もっとも、事件のような事件があったのはあれだけだった。他は目立ったトラブルはないまま、無事、二日目の閉幕のときを迎えることができた。
 ばたばたとした二日間が終わり、三人でぐったりとしながらも、どこか高いテンションで家路につく。
 荷物を降ろし、とりあえずうちの倉庫にそれをいれると、レンタカーの返却を美作さんに任し、私と峯岸は打ち上げ用の食べ物を買いにコンビニに出向いた。
「峯岸って、二十歳過ぎてたよね?」
「このまえ無事なったよー。っていうか、お祝いしてくれたじゃん」
 峯岸が唇を尖らせる。
「一応確認しただけだってばー」
 言いながら、お酒を買い込む。
 私自身、あまり飲む方ではないが、やっぱり今日は特別だ。
「美作さんって、飲むのかな?」
「しらなーい」
 ビールはいやだ、カクテルがいい、この店種類が少ないと言いながら、缶カクテルを私がもつ籠に放り込んでいた峯岸が、どうでもよさそうにいった。
 よくわからないから適当に買い込む。
「っていうか、これじゃあお腹空くよね? ピザでもとる?」
 お酒とつまみしかない籠をみて呟くと、
「あ、そうだねー。あたし、頼むよー」
 いつにない積極性をみせて、峯岸がいった。ぽちぽちとネットで頼む峯岸を尻目に、会計をすませる。
「みーしま」
「んー」
「誰の家に届けてもらう?」
「あー」
 考えてなかった。
 少し考えてから、
「うちでいいよ」
 そう、答えた。
「りょうかーい」
 峯岸が答える。
 自分でいうのもどうかと思うが、三人の中で家が一番片付いているのが私だ、という自信がある。
「適当に頼んじゃったよー、クワトロだけども」
「うん、ありがとう」
 二つにわけてもらった袋の、軽い方を峯岸に押し付け、家に戻る。
 二人でだらだら歩いていると、
「みーしま」
 いつもと同じかるーい感じで、声をかけられた。
「なーに」
「今回は本当に、どうもありがとねー!」
 殊勝な、それでいて軽い峯岸の言葉に、小さく微笑む。
「こちらこそ。楽しかった」
 楽しかった。本当にそれにつきる。
「えへ、ならよかったー。無理に誘ったかなーってちょっと後悔してたんだ」
 ぶんぶんと袋を振り回しながら峯岸が答える。気にしていてくれたのか。
「平気だよ」
「うん」

 たらたら歩いていたからか、建物にたどり着いたのは美作さんとほぼ同時だった。
 三人で私の部屋に入り込む。
 ここ二日ばたばたしていて、部屋が散らかっていた。二人は気にしていないようだったけれども、さりげなく片付けた。
 小さなローテーブルに買ってきたものを並べ、グラスを用意する。
 そんなことをしている間に、無事にピザが届いた。
 それらを全てテーブルの上に並べると、なんだか、プチパーティーといった様相だった。間違ってないけど。
「さて」
 こういう時に仕切るのは、おおかた、峯岸だ。
 グラスを片手に、峯岸は、
「二日間、おつかれさまでしたー!」
 そう言ってグラスを掲げる。私と美作さんもそれに倣った。
「おつかれー!」
「おつかれさまー!」
 こんっとグラスがあたる音がする。ぐぃっと飲みこんだビールは、心地よい疲労感と相まって、とてもいい気分を私に与えた。
「はじめてにしては大成功だよねー!」
「うん、よかったと思うよ」
「楽しかったしね」
「うん、楽しかったー! 次もまた、出られたらいいなー」
「今度は二人で大丈夫じゃない?」
「えーでも、それじゃあMIMIMIじゃないよー」
「唇尖らさない。手伝いぐらいなら、するからさー」
「峯岸さん無理言わないで」
 そんな会話をだらだらと繰り広げる。
 食べて飲んで。
 こんな楽しい気分は久しぶりだ。あんまりにも楽し過ぎて、自分の限界を越えて飲んでしまった。
 自宅だからいいだろう、という意味で、ストッパーが外れていたのかもしれない。
 気づいた時には、頭ふらふらで楽しい気分になっていた。
「みーしーまー。寝るなー」
 床にそのままごろりと横たわった私の体を、誰かが軽く叩く。んもう、放っておいてくれればいいのに。
「みーしーまー」
 ぺしぺしと叩かれる。
 放っておいて。
 ふわふわと睡魔の間に揺れていて、とても心地が良い。ここから目覚めるなんて、考えたくない。
「もぉー」
 呆れたような溜息のあと、ふわりと何かが体にかけられた。
 あとから確認したら、部屋に置いてあったブランケットだった。
「三島さん、寝ちゃったの?」
「うん。つまんないのぉー」
「疲れてたんだよ、寝かせてあげよう。ここ、三島さん家だし」
「まあねー」
 遠くの声で二人の話し声が聞こえる。でもそれが、ここちよいBGMとして聞こえてくる。
「三島のおかげだからねー。感謝してるの、ほんと」
「そうだね」
「三島がいなかったら、美作に誘われたってデザフェスでようだなんて、思わなかったかもしれないし」
 かちゃんと、お皿かなにかが音を立てる。
「俺だけじゃだめだった?」
 戯けたような、美作さんの声。顔が見えないけど、いつもより優しく聞こえる。
「無理でしょー。あたしと美作じゃ、うまくいきっこないよ」
 断固とした強い口調で峯岸が、それにこたえる。
「そっか」
 美作さんが笑ったようだ。ふっと空気が漏れるような音がする。
 しばらくの間。静かさが、体に染み込んでいく。
 うとうとと意識が遠ざかっていく。本格的に寝そうになったのを、
「峯岸さん」
 いつになく真剣そうな、美作さんの声が遮った。
「んー?」
「俺、峯岸さんのことが、好きなんだけれども」
 その言葉に、落ちて行っていた意識が、ぐいっと引き上げられた。意識がはっきりと覚醒する。
 知っていたけど。知っていたけれども。
 彼の口から改めて、峯岸への好意が言葉にされて、心臓が凍りそうだった。
 意識がはっきりしてしまったけれども、起き上がることができない。
 峯岸の、こたえは?
「ごめん」
 即答だった。考える余地もない、とでも言いたげだった。
「なんで?」
 盗み聞きなんてよくないという自覚はあった。だけれども動けなかった。
 今から動いてしまったら、気まずくなる以外の選択肢がないじゃない。
「三島さん?」
 美作さんが畳み掛けるように尋ねて、ぐっと喉がつまる。
「三島?」
「三島さんが俺のこと好きだから、だから断るの?」
 重ねられた言葉に、もう殆ど泣き出しそうだった。
 ああやっぱり、私の気持ちだってばれていた。
 峯岸にもバレているのだろうか。だから優しい峯岸は、私に気を使って、彼の好意をはねのけるのだろうか。
 私が、邪魔をしているのだろうか。
「はぁ?」
 だけど、聞こえてきたのは怪訝そうな声だった。
「それ本気で言っているの?」
 峯岸の声が急に冷たくなる。
「だとしたらサイテー。見損なった」
 美作さんは答えない。二人は今、どんな顔をしているのだろうか。
「大体、いくら三島が寝ているからって、三島がいるところで、三島の家で、言ってくること自体があり得ないっていうのに、なにそれ? あんた、あたし達のこと、そんな風に思ってたの?」
 峯岸の声が高く、大きくなり、
「しっ」
 慌てたような美作さんの声がする。
「静かにして欲しいなら、苛立たせること言わないでよ。本当、あり得ない、サイテー、アホ美作」
 ちっと舌打ちが聞こえる。
「あんた、今、自分がどれだけ最低なこと言ったか、ちゃんとわかってんの? あたしと三島の関係が、あんたのせいで壊れるようなちゃちなものだって言ってるってこと、ちゃんと気づいているの?」
 ひゅっと音がした。誰かが息を呑んだような音。
 もしかしたら、私だったのかもしれない。
「あたしと三島の問題は、あたしと三島だけの問題だよ。美作には関係ない。勝手に入り込んできて、俺のせいだな、みたいなしたり顔しないで」
 峯岸らしい、不器用だけどまっすぐな発言だった。
 なのに、ごめんね、峯岸。
 私は、あなたのことをうらやんでいる。あなたがそんなに気遣ってくれているのに、あなたと美作さんの間を疑って、うらやんでいる。
 自分の矮小さに泣きたくなって。ぐっと握りこぶしをつくる。
「今なら、酔っぱらいの戯れ言として流してあげる」
「……ごめん」
 奥から絞りだしたような、美作さんの声がした。
「今のは、確かに失礼だった。本当に、ごめん。三島さんにも」
「うん」
 満足そうに頷く、峯岸の姿が容易に想像できた。
「わかればいいのよ、わかれば」
 っていうかさ、と峯岸はいくぶん、声のトーンを和らげて続けた。
「大体、あたしが自分のことを好きなはず、と思ってもとれる、その発言がなんなのよ、って感じ」
 大きくため息をついたあと、
「ごめんね、美作。こたえられない。それはね、美作が嫌いとかっていうわけじゃなくって、あたしが、三島のことを好きだから、だよ」
 ……それ、美作さんの発言と、なんら変わったところ、なくないか? やっぱり私のことが好きだから、気を使ってことわったってこと?
「……そうだよね」
 だけど、美作さんがなにか、何かを納得したかのように息を吐いた。
「うん、わかってた。ごめん」
 そう言った声は、どこか清々したようにも聞こえた。
 見えないところで、何が行われているのだろうか。
「わかっていたのに、ごめんね。峯岸さんのこと、ずっと見ていたから気がついていたのに」
「そのまま、秘めていてくれればよかったのに」
「辛辣だなぁー。そのつもりだったよ。だけど、峯岸さん、なんか変わったからさ、この二日間で」
「え?」
 ああ、やっぱり、美作さんもそう思っていたのか。
「まあ、明日以降、どうなるかわからないけど」
 それはまあ、確かに。
「社交的になった」
「あたしが?」
「気づいてなかった? 多分、三島さんも思っていると思うよ。積極的に人に話しかけにいくなんて、普段の峯岸さんじゃ考えられないことだからさ」
 だから、ちょっと調子にのっちゃった、と美作さんは続けた。
「今ならいけるかな、っていう気がしちゃった。浮かれてたんだよな、結局俺も」
 もう一度、ごめん、と彼は呟いた。
「……よくわかんないけど、褒め言葉としてうけとってあげるわ」
 そう言った峯岸は、いつもの峯岸のようだった。
「うん、そうして」
「今のことは、忘れるけど」
「……うん」
「これからも、……mine meとしてやってくれる?」
 その言葉は、そっと、おどおどと、伺うようなものだった。
「それはもう、もちろん」
 美作さんは躊躇いなく答えて、それに峯岸だけじゃなくて、私も安心した。
 二人の関係や思いの交錯は痛いけれども、それでも、それは別としてmine meのアクセサリーが私は大好きなのだ。
 店長としてではなく、一消費者として。
 胸元のネックレスの存在を、意識する。これは、宝物だ。
 そのあと二人は少し言葉を交わし、片付けに入ることにしたらしい。
 かちゃかちゃと美作さんがお皿なんかを片付ける音がしてきた。
「みーしま!」
 べしべしと、また峯岸に叩かれる。
「おきてー、うちら帰るよー」
 何度か叩かれてから、のっそりと、さも今目が覚めた風を装って、起き上がった。よかった、これ以上寝たフリをするのはしんどかったのだ。
「んー」
「へーき? 三島?」
 心配そうに峯岸が顔をのぞきこんでくる。それに少しの罪悪感。
 あなたを羨んでいる私を、庇ってくれてさっきは本当にありがとう。言いたいけど、言えない。
「うん」
 ねぼけた風な顔で頷いた。
 改めて失恋をつきつけられて、本当は泣きそうだけれども、だけど大丈夫。
「そ」
 峯岸は一つ頷くと、空き缶を袋にいれはじめた。
「いいよー、適当に置いてってくれれば。あとでやるから」
 そう声をかける。いつもならばやりっぱなしの峯岸が、こんなときだけ気を使わなくってもいいのに。
 一人に、なりたいのに。
「ゴミまとめるだけー」
 言いながら峯岸はゴミをまとめ、その間に美作さんがきっちりお皿洗いをしてくれていた。
「ゴミ、置いてっちゃうけど、平気?」
「うん、どうせ明日ゴミの日だし」
「じゃあ、これはお願いするね」
 そんな話をしながら、帰って行く二人を玄関まで見送る。
「ちゃんと戸締まりして寝るんだよ、みしまー」
 どうやら本気で心配されているようだ。真顔の峯岸に言われた。
「大丈夫だよ」
 軽く笑う。
「気をつけて帰ってね」
「隣ですけどね」
「隣の隣の隣ですけどね」
 私の言葉に二人が戯けたようにいい、それぞれ部屋に帰っていく。
 二人の姿がそれぞれの部屋に消えるのを確認すると、ぱたんっと玄関の扉を閉めた。
「ああ」
 途端、涙腺が決壊した。よく、我慢できたな。
 アルコールが入っていることもあって、きっと緩くなっていたのだろう。ぼたぼたと、涙がこぼれ落ちる。
 そのまま、ずるずると玄関に座り込むと、たてた膝に額を押し付けた。
 美作さんが峯岸のことを好きだなんてこと、ちゃんとわかっていた。わかっていたけれども、やっぱり改めて、本人の口から言われると悲しい。
 これでもう、私は告白する機会も失ってしまった。ソレがいいのか悪いのかは、定かではないけれども。
 こんなに楽しい二日間だったのに、最後に心が揺さぶられた。
 壁が薄いことは知っているから、必死に泣き声を押し殺す。
 今日だけは、自分を許してあげよう。今日だけは。
 明日からまた、がんばれるように。
 そう思いながら、冷たい玄関に座ったまま、こぼれる涙をそのままにしていた。