図書館に行くのを、数日さぼった。 翌日の謝罪もできなかったのに、今更、真緒さん達に会わせる顔がなくて。 こっそり持ってかえった山口屋のせんべいが、ベッドの下でいつも私を責め立てていた。 謝らないといけない。そうは思うけれども、どこかで黒い感情もうごめいていた。 別に無事だったからいいじゃないか。ただの事故っていうことでいいじゃないか。 私がいなくても構わないんだから、いいじゃないか。 そう思ったら、図書館には行けなかった。 だけれども、代わりにいつもの神社や河原に居たら結局、会ってしまう気がして行けなかった。 だからといって急に帰宅時間を早めたら叔母さんにまた、余計な心配をかけてしまうし。それで仕方なく、学校の図書室に行くことにした。 学校にも本当は居たくないのだけれども、背に腹はかえられない。 それに、飽きたのかなんなのか、最近は嫌がらせもなくなった。 たまに、机に変な手紙が入っているけれども、それだけだ。 飽きてくれたのならば、それでいい。 次に図書館に行くのを決めたのは、丁度真緒さんがいなくなる時期を見計らってのことだった。 隆二さん一人のときは、図書館に来ないことはわかっていたから。 それなのに。 「……ども」 いつものように駐輪場に自転車をとめようとしたら、入り口のところに隆二さんが立っていた。 つまらなさそうな顔をして。 「……こんにちは」 驚いた心を押し隠すように、淡々と挨拶する。 「お一人、ですか?」 わかっていることながら聞いてみる。 「ああ」 「珍しい、ですね」 「ん」 沈黙。 そもそも、一人で図書館にくるのはいいとして、なんでこんな、入り口のところでぬぼっと立っていたのだろうか。 中に入ればいいのに。 立ち去るにもいかない空気で、どうしたものかと思う。 隆二さんは、困ったように首筋に手をあてると、 「あのさ、」 「はい?」 「なんで、ここ最近、ちっとも図書館に来なかったの?」 心臓がはねた。 もしかして、ここで私がくるのを待っていて、くれたの? 「最近、いなかっただろ? いつもいるのに。神社とか、河原にもいなかったし……。なんか、病気でもしたんじゃないか、なにかあったんじゃないかって」 心配、してくれていたのだろうか? 隆二さんが。 真緒さんのこと以外、興味なさそうなのに……。 そう思ったら、心臓が早鐘のようなりはじめた。 私のことを、心配してくれていたのだろうか。 「……あの」 「心配してたよ、あいつ」 隆二さんが当たり前のように続けた言葉に、言いかけた言葉と、気持ちが、風船のようにしぼんでいくのがわかった。 心配していたのは、真緒さん。 真緒さんが、心配していたから、隆二さんも気にしていただけ。 考えてみれば、当たり前のことだ。 わかっていたことをつきつけられて、じくりと心臓が痛んだ。 「今ほら、いないんだけど。俺に確認しとけってうるさくって。この前のこと気にしているんだったら、別に大丈夫だから。事故なんだし。っていうか、俺も悪かった、なんか感じ悪かったろ?」 「……いえ」 心がシーンとして、驚く程冷静になったのが自分でもわかった。 隆二さんが事故だと思っていることに安心する一方で、落胆もしていた。私はもう二度と、この件について自分の悪事を暴露することはできないだろう。ずっと、持って生きることになるのだろう。 冷静にそう考える。結局、また保身だ。 「ちょっと学校の課題が大変だった、それだけです」 まっすぐ見て、そう答える。 「そうなんだ?」 「はい」 大丈夫、ちょっとごまかせば、簡単に納得してくれる。 みんなそうだ。 「……本当に?」 なのに、隆二さんはちょっとだけ、眉根をよせてもう一度尋ねてきた。 「……本当です」 「ふーん」 納得していないような声。 「……何が不満なんですか」 思わず睨みつけると、いたずらっぽく笑われた。 「だって、嘘つきじゃん」 「嘘なんか!」 「まわりのみんなに、嘘で隠し事をして生きている」 言われた言葉に口ごもる。 それは、そうだけれども……。 「本当は?」 ちょっとだけいつもより優しく笑いながら、改めて問われる。 だけど、本当のことなんて言えるわけがない。 貴方が事故だと思っていることは、本当は私がわざとやったことです。真緒さんを殺して、代わりに私がその場所につきたかった、なんて。 「学校の子の嫌がらせのことなら、俺に隠す必要ないだろう」 それはそうだ。 隆二さんと真緒さんになら、なんでも話せる。そう、思っている。 思っていた。 だけど、違った。 話せないこともあった。 「……言えない、か」 私が黙って俯いていると、ふっと呆れたように笑った。 怒られるだろうか。 身を堅くしていると、 「言えないなら言えないでいいさ」 思っていたよりもあっけらかんとした言葉が降って来た。 「え?」 顔をあげる。 「人間誰しも、言いたくないことの一つ二つや百八つ」 なんで煩悩の数? 「そりゃああるだろう。それなら、言わなくていいよ、別に」 俺だって別に無理して聞きたくもないし、となんだちょっぴり、ひとでなしな発言も付け加える。 「だけどさ、嘘はやめよう。隠し事するならば隠し事でもいい。黙っていたいなら黙っていてくれてもいい。だけど、嘘をつくのだけは、やめたほうがいい」 いつになく真剣な顔でそう言われる。 「……嘘」 「そう、嘘」 軽く頷いて、 「それだけは、真緒にも約束させてるんだ。お互いに、嘘はつかないようにしようって。隠し事はしていいけれども、嘘をつくのはやめようって」 そして、ちょっとだけ、なんだか寂しそうに笑う。 「昔、嘘をついたせいで失った人間関係とか、あるからさ。嘘をつくのもつかれるのも、本当、いやなんだ」 そのまま小さな声で呟いてから、 「ま、どうでもいいか、こんな話」 恥ずかしくなったのか、照れたようにそっぽを向いた。 「……すみません」 何をいえばいいかわからなくて、代わりに一つ頭をさげる。 「謝ることではない」 「……でも」 嘘をついたから。 隆二さんは何も言わない。私の言葉を待っているみたいに、じっと、私のことを見ている。 私が嘘じゃないことを言うって、信じて待っていてくれる。 この人は、やっぱり、とっても優しいんだと思う。 ちょっと悩んでから、ゆっくりと言葉をつむぎはじめた。 「……なんていうか、ちょっと色々あって、図書館に来たい気分じゃなかったから来なかった。それだけです。別に学校でなにかあったとか、そういうんじゃないです、それは本当に」 本当のところは隠したまま、それでも本当のことを告げると、 「そっか」 隆二さんは軽く頷いた。 「まあ、病気とか、なんか大きなもめ事が発生したとかじゃなかったなら、いいんだ。心配してたからさ、真緒も」 「……はい。あの、謝っておいてください、真緒さんに」 「うん」 隆二さんは、伝えておくよ、と一つ頷いてから、 「でもさ、迷惑じゃなかったらでいいんだけど、今度ちゃんと、直接顔見せてやってくれよ」 「え?」 「どうせ来るし、図書館」 「……いいんですか?」 「え、何が?」 きょとんとした顔で言われる。 咄嗟に問いかけてから、そういえば何が問題なのか、自分でもわからなかった。 家には来るなと言われたけれども、それはまあ迷惑だからってことであって、会うこと自体を嫌がられてはいなかった。 「……迷惑じゃないですか?」 「いや、それはこっちの台詞だけど……」 隆二さんが困ったように笑う。 「あいつ、自由気ままで迷惑かけていて、うざかったら本当、遠慮なくシカトしてくれていいから。優しくするとつけあがるから、ちょっと突き放すぐらいでいいんだよ、あいつは」 そんな言葉を、ちょっと楽しそうに笑いながら言われる。 ……この人、あれで真緒さんのことを突き放しているつもりなんだろうか? めちゃめちゃ甘やかしているようにしか、見えないんだけれども……。 「あとさ、自分でこういうこと言うのもなんだけど、俺らみたいなよくわかんないやつが、あんたみたいな中学生と一緒にいたらさ、ちょっと怪しいっていうか、周りは心配するじゃないかなーっていうのは、思っているけれども」 「……それは、まあ」 澪に言われたことを思い出したら、否定もできなくって、結局曖昧な笑みを浮かべてしまう。 「ああ、やっぱり」 苦笑される。 「なんか言われた?」 「……まあ」 曖昧に頷くと、 「だろうなー」 と頷いた。 「だからまあ、周りに心配かけない程度にさ、図書館で会うぐらいで」 それにこくんっと頷いた。 図書館でならまた会えるのか。 ここは私の居場所だと思っていいのか、そう改めておもった。 「あ、あとさ、一つ聞きたいことがあるんだけど」 「はい」 なんだろう? 隆二さんが聞きたいことって。 そう思ってしっかり顔を向けると、 「あーいや、まあ、どうでもいいことなんだけどさ」 がしがしと片手で頭を掻きながら、ちょっと面倒くさそうに、 「ピクルスって、スーパーでも売ってるもん?」 「え?」 ピクルスって、あのピクルス? 食べ物の? ハンバーガーとかによく入っている、あの? 「え、わかんないですけど。売ってるんじゃないですか?」 前、瓶詰めのを見たことがあるような気がする。 「そっか。じゃあ行ってみるかな」 呟く。 それにしても、隆二さんとピクルスってなんだか変な組み合わせ。失礼だけど、似合わない気がする。 「……なんで、ピクルスなんですか?」 「真緒がさ」 ほら、また真緒さん。 「ピクルスって何? とか聞いてくるから。説明するより、食べさせた方がはやいかと思って」 「……なんでピクルス?」 「読んだ絵本に載ってたんだと。なんか、虫が色々食べる話」 「……ああ、『はらぺこあおむし』」 あおむしが色々食べていって、最後は綺麗な蝶になるお話。鮮やかな色彩が目を引く一作だ。 そういえば、あおむしは土曜日にチョコレートケーキとかアイスクリームとか、色々とたくさん食べていた。よく覚えてはいないけれども、ピクルスぐらい食べているかもしれない。 「さすが、よく知ってるなー」 隆二さんが感心したように頷いて、それになんだかむず痒くなる。 それにしても、だからってわざわざ買いに行こうとするなんて。 それで甘やかしていないというつもりなのだろうか? 隆二さんは本当、真緒さんのだるまどんだ。うらやましい。 「じゃあ、俺帰るわ」 会話を終えると、用が済んだと言わんばかりに隆二さんが歩き出す。 今日は図書館に用がないのに、わざわざ来てくれていたのか。 私に会いに。 申し訳ない気持ちと、嬉しさがごちゃまぜになる。 それから、せっかくふたりっきりで会えたのに、もう別れてしまうことが悲しい。真緒さんがいなくて、二人で会うことなんて、もうないかもしれないのに。 「あのっ」 声をかけると、隆二さんは立ち止まって振り返った。 声をかけたものの、どうしたらいいのかわからずに、口ごもってしまう。 「どうした?」 私があまりにも黙っているから、数歩戻ってきてくれた。 この人は、優しい。真緒さんのおまけ程度にだけど、私に優しさをくれる。本当は、それで十分のはずなんだ。私になんか身に余ることなんだ。 だけど、少しもらったら、全部欲しくなる。 あの無条件の優しさを、全部私に向けて欲しくなる。 そう思っていたら、不思議そうな顔をした隆二さんが、用がないなら帰るけど? なんて呟くから、慌てて、 「あ、あの、この前の人、誰ですか!」 言葉を発したのがそれだった。 「この前?」 「真緒さんに怪我させちゃったから、お詫びに行こうと思ったら、女の人、いて。金髪の」 何を問いつめているのか、とは自分でも思ったが、聞きたかったことは事実だ。 「ああ、恵美理」 隆二さんは納得のいったように、一つ頷いた。 恵美理。呼び捨てにされた名前に、心臓がきゅっと縮まる。 ああ、この人が、真緒さん以外に呼び捨てする女のひとがいるなんて。 「俺と真緒の共通の知り合いで、あの家に住むにあたって色々世話になったんだ」 お世話になった人。それなら、仲良くしていても不思議はない。 そうは思うものの、納得できない私がいる。 だって、考えてみたら、私、隆二さんに名前を呼ばれたことが、一度もない。名字ですら。 ああ、そもそも、隆二さんは、私の名前を知っているのだろうか? 全然近づけない。こんなに近くにいるのに。足りない、届かない。 だけど、欲しい。 「……駄目ですか?」 なんだか色々な感情がないまぜになって、気がついたら言葉を発していた。 「え?」 小さな声で呟いた言葉に、聞き取れなかったのか、隆二さんが少し身をかがめる。 「私じゃ、駄目ですか」 「は?」 不思議そうな顔をする隆二さんの手を掴むと、背伸びする。 顔を顔を近づけると、 「私の、魔法使いになってください」 そう呟いて、隆二さんの唇に自分の唇を押し付けた。 ……目測誤って、どっちかって言うと顎だったけど。こんなときにも決まらないなんて。 顔を離すと、隆二さんは、びっくりするぐらいの無表情になっていた。 怒っているのでも、呆れているのでも、ましてや照れているのでもない、無表情。 それを見ていたら、すっと感情が落ち着いた。 とんでもないことをした。まっさきにそう思った。 冷静になると、恥ずかしくて、顔に血が全部あつまりそう。それでも、私は視線を逸らさないでいた。 「……俺は魔法使いなんかじゃない」 しばらくの沈黙のあと、隆二さんがそう吐き出すようにして言った。 「真緒さんの、魔法使いです」 ひるみそうになる気持ちを抑えて、そう言う。 「それをやめて、私の魔法使いになってください」 「意味がわからん」 「私にも、魔法をかけて、ここから連れ出してください」 隆二さんが、ほんの少し顔をしかめた。 「……ああ、そういうことか」 それから、少しの間のあと、何に納得したのか、そう呟くと、ゆっくりと溜息みたいな息を吐く。 「真緒がなんて言ったか知らないが、俺は魔法使いなんかじゃない。こんなこと自分でいうのもどうかと思ったけど、俺と真緒の関係を表すのに、同居人よりも、もっと適切な言葉がある」 そこで、一呼吸置くと、 「共依存だよ」 ゆっくりと、言い聞かせるようにそう言った。 「共依存?」 「お互いがお互いによりかかってる。もしも、俺が真緒に魔法をかけていたのだとしても、それと同じぐらい真緒が俺に魔法をかけている。俺が真緒を助けたんだとしても、その分、真緒が俺を助けたんだ」 そうして、なんだか困ったように笑う。 「……落ち着いて、周りをちゃんと見た方がいい。あんたのことをちゃんと考えてくれているのは、あんたを助けてくれるのは、俺じゃない。絶対に」 「そんなのっ」 そんなの、いるわけがない。いるなら、どうして、こんなに苦しいの? 「渦中にいると気がつかなくても、どこかに出口はある。だから、ちゃんと周りを見た方がいい。あんたから動いて周りを見回せば、手はあるはずだ。じゃないと、せっかくの差し伸ばされた手も気がつかない。それは、お互いにとって不幸だ」 いつになく、しっかりした口調で、はっきりと隆二さんが断言する。 そんなこと、本当にあるというの? 私がよっぽど酷い顔をしていたのだろう。ふっと空気が抜けるみたいに隆二さんが笑った。手の甲で軽く、私の頭を一度叩く。 「乗りかかった船だ。あんたの魔法使いとやらには、天地がひっくりかえってもなってやれないが、鼠ぐらいにはなってやる」 「……鼠?」 「いるだろ、確か。シンデレラに。助けてくれる、友達の鼠が」 「……ああ」 曖昧に頷く。 それから、ああ、でも友達とは思ってくれているのだな、と思った。 やっぱり、名前は呼んでくれないけど。 「今日のことは忘れるから」 「……はい」 それはそれで、悲しいけれども、きっとそっちの方がいい。一時の、気の迷いだと思ってもらった方が。 「また、そのうち。図書館で」 「……はい」 小さく笑うと、隆二さんは去って行った。 私の魔法使いになってくれなかったあのひとが。 だけど、私はやっぱり、貴方に魔法使いになって欲しかった。 なんだか泣きそうになるのを、唇を噛んで堪えた。 |