次の日も、学校が終わると真っすぐ図書館に向かった。 今日も、あの人はいた。 絵本を読みながら、なんだかにやにや笑っている。通りすがりに確認する。今、読んでいるのは、『だるまちゃんとてんぐちゃん』のようだ。 読み終わると彼女は、猫型のリュックの中から一冊のノートをとりだした。そこに左手でなにかを書きつけていく。一生懸命に、真剣な顔をして。 なにを書いているのだろうか。気になって仕方がない。 ちらちらと、そちらを見ていると、 「真緒」 いつもより少しはやく、お迎えがきた。 彼女はばっと慌てたように、机に覆いかぶさるようにしてノートを隠した。 「は、はやいっ」 「飽きた。帰ろう」 「……我が侭!」 「はいはい。何か借りる?」 「今日はいい」 「じゃあ、返して来て」 こくんっと頷いて、彼女は本をもとあった場所にしまう。その間に彼は、何か新しい本の貸出手続に向かった。 彼から隠すようにしていたノートは、その時ばさっと机から落ちた。 あ、っと思う。 気づくだろうか。 見守っていると、彼女は本を返し、リュックを左手で掴むと、慌てた様子で彼を追いかけた。 落ちたノートには気づかない。 「あっ」 慌てて追いかけようと立ち上がり、がっしゃん、っとペンケースの中身をぶちまけてしまう。 音が響く。 視線が集まる。 かああぁっと頬が熱くなった。 「すみませんっ」 周りに頭をさげて中身を拾い上げた時には、もう二人の姿はなかった。 ノートが、まるで硝子の靴のように置き忘れられていた。 私はそれを拾い上げると、少しだけ悩み、悪いことだとは思いながら、持ち帰ってしまった。 ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、あの人達のことが知りたい。 明日また持って行くから。そしたらちゃんと返すから。 罪悪感とそれを上回る高揚感に支配されながら、叔母さんの家に戻ると部屋のドアをしめる。 ノートは普通の大学ノート。そこに緑のペンで大きく、「神山真緒」と書かれていた。子どもが書いたような歪んだ文字。 一緒にシールが何枚かぺたぺたと貼ってある。それらは全部猫だった。 猫、好きなんだろうか。持っているリュックサックも猫耳のついたものだし。 表紙を開く。 一ページ目には、やはり殴り書いたような字で「どくしょのーと」と書いてあった。 読書ノート? ぱらぱらと捲って行く。 それはどうも、彼女の、絵本の感想記録のようだ。 書いてある最後のページには、今日読んでいた『だるまちゃんとてんぐちゃん』の感想が書いてあった。 悪いな、と思いながら見てしまう。気になって。 そこには筆圧の強い字でこうかかれていた。「おおきなだるまどんは、だるまちゃんのためにいろいろやってくれて、まるでリュージみたい! とんちんかんなところも、いっしょだよね!」と。 りゅーじ。そういえば、あの男の人のことをそう呼んでいた。じゃあ、彼のことなのだろう。 『だるまちゃんとてんぐちゃん』は、てんぐちゃんのもつ団扇や長い赤い鼻を欲しがるだるまちゃんのために、おおきなだるまどんが試行錯誤しながら願いを叶えてくれようとするものだ。 ますます気になる。 二人はどういう関係なのだろうか。 彼はおおきなだるまどんのように、彼女に色々してあげているのか。 親子ではない。そこまでの年齢差はない。 兄弟というのもまた違う。それよりももっと親密に見えた。 だけれども、恋人でもない、と思う。そういう甘さはなかった。 気になる。どういう関係なのだろうか。 いずれにしても、 「……明日、返さなくっちゃ」 ノートを撫でながら、小さく呟いた。 次の日は、土曜日。学校は休みだったので、朝から図書館に向かった。あの人達がいつくるかわからなかったから。 私が行くと、すでにあの人達は来ていた。 レファレンスカウンターで、彼女がなにか必死に訴えている。 「ノート、昨日忘れてっ」 「昨日ですか? そうですねー、ノートの忘れ物はなかったですねー」 「でもっ」 ぐっとカウンターに身を乗り出す彼女のを、ややぞんざいに彼が引き止める。 「声でかい」 「だって」 振り返った彼女は涙目だった。 「ないものはないんだってば。あきらめろって」 「でもっ」 「なんのノートだか知らないけど、そんな大事なものならちゃんと持っとけ」 「……そうだけど」 「すみません、万が一あったらとっておいてください」 「あ、はい、それは勿論」 「お願いします。……だから、真緒、今日は帰ろう」 「だけどっ」 カウンターからてこでも動かない、と言った顔をした彼女に、彼は苦虫をかみつぶしたような顔で頭を掻く。 これ、のことだ。 鞄からノートを取り出す。 本当は今日、しれっとカウンターに渡しておいて、素知らぬフリをしておくつもりだった。ずるいことだとは、わかっていたけれども。 どうしよう。 こんなに大事になって、今更でていくなんて怖くてできない。恥ずかしい。 「真緒」 だけど、彼女はあそこで、あんな風に泣きそうになっている。それを見過ごすこともできない。 しちゃいけない、と思う。 大きく深呼吸。 仕方ない。 持って帰ったのも私で、拾ったのも私で、悪いのは私だ。 どきどきと、心臓がうるさい。 カウンターに近づいて、声をかける。 「あのっ」 盛大に裏返った。 咳払い。 「あ、あのっ、こ、これですか?」 言いながらノートを差し出すと、泣き出しそうな顔をした彼女がこちらを見て、ノートを見て、ぱああああっと顔を明るく、笑顔にした。 「あたしのっ!」 ぴょんっと跳ねるようにして、私の手からノートを受け取る。 嬉しそうにそれを胸に抱く。 「あ、あのっ、昨日落としたの、拾ってて、あの、間違えてっ、持って帰っちゃってて、すみませんっ」 彼女はまったく訊いてはいないが、言い訳を繰り広げる。 彼女は浮かれたようにノート見つめて笑っている。 「礼を言え、おまえは」 そんな彼女の頭を、彼は軽く叩き、 「すみません、ありがとうございました」 私に向かって頭を下げる。 「あ、あ、いえ、すみません」 私も慌てて頭を下げる。 持って帰っちゃって、すみません。 「ありがとうっ!」 彼女もぴょこんっと頭をさげた。 「お騒がせしました、すみません」 彼はカウンターの人にもそう言って頭をさげ、 「ほら、帰るぞ」 彼女の手をとると、すたすたと、流れるように図書館から出て行ってしまった。あまりに速い動きに、なにも言葉がかけられなかった。 カウンターのお姉さんを見ると、展開の早さに圧倒されたような顔をしていた。 が、私が見ていることに気づくと、 「忘れ物は届けてくださいね」 感情を持て余したかのように言われた。 「……すみません」 ぺこり、と頭を下げると、逃げるように奥に向かった。 |