あの日、真緒さんへ残した手紙の最後には、こう書いた。「連絡先は渡しません。いつか、探してください。本屋さんで、私のことを」と。 随分と夢見がちなことを書いた。 あのときは、すぐにでも次の絵本を書くつもりだったのだ。 だけれども、東京に戻ってきて、前からの友達や母との生活は、あっちでの暮らしに比べたら満ち足りたものだった。 私の絵本を書く原動力は、体の奥に押し込めてしまった、屈折した気持ち、だったので、そうすると絵本を書く意味が見出せなくなってしまった。 母の手伝いをして、学校に行って、友達としょうもない話をして、やがて高校受験がはじまって。 そういう満ち足りていて、忙しい日々を繰り返して行くうちに、情けないことにすっかり忘れてしまった。 真緒さんとの約束を。 思い出したのは、大学に入ってからのことだった。 「そういえばさ、あんたがきてたときに仲良くしてた人とは、そのあと連絡とか、とってんのー?」 実家の私の部屋で、たわいもない話をしていたとき、澪がふっと思い出したかのように言った。 以前とは反対に、今、澪が私の家に住んでいる。大学進学と同時に東京にでてきて、そこで一人暮らしでもすればいいものの、なぜか、 「あのときのおかえしー。っていうか、しかえし?」 という言葉とともに、転がり込んで来たのだ。 まあ、楽しいからいいのだけれども。 中学の時よりも大人になった私達は、以前よりも良好な関係を築けている。 もっとも、お互いに意地っ張りなところは変わらないんだけれども。 「あー」 正直な話、澪のその言葉で、久しぶりに二人のことを思い出した。 「全然とってないや……」 「そうなのー? 不義理な女ね」 「……不義理って」 でもまあ、そうかもしれない。あれだけ色々、お世話になっておきながら。 「……でも連絡先交換してないしなぁ」 「そこはしときなさいよ」 「あの頃は、またすぐに会えると思っていたから」 だから、連絡先を訊かないことになんの疑問も抱かなかったし、敢えて訊かないことをかっこいいとも思っていた。 「……でも、なんか不思議だよね」 澪がぽつり、と言葉をこぼす。 「え?」 「だって結局、あの人達が何者なのか、全然わからないままじゃない?」 「それは」 言い返そうとして、何も言い返せないことに気づいた。 そういえば私は、あの人達のことを全然知らない。 軽く生い立ちは聞いたけれども、どうしてあの場所に住んでいるのかとか、日々の生活費とかはどうしているのかとか、全然知らなかった。 あの頃は、そういうことに興味が向かなかったから。 「おとぎばなしに出てくる、魔女とかそういう感じ」 澪にしてはメルヘンチックな発言に思わず吹き出す。 本人にも自覚はあったのか、なによぉーっと頬をふくらませた。 「ううん、澪の言うとおりだなーって思ったの」 主人公にそっと助言をくれる、魔女や賢者たち。今から思うと、あの人達は私にとってそういう役割をしてくれていた。 あのころの私を支えてくれたし、結果的に澪や叔母さんとも、上手く行くように手助けしてくれた。 そう、直接、わかりやすい魔法をかけてはくれなかったけれども、結局のところあの二人は私の魔法使いだったのだ。 「現代版のおとぎばなしでは、ああいう感じになるのかもねー」 「ふらっとしたニート風?」 「……私が敢えて、明言をさけたのに」 苦笑い。 ああでも、どうしているんだろうか。元気だろうか。 もうだいぶ、おぼろげになってしまった二人の姿を思い浮かべる。 ただ、自信を持っていえるのは、今でもきっと二人仲良く一緒にいるのだろうな、っていうこと。 その未来は、上手く想像できた。 「……書こうかな」 「なにを? 手紙?」 「んー、そんな感じのもの」 「でも連絡先、知らないって言ってたじゃない」 そういう澪に、悪戯っぽく笑ってみせる。 「公開お手紙、だよ」 くすくす笑いながらそう言うと、 「はぁ?」 澪は心底、不思議そうな顔をした。 「そんな感じで、久しぶりに絵本を書いてみようと思ったんです。丁度、大学が夏休みに入るところで、時間はたっぷりありましたから」 言いながら私は、手元にある絵本の表紙をなでる。 「その絵本を新人賞にだして……。まあ、あれは箸にも棒にもひっかからなかったんですけど」 苦笑する。 「そんな上手くはいかないですよねー、人生。でもなんとなく、あれをかきあげたときは、これで二人に連絡がつくぞ! って根拠もない自信であふれていたんです。それなのに、連絡つかないからがっかりしちゃって。そこからはもう、一気でしたね」 「一気に、かきあげた?」 インタビューアーの女の子の言葉に、大きく頷く。 「それも、何作も何作も。止まらなかった。楽しかったんです」 空白の期間をうめるように、物語を書いていった。 悲しい思いを描くためではなく、楽しい気持ちで描いていった。 楽しかった。 「なかなかいい結果は出なかったんですけど、絵本を書くコツをつかんだような気がしてきたときに、ああ、じゃあ、あれを書こうかなって思って。昔書いて、誰にも読まれることのなかった、黒猫ちゃんの物語を、もう一度書いてみようかなって」 膝の上の本を見て、小さく微笑む。 黒い猫がこちらを見て笑っていた。 「あの時の作品とはちょっと変えて、あの二人をモデルにしたんです。それで今回、こんな賞を頂いて、出版することができるなんて、本当、運命を感じちゃいますよね」 インタビューアーの女の子も、すごいですねーなんて声をあげてくれる。 「『黒猫マオちゃんとおじいさん』ですね、今回の」 「はい。好奇心旺盛で、色々なものに興味がある黒猫のマオちゃんと、それに振り回されながらもあたたかく見守るおじいさんのお話です。おじいさんなんてしちゃったから、怒っているかもしれないけど」 おじいさんっていう年はないだろう、なんて嫌そうに呟く隆二さんと、でも隆二はおじいちゃんっぽいもんねーなんてからかう真緒さんの姿が目に浮かぶ。 「でも、なんだかちょっとおじいさんみたいだったんです。優しい田舎のおじいちゃんっていう、感じで」 「すっごく優しいですよね、おじいさん。あんまりにも酷い悪戯をしたときは怒るんだけれども、それも心配しているから怒っていて、とっても優しい」 「そう、すっごく優しかった」 「ちょっとカレシにしたかったです」 内緒ですけど、と女の子が笑う。 「あー、わかりますわかります」 それに私も強く頷いた。それから、 「……もしかしたら、あれ、初恋だったかもしれないなー」 小さく呟く。 「え?」 何かをメモっていた女の子が首を傾げる。 「いいえ、なんでもないです」 気を取り直して微笑んだ。 「あれ以来、会っていないけれども、きっとこの本を見たら気づいてくれると思います。のんびりした人達だから、すぐにっていうわけにはいかないと思うけれども……。それでも、約束どおり、感想の手紙がくるのを、今か今かと待っているんです」 ふふ、っと私は微笑んだ。 End. |