ロー内恋愛ー26歳の男

  第三章 当事者適格がありません。

「かんぱーい」
 言って、皆でグラスをぶつけあった。
 行政法と会社法の中間テスト終了後、当然のように演習の皆で飲み会。こういうことには人一倍張り切る治君は既にお店を予約してくれていた。
 しかし、中間テストなんて高校以来だよ。と改めて、しみじみと。
「いやー、これでしばらくのんびりできるね」
「でも、明後日、民法レポートじゃん」
「俺、全部もう終わらせたから。今学期の分」
「やべ、さすが池田」
 わいわいいいながら、杯を重ねる。
 みんな大人だから、大学のときのような無理な飲みはなくて楽。コールとかないし。
「治君は、最近カノジョとどー?」
 外部にカノジョがいる彼に聞くと、
「あー、ぼちぼち。テスト終わったから明日会うよ」
「いいなー」
 ふくれると、どこからか「杏子ちゃんはおとなしくしてればもてるよー」というヤジがとんでくる。おとなしくしてればってどういうことよ?
「結婚とか、考えないの?」
「あー」
 誰かからの問いに、治君は困ったように笑う。
「結婚かー、遠いな」
 そういって、26歳の、付き合って7年目の彼女がいる彼は笑った。遠い目をして。
 付き合っているひとは、特に外部に恋人がいる人は、多かれ少なかれ同じ思いなのだろう、どことなく目を伏せた。
 まだ学生で、合格するかも就職できるかもわからなくて、そんな状況では結婚は夢だということは、あたしにだって分かる。
「子どもとか、はやく欲しいんだけどね」
「男の子? 女の子?」
「女の子がいいなー。大きくなって反抗期になってパパ嫌い! とか言われたら、俺立ち直れねー」
 明るく治君は続ける。
「パパ嫌いとか言われたら、俺家帰れないから池田とめろよー」
 わーわー、盛り上がる。
「サクちゃんは、カレシいるもんねー。いいなー」
 男どもが、女の子と反抗期について盛り上がっているので、隣のサクちゃんに尋ねてみる。
「ああ、うん」
 聞かれてサクちゃんは小さく頷く。
 どこかなんだか煮え切らない気がして、首を傾げる。
「ねえ、」
 詳しく突っ込もうとしたとき、
「カシスオレンジとモスコミュールおまたせしましたー」
 店員さんの声に慌てて
「はーい、あたしです!」
 手をあげてアピールする。
「モスコミュールもこっちで」
 と二つうけとり、モスコミュールをサクちゃんに手渡す。
「ありがとう」
 受け取ったサクちゃんはいつものような笑顔だから、それ以上、突っ込めなかった。
「杏子ちゃんは、その後どう?」
「ん?」
「櫻井君と」
「いや、別に」
 小さくため息。
 あの時、カノジョのふりをして以来、あんまり話していない。廊下ですれ違ったら挨拶ぐらいするけど。演習はもちろん、講義ですら一緒じゃないからあんまり会う機会がない。気まずいのも嫌だけれども、やっぱり寂しい。
「あ、でも、誕生日」
 そこで思い出した。あの後一度だけ、ちゃんと話す機会があった。
「うん?」
「誕生日にプレゼントもらった」
「ああ」
 サクちゃんは少し微笑み、
「この前だったもんね。よかったじゃん。何もらったの?」
「憲法の争点」
 沈黙。
 サクちゃんは珍しく理解出来ない、とでも言いたげな顔をして、
「ごめん……、もう一回いい?」
「憲法の争点」
「けんぽーのそうてん」
 サクちゃんは首を傾げ、
「それは、あれ? ジュリスト増刊の法律学の争点シリーズの? 憲法の理論上或いは解釈論上対立の存在する諸問題を解説している?」
「うん。薄くて高いあれ」
 っていうか、なにその説明文。某書籍のネット通販のサイト?
「新品?」
「ううん。ヒロ君が使ってたやつ。もう読まないからって」
「杏子ちゃんさ」
 サクちゃんはあたしの肩に両手をぽんっと置いた。サクちゃん、酔っているな、さては。
「それでいいの?」
 真剣に、あたしの顔を覗き込むようにして尋ねて来た。
 いいか悪いかで言われたら、
「よくはないけど」
 なんでそんな色気のないものをもらわなければならないのか、っていう気もするし。
「でも、たまたま廊下で会って、その時たまたま治君に誕生日だってアピールして飴もらってたところで、そんな不意打ちみたいな出来事なのにおめでとうって言ってもらえて、何かもらえただけで十分かなって。憲法、苦手だし」
「だからって」
「それに」
 ちょっと声をひそめて、
「好きな人の使ってたものってよくない?」
 ちょっとだけ茶目っ気たっぷりに言ってみる。
 サクちゃんは少しきょとんとした顔をしてから、
「んー、がんばれ」
 酔って少し赤くなった頬で微笑まれる。うーん、女のあたしでもころっとくるな、これ。
「すみませーん、伝票失礼します」
 言いながらお姉さんが治君に伝票を渡す。
 治君はその伝票に目を通しながら、
「あれ、これ違うな? ここにいるの十二人だよね?」
 コース×十三になっているなー、という声。
「十二で予約したんでしょ?」
「もちろん」
 彼が頷くと同時に、
「じゃあ、詐欺だ!」
 誰かが声をあげた。
「いや、詐欺にはならないだろ」
「錯誤だ、錯誤」
「動機の錯誤だ!」
 わーわー、急に盛り上がりだす。
 お姉さんを捕まえて訂正をせまる。六法もっているやつまでいるよ。
「ロースクール生って、迷惑よねー」
 普通に訂正を求められないのか普通に。気持ちだけでも他人のふりをしながら、あたしがいうと、サクちゃんは、
「あのお姉さんに同情する」
 会計は無事、十二に直してもらいました。