X、と呼ばれる生命体が現れたのは、半年程前だった。
 それはおおよそ、人間ではあり得ない形態をしていた。そして、これまで発見されているどのような動物とも違う形をしていた。
 最初に現れたXは、やや蜘蛛に近かったと聞いている。
 ただ、大きさが人と同じぐらいあった。
 新宿の駅前に突然現れたXは、口から吐いた糸を道行く人々に絡めはじめた。糸が巻き付けられた人々は、干涸びるようにして、亡くなった。
 駆けつけた警官では手も足も出ず、すったもんだの挙げ句出て来た自衛隊も、あまり役に立たなかった。彼らが持つ武器、拳銃の類いがXには効かなかったからだ。
 何十人も亡くなり、日本は滅びるのかとテレビ中継を見ていたアリスは思った。こんなものを放送していいのか、盛大などっきりなのではないのかと、あの時思った。
 そんなとき、現れたのが、今ではメタリッカーと呼ばれるものだ。
 銀色の光るボディーをした、人型のもの。そう、今テレビでやっている、特撮ヒーローにビジュアルは少し似ている。
 唖然としている人々の前に颯爽と現れたメタリッカーは、Xを簡単に倒した。殴る蹴るのあと、なんだか光る剣みたいなもので。
 我にかえった警官と自衛官達が、メタリッカーも取り押さえようとした時には、来た時と同じぐらい颯爽とその場を後にした。
 事情の説明とか、なんにもなかった。
 そしてXは、それからも何度も現れた。それは毎回、姿形が異なっていた。一番最初の蜘蛛と同じようなかたちのものは、その後現れなかった。共通しているのは、明らかに化け物の形をしていて、人を襲うということだけだ。
 そしてそれらは、何故か、日本の東京にばかり現れた。
 東京になにがあるのか。それは定かではない。
 政府は主要な施設を東京以外に移すことや、住民の避難を考えているらしい。ただ、上の方で話し合いがごたついて結論はまだ出ていない。受け入れ先やなにやらで。
 受け入れ先なんて、逃げてから考えればいいのに、とアリスは思う。思うが、アリスだって未だに都内に住んでいる。仕事がしやすいからというのと、やはり今ひとつ危機感がないのだ。
 化け物の存在は作り物じみている。アリスが見たのはテレビ映像だけだ。どうしてだろう、イマイチ、テレビのどっきりだったのではないか、という疑問が払拭されない。
 そうしてもう一つの理由。それはメタリッカーの存在だ。
 最初こそ、何十人も亡くなったが、その後Xの被害者は殆ど出ていない。それはどこからともなく、メタリッカーが現れ、Xを倒すからだ。
 被害が出ていないと、危機感があらわれない。
 いつまでも、全てが偽物のようだ。

 だから、バードマンが終わった後、予定を変更して五分間だけ挟まれたニュース番組を見ても、危機感は湧かなかった。
 それはアリス以外の人間もそうだったのだろう。だって、テレビ局だって速報を流したあとは普通にバードマンの放送を続けていたし、メタリッカーがXを倒したというニュースだって五分で終わり、今は魔女っ子たちが画面上ではしゃいでいる。
 今日現れたXも、メタリッカーに倒されたらしい。
 メタリッカーという名称がいつ付いたのかは覚えていない。しかし、気づいたらマスコミ各社はメタリッカーと呼ぶようになり、それは世間にも浸透していった。
 メタリッカーへの世の中の扱いは、正義の使者、だ。
 未だ正体もわからないが、決して人間には手を出さず、Xだけを倒している。彼、あるいは彼女は、正義の味方だ、と人は言う。
 特に、警察も自衛隊もXに手出しできない以上、メタリッカーだけが頼れる存在だ、という気持ちもわかる。
「でもねぇー」
 メイドの優里が持って来てくれたサンドイッチを一口かじりながら、小声でアリスはぼやいた。
「何が、でもねぇーなのですか?」
 そして後ろから急にかけられた声に、びくりとする。
「し、白藤!」
 振り返ると、いつの間に後ろにいたのか。銀次がびしっとそこに立っていた。
「さきほどは、許可無く中座させて頂き、申し訳ありませんでした」
「いや、それはいいんだけど」
 言ってアリスは、いつもと同じように立つ彼を見る。いつもと同じように立っているからこそ、その顔色が悪いのが目につく。
「とりあず、座ったら?」
「いえ、結構です」
「座りなさい。命令です」
 睨みつける。そこまですると銀次は、仕方ないお嬢様だ、とでも言いたげな顔をして、
「それでは、失礼します」
 アリスの後ろにあった椅子に腰掛けた。
 仕方ないのはどっちだ。くだらない意地をはって。
「お腹痛いの?」
「いえ、もう平気です」
「そー? 変な物でも食べたの?」
「いえ、神経性のものですかね。我が侭なお嬢様に振り回されていますから」
「そーそれは大変ねー」
 振り回されているのはどっちだと思っているのやら。
 そんなことを思いながら、サンドイッチをまた口にする。
「それで、何が、でもねぇーなのですか?」
 白藤が問いかけてくる。
 そんなにそれが気になるのか。そんな前の話、忘れていた。自分の思考回路を遡り、
「メタリッカー」
 でもねぇーの正体を、再びひっぱりだしてくる。
「みんなが頼るのもわかるんだけれども、イマイチ何者だかわかってないのにいいのかなーって気がするのよねぇ」
 そうやって信じて裏切られたらどうするのか。そもそも、頼り切っていないで、Xに対抗するなにかを政府は探しているのか。メタリッカーが現れなくなったら、人類はあっという間にXに殲滅されるのではないのか。その心配を、誰かちゃんと考えているのだろうか。
「メタリッカーは正義の味方ですよ」
「白藤もそういうこと言うのね」
 なんでもないように言う銀次が意外で、少し笑う。
「まあ、あとはあれね。メタリッカーっていう名前がねー」
 言いながら、テーブルの上に置いてある携帯端末に手を伸ばす。それを操作して、メタリッカーの画像を検索する。
「確かにメタリックだけど」
 見た目が。
「だからって安直じゃないかなって」
「まあ、他にもメタルヒーローだのメタルダーだの色々候補はあったそうですが、却下されたそうですよ。版権的に」
「……世知辛い世の中ねー」
 しみじみと呟く。
「これってさ、ちょっと似てるよね」
 メタリッカーの頭部の写真をみながら呟く。
「なににです?」
「寝台特急カシオペア」
 アリスの言葉に、銀次が、ああと笑う。
「そうですね。銀色で、頭が丸くて、目の部分が窓のようになっているところが、似ていますね。いつ頃でしたっけ? あれに乗ったのは。まだ、旦那様がいらっしゃったころですから」
「くそオヤジの話はしないで」
 銀次の言葉をアリスの強い声が遮った。
「不愉快だから」
 続けられた言葉に銀次は少し黙ってから、
「失礼しました」
 いつものように慇懃に頭を下げた。
 それからアリスは、黙って残ったサンドイッチを口にした。銀次は何も言わなかった。
 アリスが、サンドイッチを全て食べ終わったころ、
「それでお嬢様。今日のご予定はどうなっていらっしゃいますか?」
 そっと銀次が尋ねてくる。
「今日は出かけないから」
 それにアリスは冷たく答える。
「おや、引きこもりですか?」
「デスクワークが溜まってるの」
 うんざりとしたようにアリスがため息をつく。
 そして振り返る。
 ポーカーフェイスの銀次の顔。その顔色がやはりまだ悪いのを見て、眉をひそめる。
「だから運転手のあんたの出番はないの。寝てれば?」
 そのまま冷たく告げると、
「それでは、シュナイダーさんの手伝いをしていますので、何かありましたらお呼びくださいね」
 いつもの声色で言われた。
 だから寝てろつーの。人の気遣いをなんだと思っているのか。シュナイダーにも根回ししておかないと。
 どこまでも人の好意を素直に受け取らない銀次に腹がたつ。わかっている癖に。
 だから、こちらもちょっと意地悪をしてみることにした。
「ところで白藤」
「はい?」
「髪の毛、はねてるわよ」
 そう告げると、ばっと慌てたように銀次が両の手で髪の毛を押さえた。それを見てアリスは、くくっと楽しそうに笑った。