そうと決まれば、うかうかしていられない。 今は七月頭。峯岸なんかは、まだ先だしーなんて言っていたけれども。そんなこと言っているとあっという間に当日になってしまうだろう。 「峯岸、さては八月の終わりに慌てて夏休みの宿題をやるタイプね?」 まあ、私もそれに近いタイプだけれども。だからこそ、大人になった今、その反省をいかそうとしているのだ。 「ふふふ、甘いわね、三島」 峯岸は偉そうに答えた。 「あたしは慌てず騒がず、夏休み中には終わらなかった!」 「やれよ!」 なんで偉そうなんだ。 「出したことは出したよー? ほら、夏休みの宿題って初日にだすやつもあるけど、各科目の授業の最初とか、提出期限が遅いやつもあったじゃん? ああいうのは後回しにしてた」 「なるほど。じゃなくって、そういうやっつけ仕事じゃだめなの」 「もー、三島、母親みたいー。大家はお母さんじゃないって言ってたのに」 三島が唇を尖らせる。 確かこの子、いいとこのお嬢様なんでしょう? いいとこのお嬢様が、なんでこうなっちゃうかな。 「私を引き込んだのは貴方でしょう。ちゃんとやってもらうわよ」 「だけど」 「二人の作品を、一人でも多くの人に知って欲しいの」 強めの口調でそう言うと、峯岸はぴたりと口を閉じた。 「わかる?」 なんだかんだで、私は二人が作り出した、mine meのアクセサリーを気に入っている。最初のもらったものだけじゃなくて、自分用に何個か買ったし。 申し訳程度のブログしかやっていないし、Insulo de Triに置いておくだけじゃ知名度をあげるのには限度がある。 知名度があがれば、峯岸や美作さんが好きなことを生業にして生きていく夢に近づくかもしれない。 「やると決めたら、徹底的にやるわよ」 あのあと、デザフェスの過去の実施状況などを調べたのだ。ブース数は全部で三千ほどあるという。そんな中、ただ漫然と置いているだけでは人目を引かない。埋没してしまう。そんなのは、困る。 「……うん、ごめん」 峯岸が素直に頷いた。 「あたしが間違ってた。せっかく三島が協力してくれるのに、あたしがこんなんじゃだめだよね」 珍しく、しおらしく峯岸が言う。それからぱっと俯いていた顔をあげると、力強く言った。 「三島の期待にこたえられるようにがんばる!」 「峯岸……」 あの怠惰な峯岸が、可愛い服やアクセサリーを見ている時にしか元気がない峯岸が、今やる気に満ちあふれている。そのことにちょっと感動する。 「三人で成功させようね」 にこにこ笑いながら私達をみていた美作さんも頷いた。 そうだ、三人で頑張ろう。勿論、Insulo de Triの方も手を抜かないけれども。ここからこつこつ進めていかなければ。 「そうと決まれば」 私は用意していた紙を峯岸と美作さんに渡した。 「とりあえず二人とも、名刺用意してね」 そこにはとりあえず二人にやっておいて欲しいことが書いてある。 「本名じゃなくて作家としての名前でいいから。っていうかそっちの方がいいから。あとは、フリーメールでいいからメアドぐらい載せてね、連絡とれるように。峯岸はポストカードを増刷しておいてね。あと看板代わりに絵を飾りたいと思うからそれも描いて欲しい。美作さんはなにはなくとも、商品のストックを」 私が喋るごとに、しゅるしゅると、目に見えて峯岸のやる気がなくなっていった。ぴしっと座っていたはずなのに、気がついたらずるずると上体の力を抜いていく。テーブルにぺたっと頬をつけると、 「やることおおいー」 ぼそっと呟いた。 「峯岸」 たしなめるように呼ぶと、 「はぁぁぁい」 やる気なさそうに、それでも返事した。 基本的に、準備は三島のバイトが早く終わった日の、店を閉めたあとに行われることになった。 当日、与えられるのは一畳ほどのスペース。背面にだけ壁を借り、それから長机を一つ借りることにした。 「横は壁いらないの?」 通路に面した一面をのぞき、あとの三面を壁で覆っている人も、過去の写真を見る限りいるようだった。 「うん、いらないかな。三人いるから、三面覆ってしまうと圧迫感が強いだろうし。遠くから人目を引きにくくなってしまう、気がする」 「そっか」 「長机が一つあれば、あとは机上に小さな棚を置けば、上手くいくだろうし」 イメージは、Insulo de Triの壁側の棚だ。 紙にペンで描いていく。絵、下手だけれども。 奥に壁が一枚。その前に壁にくっつけるようにしてテーブルを置く。 「峯岸、トランク持ってたよね?」 茶色い革製の、アンティーク調のトランクを思い描く。 「ああ、あの小公女って感じの」 ……わからないでもないな、その例え。 「それそれ。あれ、貸して」 「いいよー。全然。部屋のインテリアになってるだけだし」 私が最後に見たときは服の山に埋もれていて、インテリアにもなっていなかった気がするが、まあいい。 「なにに使うの?」 「壁にぴったりつけて机を置くと手前側のスペースが余るでしょう? そのスペースの、床に置こうと思って。峯岸のポストカード類とか、普段の美作さんの作品とかはここにいれる」 四角いトランク的な何かを紙に書き込む。 「テーブルの上は、mine meだけにするために」 「なるほど」 「どう?」 「いいと思うよ」 美作さんが頷く。 「じゃあこんな感じね」 峯岸が横からペンと紙をとりあげると、さらさらと私の謎の四角達を綺麗なレイアウト図に変える。さすが……。 「うふ」 っと描き終わった峯岸が気持ち悪い笑い方をした。 「……何」 ちょっと引きながら峯岸を見ると、 「だって楽しいじゃん! 文化祭みたい」 両手を叩いて楽しそうに笑う。 美作さんも微笑んで頷いた。 そう、実は、私もとっても楽しいと思っている。 困ったことに、かなり。 そう、楽しいと思ってしまった。 だから、いけないんだろう。 「私の契約、十月で切れますよね? そこで、契約を終わりにしたいんです」 そう言われたのは九月のことだった。 「え?」 眉根を寄せて真剣な面持ちで言うのは、Insulo de Triに納品してくれる作家さんの一人。以前、美作さんが引き合いにだした、童話モチーフの人だった。 「えっと」 取扱をやめることはこれまでにもあった。忙しくなって定期的な納品ができなくなるからとか、引っ越しをするからとか、そういう外部的な事情が殆どだった。たまに、コンセプトの違いから、残念ながらやめることもあったけれども。 でも、それでもこんな怒った顔をして、言われることはこれまでになかった。 「……すみません、理由をお伺いしてもよろしいですか」 「理由?」 彼女は嘲笑うように唇を歪めた。 その顔に覚悟する。これはきっと、なにかよくないことだ。 「説明しなきゃ、わかりません?」 吐きすてるようにそういうと、彼女は射抜くように私を睨んだ。 「……すみません」 「そういう、わかっていないところが、嫌なのよ」 これは、私に言ったというよりも、独り言に近いようだった。 彼女は、視線を上にあげる。Insulo de Triの天井。 「十一月、土日休まれますよね?」 その言葉に、ああっと溜息のような声が漏れた。 彼女が見ているのは天井じゃない。その、さらに上だ。 彼女は視線を私に戻した。 「別に、いいんです。土日を両方休まれることだって。三島さん一人でやっているお店だし、これまでだって、だいぶお休み少ないお店で、感謝していたんです」 だけど、と彼女の声が僅かに上擦る。 何を言われるか理解してしまった今となっては、私は何も言えない。 「デザインフェスタにでるんですよね? mine meのお二人と」 小さく頷く。こうなる可能性を、考えていなかったわけじゃないのに。楽しくなりすぎて、忘れてしまった。 「Insulo de Triとして、ではなくて」 それだったらよかったのに、と彼女は続けた。 あとで他の作家さんから聞いた話によると、彼女は今回のデザフェスに落選してしまったらしい。彼女はよく出展していて、今回も出たかったと言っていた。その逆恨みもあるから気にしなくていいのよ、とその人は言ってくれた。 だけどきっと、そういう問題じゃない。それだけが問題じゃない。 「ここまで言ったら、私が言いたいこと、わかりますね?」 「はい」 そうだ、だから最初、二人の誘いを断ろうと思っていたのに。楽しくて、忘れてしまっていた。 だから、私が悪い。 私があの二人の、二人だけの手伝いをしたら、他の作家さんがどう思うか。えこひいきだと感じないか。そのことをちゃんと危惧していたのに。 「申し訳ありません」 頭を下げた。 泣きそうだ。 「今回のことだけじゃない。あなたはいつもそうだ。mine meだって、あなたの意見で出来たっていうし、袋詰めとか、基本的にあなたはmine meの二人に」 一拍の間を置いて、突き刺すように、 「甘い」 言葉が放たれる。 あげられない顔。頭の上に言葉が降ってくる。槍のように。 「多少は仕方ないと思うんです。あの人達はあなたと一緒に住んでいるし。だけど、今回のはさすがにっ」 彼女の声が高ぶり、それをかかかかんっという音が遮った。外階段を勢い良く駆け下りて行く音。 それからがちゃがちゃと外から音がして、しゃーっと消えていった。 峯岸だ。 おおかたまた、遅刻しそうなのだろう。だけどよりによって、なんでこのタイミングで。いいのか悪いのかわからない。気まずいったりゃありゃしない。 「……もう、いいです」 ただ、彼女はその音で毒気を抜かれたようだ。激高していたテンションが、そのまましゅるしゅると下がっていく。 「本当に、申し訳ありません」 もう一度そう言ってから、頭をあげた。 「ともかく、十月いっぱいでひきあげさせていただきますから。もうあなたを、信頼できない」 「……はい」 頷いた。 そうして彼女は去って行く。 私はレジの横に立ち尽くすことしか出来なかった。 痛い。 彼女の作品は人気で、売り上げもよかった。彼女の作品が無くなることは、Insulo de Triにとって大打撃だ。Insulo de Triにとって、痛い事実だ。 だけどそれ以上に痛いのが、私が彼女の信頼を失ったことだ。失ったということは、かつて信頼を得ていたときがあったということで。 ぐっと唇を噛む。 そうしていないと泣きそうだった。だからって、泣くわけにはいかない。 信頼は、お店をやっていく上で必要不可欠のものだった。峯岸や美作さんみたいに技術のない私は、信頼を勝ち取って行くしか方法はないのに。 なのにそれを、失ってしまった。 ただ、楽しいという思いを手に入れた代わりに。 大きく息を吐く。 駄目だ。今はまだ、泣いてはいけない。お店が開いているうちは。今はだれもいないけれども、いつ誰がくるかわからないんだから。泣いてはいけない。 がちゃり、と聞き慣れた入り口のドアが開く音がして、 「いらっしゃいませ」 反射的に笑顔をつくり、入り口を見た。 「……どうも」 入り口に立っていたのは、見慣れた人物だった。 「……美作さん」 彼は珍しく、見慣れた温和な笑顔ではなくて、困ったような顔をしていた。 「どうかしました?」 微笑んで尋ねると、 「ごめんね、三島さん」 困った顔のまま、彼は言った。 それにすっと腑に落ちた。 「聞こえていました?」 「全部じゃないけど。ちょっと顔出そうと思って近くにいたら、聞こえたんだ」 「……そうですか」 顔を繕うのが難しくなっていく。 「……あ、峯岸は?」 「峯岸さん? ああ、慌てて出て行ってたからね。大丈夫、彼女は何も聞いてないと思うよ。そんな余裕無かっただろうし」 「そうですか」 ほんの少し、安堵する。話を聞いていたのが、峯岸ではなく美作さんだったのは不幸中の幸いだ。 美作さんにだって聞かせたくなかったけれども、峯岸にはもっと聞かせたくない。こういう事情は。彼女は口では悪態をつきながら、心の底まで悔やむから。 「黙っていてください、峯岸には」 「それは、……うん。三島さんが、そうしろっていうのなら」 美作さんはちょっと躊躇ったものの、頷いた。 「それから、美作さんも気にしないでください」 「だけど、俺たちが誘ったから、こんなことになったんじゃ? ごめん、三島さんの立場とか、なんにも考えてなかった。ただ、自分達の都合ばっかり考えて、三島さんを巻き込んでしまった」 「いいえ、違います」 それははっきりと否定した。 確かに、二人に誘われなければ、私が店を休みにすることなく、こんなことは起きなかっただろう。だけど、 「参加することを決めたのは、私です」 私には、断ることだって出来たのだ。 「別に準備だけ手伝って当日は行かない。それでも本当は、よかったんです」 そのことには、はやい段階で気づいていた。 ノートにまとめあげたブースの完成図、包装の用意などなど。それらをきちんと渡しておけば、いくら作品作り以外に不器用な峯岸と美作さんでも、十分、当日対応できたはずなのだ。 何度、私は当日行かない、と切り出そうとしたかわからない。 だけど、欲が出た。 「準備がすっごく楽しくって、こんな楽しいこと、私だけ当日除け者なんて絶対に嫌、って思ってしまったんです」 見たかった。 二人のブースを。二人の作品がInsulo de Triのお客様以外の手にとられるところを。買われていくところを。 直接、この目で見たかったのだ。 「だから私が悪いんです」 「だけど。俺たちが誘わなければ……」 「誘ったこと、否定しないでください。悲しくなります」 ちょっと戯けていうと、美作さんは少し怪訝そうな顔をした。 「誘って頂けたことは、すっごく嬉しかったんです」 頼りにしてもらえて。 「だからそのことは、否定しないでください」 美作さんが小さく頷いた。 「三島さんが参加してくれて、本当に助かっている」 「なら、よかった」 そう言って笑った。笑えた。これは本当に、素直に心から。 「本当にお二人が悪いんじゃないんです。私が、いけないんです。だから、気にしないでください」 仮に店を休むことになったとしても、ここまでのことになったのは、私のフォローが足りなかった。店のことをおろそかにしたつもりはなかったけれども、準備の方が楽しかったのは事実だ。 Insulo de Triの他の作家さんのことを気にかけていなかったわけではないけれども、なんのフォローもせず休むことを決めたのも、事実だ。 失敗した動きをしたのは、私だ。 「それにね、美作さん」 まだ納得していないような顔の彼に、笑いかける。 「Insulo de Triの店長は私です。Insulo de Triでの出来事の責任は、全て私にあります。泣いて頼まれたって、他の人には押し付けません」 それが私の、なけなしのプライドだ。 私には峯岸や美作さんや、他の作家さんみたいな才能はないけれども、このお店がある。Insulo de Triがある。 これは誰にも渡さない。例え、美作さんにだって。 そこまで言うと、美作さんはふっと優しく笑った。いつもと同じような笑顔だった。 「そうですね、この店は三島さんのものだ」 そうしてその笑顔のまま、続けた。 「だから俺は、ここに納品を続けているんですよ」 その言葉はじんわりと胸に沁みた。 「ありがとうございます」 また少し泣きそうになるのを隠すように、頭を下げる。 失ってしまった信頼もあるけれども、まだ残っている信頼だってある。この信頼まで失わないように、がんばらなくては。 「これからもどうぞ、よろしくお願いしますね」 「もちろん」 |