夜の校舎を、一人で体育館に向かって進む。部室からだと遠いのが難点だ。
 静かすぎて、自分の足音さえ響きそうで怖い。
 とりあえず、0時ぐらいには体育館を覗いて、何もないって確認して、戻ろう。いや、適当に何もなかったって報告すればいいんだけど。変なところで真面目な自分に苦笑する。
 そんなことを考えている間にも、体育館にたどり着いた。
 っていうか、そもそも開いてないんじゃねーの? そんな当たり前のことに気づく。
 しかし、幸か不幸か、体育館の扉は少し開いていた。
 誰か、いるのだろうか? 明かりもついている。
 そっと覗いてみると、別に誰もいない。ただ、バスケットボールがこれ見よがしに一つ、転がっている。片付け忘れた?
 菊の盛大なドッキリとかだろうか? でも、怪異を愛している彼女が、こんな怪異を馬鹿にするようなことするわけないしなー。
 そんなことを思いながら、どうしたもんかとボールを眺めていると、
「え?」
 ゆっくりと、ボールがひとりでに弾み始める。
「共振、とか?」
 思ったことを呟いてみる。誰も答えてくれないけど。
 ちょっと身を乗り出して、体育館の中をさらによくうかがう。誰も、いる気配はしないけど……。
 いつの間にか、ボールは一定のリズムを持って跳ねるようになっていた。透史の腰ぐらいの高さまであがって、落ちる。
 例えば、誰かがドリブルしているような……。
「深夜の、バスケット……」
 いやいや、まさかね。絶対なにかトリックがあるのだと、それを暴きたいと、体育館に一歩足を踏み入れた瞬間、ボールが透史の方に飛んでくる。
「うわっ」
 思わず受け取る姿勢をとると、
「触っちゃ駄目っ!」
 どこかから声が飛んで来る。
 でも遅かった。咄嗟にがしっとキャッチしてしまった。
「……駄目っていったのに」
 言いながら現れたのは、
「……三隅さん?」
 意外な人物だった。
 どこか不満そうな顔をしたミスが体育館に向かって歩いてくる。私服だ。ジーンズに黒いチュニック。私服も、黒いのか。
「あら、一人参加者きまったの?」
「ミナが人払いしなくていいとか言ってたからこんなことに」
 しかも見知らぬ人を二人連れている。
「だって、夜の学校に人がいるなんて思わないじゃない?」
 責めるような目つきをする男性に、メガネの女性が答える。二人とも、無駄に美形で、無駄に背が高い。目元が似ているけど、きょうだい?
「じゃあ私、抜ける。やりたくない」
 ミスがそう言うと、
「ミィ」
 呆れたように女性がミスに向かって話しかける。
 み、ミィ? ミスのこと?
「あんたの担当でしょう? ジュン、お願い」
「へいへい」
 女性に言われて、男性が透史の方にやってくる。ミスもため息をつき、こっちにきた。
「ちょ、一体何が?」
 ボールを持ったまま、三人を見比べる透史に、
「バスケ経験は?」
 ミスが冷たく訪ねてくる。
「え、一応中学のときバスケ部だったけど」
「あら、頼もしい」
 入り口付近で腕を組んで見守っていた女性が、のんびりとつぶやく。
「そ、じゃあやるよ。バスケ」
「は!?」
「言っておくけど」
 黒いシュシュで、その長い髪を束ねながらがミスは、
「負けたら最悪死ぬから」
「はぁ!?」
 とんでもない事を言い放った。なんだそれ?!
「っていうか、一体誰と……」
 そう尋ねようとして、言葉につまる。
 体育館の温度がぐっと下がった気がする。肌が粟立つ。
 何かを、感じる。例えば、ミスにあったあの変な通り。そこに入った時のような、なんだかわからない不安感。
 がさり、と背後で何かが動く音がした。
 入り口の女性の視線が、自分の背後に向けられている。
 一体誰と、バスケをするのか。
 それとも、何、と……?
 透史の顔を見てミスは少しだけ眉を動かすと、
「知っているでしょう? あなたなら。深夜のバスケット」
 知っている。学校の七不思議。菊のはしゃいだ声がよみがえる。
「深夜になると誰もいないのにバスケットボールが跳ね始めるの。それはさながら、見えない幽霊達のバスケットの試合のように」
 幽霊と、バスケット?
 息を吸って、吐いて。
 覚悟を決めて、それでもゆっくりと振り返る。
 バスケットボールが、誰もいない空間で跳ねていた。そして、それが宙に浮き、斜め左方向にとんでいく。そのままだと落下するはずのそれは、透史の胸あたりの位置で止まった。
 誰かがパスをして、受け取ったような。
 誰が?
 ……幽霊が?
「み、みみみみすみさん!」
「み、多くない?」
「ちょ、これは、一体っ!」
 飄々とストレッチなんかしている彼女に食ってかかる。
「だから、深夜のバスケットボール、学校の七不思議」
 当たり前のようにミスが答える。
「それは知ってるけど! だって、あれはっ」
 デマじゃ、ないのか?
「信じていたんじゃないの?」
 お菊さんは信じていた。だけど、自分はそんなことあるわけないって、思ってた。今だって。だけど、
「わけがわからないのは理解できるけど、やらないと。あなたがボールを受け取ってしまったのだから」
 今、何かに自分が巻き込まれてしまったのだけはよくわかる。わかりたく、なかったけど。
「対戦相手を彼らは求めていたの。ボールを受け入れたあなたの参加は、運命付けられた」
「だからって!」
「軽い気持ちで近づいたあなたがいけないのよ」
 冷たくそう言われると、返す言葉がない。
 自分が悪いことをした、という自覚はあった。夜の学校に忍びこんで……。
「で、でも、見えない相手とどうやってっ!」
「見えない?」
 不思議そうにミスが言い、
「あ、そっか」
 納得したように頷いた。
「あなたには、見えないのね」
 その言い方、つまり……、
「見えて、るの?」
 ミスは一つ頷いた。
「もちろん、私たちもね」
 壁によりかかり、腕組みしながらこちらを見ていた女性が微笑む。男性の方も、何も言わずに透史を見たので、多分そういうことなんだろう。
 なんだか、くらくらしてきた。
「見えないなら仕方ないな」
 男性が呟いた言葉に、免除されたかと一瞬思ったが、
「ゴール下で待機しててもらおう。ボールがいったら、シュートしてくれればいい」
 さらっと具体的な要求をされただけだった。
 男性は、透史の返事は待たずにさっさとコートの中に入っていた。
「ちょっ、まっ」
「うん。よろしく」
 ミスもなんだか納得したかのように頷くと、コートの方に向かっていく。
「え、あの」
 ミスと男性がこっちを見てきて、心なしか反対側のチームからも視線を感じる気がする。早くしろよ、的な。
「え、あー、くっそ!」
 感情を持て余し大きく叫ぶと、床を踏み鳴らしながらそちらに向かう。
「やればいいんだろ、やればっ!」
 何がなんだかわからないけど、
「お菊さんに頼まれるといっつもこれだ! っていうか、なんであの人いないんだよっ! 本物なのにっ」
 とりあえずお菊さんのせいにする。身近なもののせいにしたら、ちょっとは安心できた。本当、ちょっとだけ。
 なんとなく横並びになって、見えぬ相手に一礼する。
 試合が始まった、多分。多分っていうのは、透史には何が起きているのかよくわからないから。
 男の指示どおりにゴール付近で待機しているが、実際にそれ以外に自分にできそうなことが思いつかない。
 とんとんっとボールが跳ねる。誰もいない場所で。でも、誰かがドリブルでもしているかのように。意外にも軽やかな動きで、ミスが誰もいない場所からボールを奪い取る。何かを避けるように体を捻る。
「ジュン兄!」
 ボールを男性に向けて投げた。男性が受け取ろうとするが、何かに阻まれたかのようにボールは途中で軌道を変えた。とか思っている間に、ボールが反対側のゴールに吸い込まれる。
 ちっとミスが舌打ちした。
 何が起きているのか、全然わからない。だけど、負けたら死ぬという。
 相手が見えないとか、自分は正直圧倒的不利だ。それでも、やるしかない。万年補欠だったけど、背が伸びなかったけど、自分だって元バスケ部なのだ。
 再び試合が動きだす。覚悟を決めて、透史はゴールより少し前に出た。
 ミスが男性にボールを投げる。男性がドリブルをしたが、相手に阻まれたらしい。動きが止まってしまう。
「はい!」
 手を上げアピールすると、ふっと体の前に何かの圧を感じだ。なるほど、まったく見えないけど、マークされたらしい。
 しかし、見えないというのはアリかもしれない。相手の体に阻まれて、味方が見えなくなるっていうことがない。
 無駄にポジティブに考えながら、少し腰を落とす。男性が動いたのに合わせて、右に踏み出す。意図に気付いてもらえたのか、男性からボールが飛んできた。
 しっかり掴むと、ドリブルしながらゴールめがけて走りだす。
「前っ!」
 悲鳴のようなミスの声。
 なんとなく感じる、圧。まったく見えないけど。
 左に抜けると見せかけて、右に踏み出す。うまくいったらしい。何にもぶつからず、邪魔されず、ゴールに近づく。
 ディフェンスされてるのかもしれないけど、なんか今ならいける気がする。勘でそう結論付けると、ボールをゴールへと放った。放物線を描いてとんだボールは、
「よっしゃー!」
 かつてないほど綺麗にゴールに吸い込まれた。無駄に本番に強いのだ。バスケ部時代は、本番に出たことがないから、輝かなかっただけなのだ。
 一点入れたら、なんだか調子が出てきた。というか、調子に乗った。
 相手は見えないけれども、なんとなく圧というか、存在は感じる。完全にではないけれども、察することはできる。避けられないわけじゃない。
 でも、二本目のシュートがなかなか決まらない。ボールを放っても、ゴールに入らない。
 残り時間がなくなってくると、さすがに焦る。だって、負けたら死ぬとか言うし。
 調子に乗れたのも一瞬で、すぐに気持ちが急いてくる。
 入れなくちゃ。
 男性から飛んできたボールを受け取ると、ゴールに向かって放つ。もう時間がない、点をとらなくっちゃ、入れなくちゃ。
 手元からボールが離れ、その瞬間、失敗したと思った。これじゃあ、入らない。
 リングにぶつかって跳ね返ったボールを、笑いながら奪い取ろうとする何か、見えないものの姿が見えたような気がして、でも、
「え?」
 たたたっと走ってきたミスが、そのボールを奪い取った。
 普段のクールで一人本を読んでいる感じからは想像のできない素早さで、ボールを奪い取り、綺麗な白い手で、投げた。
 ボールがリングに乗り、くるくるとリングの上を回転する。
 頼む! 入れ!
 祈るように、ボールを見る。そして、
「やったー!」
 そのボールは、ゴールへと吸い込まれていった。
 そして、時間終了。
 ぎりぎりだが、勝てた。よかった。安心して座り込んだ透史を無視して、
「こちらの勝ちね」
「お引き取り願おうか」
 ミスと男性が、見えない何かと会話している。
 ああ、マジでこれ、お菊さん案件じゃねーの。
「おつかれさま」
 一人、コートの外で試合を眺めていた女性が、いつの間にか透史の横に立っていた。
「あ、どうも」
 背が高いので、かなり見上げる形になる。
「ミィのお友達?」
「あー、クラスメイト、です」
 残念ながら、友達ではない。
「そう。どうしてこんな時間に学校に居たの?」
「取材で」
「取材?」
「文芸部なんですけど、学校の七不思議を部誌で特集してまして」
「ああ、じゃあ、これを取材していたわけね」
 女性はバスケットボールを指差して、楽しそうに笑う。
「いい体験できたじゃない」
「いや……、あの、これって、その…」
「本物よ」
 綺麗な笑顔で言い切られた。
「マジですか……」
 いや、本当。なんでお菊さんいないんだよ。本当タイミング悪いな。
「ねぇ」
 いつの間にか、透史の目線にしゃがみこんだ女性が小首を傾げる。すごく綺麗な顔がすぐ目の前にあって、思わず距離をとった。
「これ、どこかに書いて載せる?」
 まっすぐに目を見て問われた言葉に、
「……誰が、信じるんですか?」
 少しだけ考えてから苦々しく返事をした。信じるのは菊ぐらいだろうし、その菊も写真がないのならば、不服に思うだけだろう。
「そう。それなら」
「忘れた方がいい」
 見えない何かとの話し合いは終わったのか、ミスがこちらを向いて冷たく言い放った。
「ミィ」
 咎めるように女性が呼ぶ。
「その方が、あなたのため」
「……そりゃ、そうなんだけど。言い方ってもんがあるでしょうが」
 呆れたように女性がため息をつき、
「まあ、言い方は悪いんだけど、ミィの言うとおり。今日のことは、忘れた方がいいわ」
「……はぁ。忘れられるなら、そうしたいですけど」
 ずいぶん強引でマイペースな人たちだな、と思う。まあ、自分のとこの部長もそうだから、こういう慣れているけど。
「さてと!」
 女性は勢いをつけて立ち上がると、
「もう遅いし、おうちまで送りましょうか?」
 と、ズボンのポケットから取り出した車のキーを揺らす。
「あ、いえ」
 慌てて首を横に振った。まだ、学校には弥生がいる。一人、残すわけにはいかない。とはいえ、弥生がいることを明らかにして、弥生までこのへんな人たちに目をつけられたら嫌だし……。
「あの、家には友達のとこ泊まるって言ってあるんで帰れないですし、大丈夫です」
「あらそう? 夜の学校、一人で大丈夫?」
 脅かすような女性の言葉に、苦笑いする。
「ケータイでゲームでもするんで」
「あらあら、現代っ子ね」
 そんな会話をしている間にも、男性はさっさと体育館から出て行ってしまう。いろいろなぞだが、あの男は妙に感じ悪いな……。
 ミスは女性のそばにいたが、結局、追加で口を開くことはなかった。
 謎の三人組と分かれて、部室に戻る。ゆっくりとドアを開けると、
「……弥生?」
 そっと呼びかける。
「……透史くん」
 ほっと、安心したような顔をして菊が物陰から出てきた。後ろ手でドアを閉めると、隣に座る。
「遅かったから心配した」
 泣きそうな顔をする弥生に謝る。
「見回りがいて、なかなか戻れなくって」
 困ったように笑ってみせると、弥生が納得したかのように頷いた。
 あのへんな人たちのことを弥生に知らせて心配させたくない。今回は黙っておこう。っていうか、言っても信じてもらえない気がするし。
「体育館、どうだった?」
「この時間だし、閉まってたよ」
「あ、そっか……。無駄骨だったね」
「まあね。でもま、冒険みたいで楽しかったし」
 おどけてみせると、弥生が笑う。
 狭い空間にいるから、少し動くと肩が触れてドキッとする。でも、彼女が距離をとらなかったので、透史もそのままにしておいた。へんなことがあった後だから、肩から伝わる熱で安心する。
「あとはまあ、朝になるまでおしゃべりでもしてようか」
「そうだね」
 にっこりと弥生が笑う。そのまま、とりとめない話をして、朝を待った。