一通り泣いてすっきりしたらしい。
 アリスは泣きはらした顔をぐいっと乱暴に毛布で拭うと、
「今のはなしね! 忘れないさいよっ!」
 いつもの調子で言い放った。
「はい、わかっていますよ、お嬢様」
 だから銀次もいつもの調子で答えた。それになんだかアリスは一度膨れっ面をしてから、
「シュナイダー、呼んでくる」
 それだけ言って部屋を出て行った。
 まったく可愛げがなくて、可愛らしい。ほんの少し口元が緩むのを、
「おはようございます、銀次さん。随分と楽しそうですね」
「優里さん」
 アリスの代わりに部屋に入ってきた優里が見咎めた。
 慌てて顔をひきしめる。
「本当、随分楽しそうですね。あんなに秘密にしろと優里達に強要していて、あっさりアリスお嬢様に正体がばれてしまったのに随分と楽しそうですね。優里達を出し抜いて鈴間屋拓郎に会いにいって、まんまと酷い目に遭わされたのに随分と楽しそうですね。アリスお嬢様の前で倒れて、アリスお嬢様に心配をおかけしたのに随分と楽しそうですね」
 次から次へと言葉がぽんぽん放たれる。
「あの、優里さん、何か怒ってます?」
 まあ、いつものことと言えばいつものことだけれども。
「ええ」
 優里は花の微笑で頷いた。
「なぁにが、アリス、ですか。アリスお嬢様を呼び捨てにしていいと思っていらっしゃるのですか?」
 笑ったまま呟かれた言葉に、動きが止まる。
「……聞いて、ましたか?」
 そっと尋ねると、微笑んだまま頷かれた。怖い。
「いえ、あれはですね」
 言い訳しようと口を開き、何も言えずに口ごもる。
 あれは、なんだ?
 さっきは起き抜けでぼーっとしていた。気にしていたことを目覚めてすぐに確認しただけで、今考えるとすごいことを口走った気がしてきた。めちゃめちゃため口もきいたし。
「あー」
 意識が冷静になれば冷静になるほど、反省しか浮かんでこない。
「でもまあ、真っ先にアリスお嬢様のことを気遣ったことは、優里は評価します」
 そんな銀次に、優里が思いがけず優しい声で言った。
「え?」
 問い返そうと体を起こそうとして、やっぱりだるくてまたベッドに舞い戻る。
「大人しく寝ていらっしゃればいいんです、銀次さんは。無理をしてアリスお嬢様を悲しませたら怒りますよ」
 優里が冷たく言う。
「はい、すみません……」
「ですが、そんな状態なのに、ご自分もつらい状態なのに、アリスお嬢様のお気持ちを真っ先に気遣ったこと、それを優里は評価します」
 優里が淡々と言った。まったく笑っていないが、さきほどの怖い微笑に比べればよっぽどましだ。
「銀次さんにしては、英断だと思います」
「……ならいいですけど」
 あれで気遣ったことになればいいが。
「本当にまったく鈴間屋拓郎は、とんだ下衆野郎ですね」
 流れるように優里が続ける。
「それは、……本当にそうですね」
 昔感謝していたことなんて、さすがに今回のことで抹消したい過去になった。自分を実験体として扱うならまだしも、なんでアリスにまであんなことを言うのか。
「まったくもう」
 優里が艶やかにため息をつき、
「もうすぐシュナイダーさんがいらっしゃいます。ついでに、先日行った健康診断の結果ももっていらっしゃると思います」
「……ああ、はい」
「もうアリスお嬢様にばれてしまったんです。どうせなら全てきっちり、つまびらかにすべきだと思いますよ」
「……そうですね」
 廃工場に向かう車内での出来事を思い出す。隠し事をしていたこともばれていたようだ。さぞかし、不安な思いにさせていただろう。
「そうします」
「ええ」
 優里は頷くと、くるりとその長いスカートの裾を翻して、ドアの方を向いた。
「それでは優里は、紅茶でもいれてきますね。長いお話になるでしょうし、喉乾いていらっしゃるでしょう?」
「ああ、はい、ありがとうございます」
「銀次さんのためではなく、アリスお嬢様のためですけれどもね」
 そこで優里は妖艶な笑みを浮かべて、部屋をあとにした。
「……笑うポイントおかしいだろ」
 残された銀次は、とりあえずそうつっこんでおいた。


「シュナイダー」
 食堂の隅で、白衣の男達と話合をしていたシュナイダーを見つけると、アリスはそう声をかけた。
「お嬢様」
 シュナイダーは顔をあげると微笑み、それから少し眉をひそめた。
「大丈夫ですか?」
「なにが?」
 間髪入れず答える。泣きはらしたあとの顔のことには、触れてくれるな。
 有能な執事長は全てを察したらしく、なんでもありません、と微笑んだ。
「白藤が、起きたんだけど」
「そうですか、わかりました」
 では行きましょうか、と立ち上がるシュナイダーに、
「それ、なに?」
 彼が持つ紙を持って尋ねる。
「……先日、銀次くんに対して行った診断の結果です」
「白藤に?」
「ええ。Xがどこまで浸食しているのか、など」
「結果でたのね? 教えて」
 アリスはじっとシュナイダーを見つめる。シュナイダーは少し悩むような間のあと、
「まあ、どうせあとで銀次くんに報告するときに、お嬢様もその場にいらっしゃるでしょうしねぇ」
 誰かに言い訳するかのように呟くと、傍らの白衣の男性を促した。あまりみたことないが、研究担当なのかもしれない。
「検査結果ですね。まず、数値ですが」
「まって。医学的なことはよくわからないの。結論だけ教えて。……白藤は、元に戻るの?」
「残念ながら我々ではなんとも。努力はしますが」
「Xの浸食具合は?」
「……正直、今のままのペースですと、あの二カ月といったところでしょうか」
「そう」
 アリスは頷くと、
「……つまり、あの大バカくそ野郎をとっちめなきゃいけないっていうことね」
 苦々しげに呟いた。