったので、全員試験が終わったことになる。さすがにみんな、浮き足立っていて、いつも静かな自習室が騒々しい。
 ひょいっといささか乱暴に六法を棚に戻す。教科書持って帰ろうかなとも思ったけど、どうせ夏休みもくるはずだしな、とやめる。飲み会に教科書持って行くの嫌だし。
「杏子ちゃん、お疲れ」
 廊下に出たところで、ヒロ君にあった。
「おつかれー!」
 久しぶりに見る顔に、嬉しくなって思わず大きな声がでる。いつもより少し乱れた髪と、疲れた顔。テストだったもんね、大変だったもんね。なんだか無防備で抱きしめたくなる。しないけど。できないけど。
「テストどうだったー?」
「聞くな!」
 反射的に返すと、楽しそうにヒロ君は笑った。こうやって普通に会話できるのは嬉しい。でも、少しだけ寂しい。

 本当に付き合っちゃえばいいじゃん。

 あの日のやりとりを、本当になかったことにされているようで。ってまあ、気まずくて会話出来ないのも嫌なんだけれども。あれから結構な日数経ったし、いつまでも気にされていても困るんだけれども。難しい乙女心よ。
「杏子ちゃんとこの演習もこれから飲み?」
「うん、ヒロ君のところも?」
「そー。金ないのにー」
 肩をすくめる。
「つーか、杏子ちゃんと飲みに行ったことあったっけ?」
「ええっと、ほら、ゴールデンウィークぐらいにさ、既修で集まって飲み会やったじゃん? あの時は一緒だったよ」
 そうそう、ようやく学校に慣れたぐらいのとき。親睦のために既修の有志で飲み会をやったのだ。あれは結局、30人ぐらいいたんだっけな?
 その時、ヒロ君も一緒だった。まあ、みんな移動してたし、一緒のテーブルにいたのは少しだけだったけど。あんまりしゃべったりしてなかったし、そもそもあの時のあたしは、まさかここまでヒロ君のこと好きになるとは思ってなかったんだけど。
「あー、そっか。でもあんまり、話してないよね?」
「そうだねー」
「じゃあ、今度適当に飲みに行こうー」
「お、やったー」
 思わぬお誘いに両手を叩く。
「ってか、杏子ちゃんとこの演習と民法の先生一緒だからさ、先生呼んで合同で飲みやればいいよねー」
 よくねえよ。
 喉まででかかった言葉を飲み込む。まさか二人とは思わなかったけれども、そこまで大人数になるとも思わなかった。っていうか、先生一緒だったらあんまり羽目を外せないじゃないか。
「いいねー。先生実務家だし、奢ってくれたりしてー」
 心にもないことをいう。いや、奢ってくれたりーは結構本気だけど。実務家とは、この場合、法曹職についていることを言う。民法演習の先生は、現役の弁護士で、授業中もけっこう実際にあった事件の話を面白おかしく話してくれるので好きだ。
「そう、俺もそれ狙い」
 ヒロ君が笑う。
「まあ、ともかくさ。杏子ちゃんともゆっくり話たいしさー」
 ありがとう、社交辞令でも超嬉しい。
「うん、あたしもー」
 これは超本気。
「っと、やべ、俺いい加減ラウンジ行かないと。待ち合わせが。じゃあ、また」
「うん、ばいばーい」
 笑顔を作って手をふる。ヒロ君も笑って手をふってくれた。
 ヒロ君が持っていた六法、ちらっと見たら、下側の切り口に蛍光ペンで名前が書いてあった。カタカナでサクライって。うう、可愛い。
 ヒロ君の姿が、角で消える。立ち去る背中も、好きだ。