鈴間屋拓郎の逮捕から、一週間が経った。 優里の兄である朝見刑事局長を通じて、アリスは国といくつかの交渉をしたらしい。残ったXの研究データなどとひきかえに、鈴間屋にかかる被害は最小限になるように圧力がかかったようだ。 首謀者である鈴間屋拓郎の名前はニュースにあがってこない。ただ、Xについては収束したようだとの、発表があっただけだ。 「まあ、会社がまったくの無傷ってわけにはいかないけどね。裏では色々とペナルティ課されたし」 と、アリスは肩を竦めた。 「それに、名前がでてこないのは何も取引があっただけじゃないから」 庭のベンチ。最初に二人が会話を交わした場所に、アリスと銀次は居た。 「Xのこととか、すべてを公にするわけにはいかないみたい。Xの物質がもう完全にこの世にない、と決まった訳ではないし、模倣犯がでたら大変だしそれに」 「世間が信じるとは思えない?」 言葉を続けると、わかっているじゃない、とアリスが笑った。 それから、表情を引き締めて続ける。 「そんなわけで、あのくそ親父の取り調べはまだ終わらないみたい。あいつが実験に使った資料は早くこっちに寄越せって言ってるんだけど。あれがあれば、貴方を元に戻す方法がわかると思うのに。……ごめんなさい。まだ、貴方を元に戻せない」 「大丈夫ですよ」 眉を下げるアリスに、柔らかく微笑んでみせる。 鈴間屋拓郎が逮捕されたということは、これ以上Xが現れないということだ。それならば、これ以上進行はあり得ない。それならば、多少待つぐらいなんでもない。 ……いや、少しは問題があるか。 ったく警察とろいのよ、なんて呟いている隣の少女を見下ろす。 元に戻らないと、言いたいことも言えやしない。 銀次は少し悩んでから、意を決して呼びかけた。 全てが終わったら、そうしようと思っていたのだ。 「アリス」 はじかれたようにアリスが顔をあげる。目が驚愕に見開かれる。 「お嬢様」 その勢いにびっくりして続けた。ひよった。 アリスが途端にうんざりしたような顔をする。 「なに余計なものくっつけてんの?」 「呼び捨てにするなとおっしゃったのはお嬢様です」 「あれはっ! あのときのことは忘れなさいと言ったでしょうっ!」 「失礼しました。それで、元に戻ったら、言いたいことがあります」 「……今言って」 「戻ったらです」 「命令」 「勤務外のことですので」 「今言って」 アリスは真っすぐに銀次の瞳を捉えた。 「お願い」 囁くような声。その小さな唇は、震えるように続けた。 「……銀次」 「……っ」 なんでここにきて命令じゃなくてお願いなんだ。なんでそこで名前で呼ぶのだ。計算なのか。天然なのか。どっちにしろ、たちが悪い。極悪だ。 まっすぐに瞳をとらえられて動けない。縫い付けられたように。 ああ、言ってしまおうか。今言ったところで、誰が困るわけでもないじゃないか。 「……俺、は」 かすれたような声が喉から漏れる。 「アリスのことが……」 アリスが紅潮した頬で、じっと銀次の唇の動きを見つめ、 「お嬢様、ケーキが焼けましたよ!」 空気を全く読まない声が、その均衡を破った。 「おやお邪魔でしたな」 まったく悪びれずに言ったのは、パウンドケーキを片手に微笑む、執事長だった。 またいいところで邪魔しやがってという気持ちと、ああ助かったという気持ちを銀次は抱く。 しかし、アリスが抱いたのは前者の気持ちだけだったようだ。 かぁっと顔を真っ赤にして、 「んもー! どうしていつもいつもシュナイダーは!」 流石に今回はキレた。 拳を握りしめ怒るアリスに、飄々と笑ってごまかすシュナイダー。そんな二人のやりとりを見て、銀次は久しぶりに心から笑った。 ああ、なんだか今、とっても平和だ。 「ちょっと、白藤もなんで笑ってるの!」 見咎められて、アリスの怒りの矛先がこちらに向かう。 それをのらりくらりと交わしながら、軽く手を握って開く。大丈夫。まだ人間だ。 だからまだ、彼女の傍に居られる。 これからも、彼女の傍に。 End. |