お客様がいなかったのをいいことに、少し早めに店を閉めると、外階段にこしかけて、峯岸が帰ってくるのを待った。 「あれー、三島ぁ?」 しゃーっと自転車を漕いで、峯岸が帰ってくる。 「どうしたの、そんなところでー?」 かちゃかちゃと自転車を止めながら、峯岸が続ける。 「峯岸を待ってたの」 「……は?」 変な顔をする峯岸。 「昼間、峯岸幸子さんがいらっしゃった」 その顔が、くしゃりと歪んだ。怒りとも悲しみともとれる顔だった。 「あのババア、なんだって?」 「一緒に暮らすつもりはない、連れ戻されないようにがんばれって」 「……うざっ」 言われなくても、あんたのいる家になんか帰るかよ、と峯岸が毒づく。 「……峯岸」 座ったまま、目の前に立つ峯岸と視線を合わせる。 「バイト先、潰れるって本当?」 峯岸は一瞬、驚いたような顔をして、 「それも、あのババアが言ってた?」 悲しそうに肩をすくめた。 ああ、やっぱり。本当なんだ。 外ではなんだから、と私の家に入る。 峯岸幸子は、別になんの意味もなく、ふらっときたわけではなかった。峯岸のバイト先が閉店するという話を聞いて、危機感を抱いてやってきたのだ。峯岸が、お金がなくなって戻って来るのではないかと。 普段、電車を使わないから、駅ナカにある峯岸のバイト先の現状なんて知らなかった。 「だからね、結局あの店長がダメダメだからいけないの」 私が出した紅茶を飲みながら、峯岸が嫌そうに話はじめる。 パンの発注をミスして、ロスばっかりだす店長。 「もともと、あの駅改修工事の予定があるから、二年後には閉店しなきゃいけなかったんだけど。あんまりにも、売り上げが悪いから、早期撤退っていうことになっちゃったわけ」 「いつまで?」 「年内」 まだまだ時間あるといえばあるし、ないといえばない。 「確かに、親父殿からメールは来てたんだ。バイト先潰れるなら一回戻って来ないかって。絶対にお断りだって返したけど、やっていけるのか、って返って来た」 それから峯岸に貯金は、絶対にない。 「峯岸幸子によると、峯岸が次のバイト先見つけるなり、絵の仕事見つけるなり、なんらかの結果を示さないと、お父様は峯岸を無理にでも連れ帰るってよ?」 「……するわねー、あの親父殿は」 はぁ、と一つ溜息。 「ばれちゃったから言うけどさ、別にあたし、絵が反対されたからってだけで家を出たわけじゃないの。そりゃあ、それも大きいけど。それよりも、あの自分の娘と五つしか変わらない女と再婚して、あまつさえその女と娘を同居させようとする、親父殿の無神経さに切れたわけよ」 そりゃあ、切れるわ。 「再婚するなとは言わないけどさ、もうちょい考えろと思うわよね」 「……それは、あのひとの方も思ってるみたいだった」 「でしょうね。あたし、あの女のこと嫌いだけど、可哀想だと思ってるんだわ。いきなり、五歳しか変わらない娘の、一応母親になって、旦那は娘のことばっかり気にしててって、最悪じゃない?」 親父殿はしょうもないのよ、と続ける。呆れているけれども、父親のことは嫌いではないみたいだった。ただただ、本当に呆れて、嫌気がさしているのだろ。 「次のバイト先探したりしてるの?」 「んー。……デザフェス終わってからでいいかなーって」 「……大丈夫なの、それで?」 終わったら十一月だ。年内閉店なら、一カ月しかない。 「別に、なんでもいいし」 「早く起きられないのに?」 「……うん、まあそれは」 「人見知りするのに?」 「……それは、そうだけど」 「電話一つかけるのも、面接だって嫌なのに?」 「……うん、そうなんだけどさ」 言って、峯岸は両手で顔を覆ってしまった。 「……そうなんだけど、なんでもいいっていいながら、出来ること限られているのはさぁ」 ああ、自分でもわかっているのか。 「だけど、とりあえず、今はせっかくだからイベントに集中したい。……駄目かな?」 顔をあげて、上目遣いで問いかけてくる。 「駄目っていうか……。それは峯岸の問題だけど」 なんていうか少し悩んでから、 「心配は、してる」 一番適切な言葉を投げかけた。 早くバイト先を探せと叱咤しているわけではなくて、それで大丈夫なのか、と心配しているのだ。 峯岸は、私の言葉が意外だったのか少し驚いた顔をした。それから、 「ん、ありがと」 なんだか照れたように頷いた。 「三島には迷惑かけないよ」 「そうは言うけど……。なんだったら、お家賃待ってもいいからね?」 タダにはしないけど。 「えっ!?」 峯岸が大声をあげる。 「三島がそういうこというなんて! 公私の区別はしっかりつける、お堅い人なのにっ!?」 「……私のことなんだと思ってるわけ?」 否定はしないけど。 「だってほら、家賃は店とは関係ないし」 私が公私の線引きをしっかりしようと思っているのは、Insulo de Triのことだ。あれは、他の作家さんやお客さんの手前、峯岸や美作さんだからって特別扱いしないように気をつけている。……ちょっとしているけど。 だけど、家賃は私と、峯岸との問題だ。第三者に口を挟まれる筋合いのものではない。 ああ、美作さんは同じ条件だから、美作さんに文句言われるのならば仕方ない。峯岸を特別扱いされていると、美作さんに言われたら考えよう。だけど、美作さんはそんなこというひとではないし、もし美作さんがなんらかの事情で収入が厳しいのならば、私は同じように提案しただろう。 なぜならば、 「私達、友達じゃない?」 言ってから、もし峯岸がそう思ってなかったらどうしよう、ということに思いついた。なに、勝手に友達扱いしてんのよ! とか言われるかも。 恐る恐る峯岸の顔を見る。峯岸はなんだか、怒ったような無表情だった。ああ、やばい、やてしまったかもしれない。 「……とも、だち?」 初めて聞いた言葉かのように、峯岸が復唱する。無表情で。怖い。 「あ、あの、峯岸」 とりあえずなんか言おうと慌てて口を開くも、 「……峯岸?」 沸騰したやかんのように、急速に赤くなった峯岸の顔に、正直びびって言葉を見失った。え、なに。 峯岸は両手で頬を押さえると、 「三島っ!」 怒鳴りつけてきた。 「は、はい!」 「照れるじゃないの! なんで真顔でそういうこというのっ!」 きゃんきゃんと、怒鳴りつけてくる。 「え、ごめんなさ……」 ん? 照れる? 「え、照れてんの?」 「なんで確認するのっ!」 赤い顔の峯岸が噛み付くように吠える。けど、怖くない。 「ふふっ……」 「何笑ってんのっ!」 だって、なんだか可愛い。何もそんなに赤くなることないのに。 「あーもーやだ、本当やだっ!」 言うと峯岸は立ち上がった。 「とにかく、とりあえずデザフェス集中するから! あとのことはそれから考えるから! あと、来ないだろうけど、あのババアは二度とあげなくていいから! 三島には迷惑かけないから!」 人差し指をつきつけて、ぽんぽん言ってくる言葉を、 「はいはい、わかりました」 微笑んで流すと、峯岸が悔しそうな顔をした。たまには、こういう峯岸を見るのもいいかも。 「帰る!」 言って峯岸が玄関に向かうから、見送るために立ち上がる。隣だけど。 「……あと、美作がなんか言って来たら、三島から説明しといて」 靴を履きながら峯岸が言う。 「店に閉店のお知らせが出てるのは事実だから、美作もそのうち気づくだろうし。あいつ、絶対あたしには聞かないで、三島に先に聞くでしょう?」 気の使い方にうんざりするけど、とこっちを振り返る。 「ああ、そうなりそうね」 よくわかっているのね? と皮肉りたくなる気持ちを抑える。どんなときだって、私は意地が悪い。 「三島が説明してもいいな、って思うとこだけ説明しといてくれればいいから」 ドアを開けて、廊下にでる。 「それでいいの?」 鞄から鍵を出して、隣の部屋のドアをあけている峯岸に尋ねると、 「うん、三島のことは信頼している」 いつかの、美作さんを住まわせるかどうか確認とったときのようなことを言われる。 ああ、最初あったとき、どこかの珍獣みたいな警戒心の持ち主だった子が、信頼しているなんて、言ってくれるなんて。 ちょっと感慨に浸っていると、 「だってね」 ドアノブに手をかけ、少しドアを開けながら、ちょっと考えるような間を置いて、峯岸は続けた。妙に早口で。 「友達だから」 言ってから、また急に真っ赤になって、 「じゃあ、おやすみ!」 ばんっと勢い良くドアをしめて、姿を消した。 唐突な展開に驚いている間に、峯岸の姿は消えた。 事態を理解すると、笑いがこみあげてきた。ああもう、仕方のない子。 最初会ったときは、どうしようかと思ったけど、そういう峯岸の不器用なところ、嫌いじゃない。 「うん、おやすみ、峯岸」 笑い混じりにそう、隣の部屋に声をかけると、私もドアを閉めた。 「昨日来てた人、お客さんじゃないっぽかったけど、誰?」 翌日、店を開けると同時にやってきた美作さんにそう問われた。 「美作さん、よく見てますね」 思わず感心して呟いてしまう。 「コンビニの帰りに中見たら、座って話をしていたから」 「ああ、なるほど」 頷いて、そのテーブルを勧める。午前中は基本暇だ。 なんて話すかしばらく考えてから、 「峯岸のお父さんの、今の奥さんです」 少しだけ遠回しな言葉を放った。 美作さんは、しばらく考えるような間を置いてから、 「……ああ。ご両親と喧嘩して家出中、みたいなことは聞いてたけど、そういう事情もあるわけか」 納得がいったように頷いた。 「その人がなんで?」 「峯岸のバイト先、年内で閉店するって知ってました?」 「え? 知らない。最近電車乗ってないし」 やっぱり。知っていたら、その段階で峯岸に今後について訊いていただろう。 「なんだそうです。それで、峯岸の父親は峯岸を連れ戻したいけど、あの人は嫌がっているから、……まあ、峯岸も嫌がってますけど。だから、新しいバイト先探すなり、絵で結果出すなりして、峯岸父に連れ戻す口実を与えないようにしろ、とのことで」 「釘をさしにきたんだ?」 「簡単に言うと、そうですね」 「……わざわざ、三島さんに」 「会いたくないみたいでしたよ?」 まあ、峯岸もだけど。 「大変だったね、間に入って」 さらっとねぎらわれて、最初なんだかわからなかった。 「へ?」 「え、だって、一応家族間の揉め事の間に入った形になるじゃん?」 「……ああ」 言われるまで気がつかなかった。そういえば、そうだ。 「……あれ、冷静に考えるとなんで私が」 釈然としない気もする。まあ、店のオーナーで、大家だからなんだろうけれども。 急にむすっとした私に、美作さんは僅かに笑った。 「まあ、信頼されているということだね。峯岸さんに」 柔らかく言われた言葉に、なんだか照れくさくなる。ああ、こういうことか、昨日の峯岸は。 「……まあ、友達ですから」 小さく呟くと、 「それ、俺も入ってる?」 戯けたように尋ねられた。 「勿論」 頷くと、よかったと美作さんは笑った。 正直、友達以上のなにかがあるんだけれども、まあわざわざ自分から言ったりはしない。 「……じゃあ、ますますがんばらないとね」 店内に飾ってある峯岸の絵を見ながら、美作さんが呟く。 「何をです?」 「デザフェス。峯岸さんにとって、何か、いいきっかけになるかもしれないでしょう?」 ああ、そうか。絵を多くの人に見てもらえるチャンスかもしれない。 「そうですね」 一番いいのは、峯岸が望むとおり、絵で食べて行けるようになることだから。 「がんばりましょう」 私が力強く頷いたところで、かっかっかっかんっと、外階段を駆け下りる音がする。誰だか考えるまでもない、峯岸だ。 「……あの子は、また遅刻ぎりぎりで」 苦笑しながら呟くと、美作さんも同じような顔で笑った。 |